ひと月ぶりの瞬。 俺は ほとんど人間の尊厳を放棄した獣のようだった――と思う。 弁解するわけじゃないが、俺がそんなものになってしまったのは、瞬が俺にそうなることを許してくれたからだ。 瞬が、『氷河が嫌でないのなら』と言ってくれたから。 弁解するわけじゃないが。 瞬は、飢えた獣に それを許すことが どういう事態を招くものなのか、あまり深くは考えていなかったんだろう。 理性と知性を有する人間ならば使えるはずの言葉も忘れてしまったような俺に、瞬は驚き、怯え、困惑してもいたようだった。 が、幸いなことに、“我を忘れたように瞬に夢中になっている俺”は、瞬には そう不快なものではなかったらしい。 もしかすると、案外 好ましいものだったのかもしれない。 瞬に歓びをもたらしたものは、瞬自身の肉欲の昇華というより、『俺に嫌われてしまった』という誤解の消滅だったろう。 俺をその身体の内に迎え入れた時、瞬は、初めての時とは桁違いに あからさまな歓喜の声をあげて、全身をのけぞらせた。 自分の身勝手を自覚できている男には、自分だけが一方的にそれを求めているんじゃないと確信できることは、大いなる喜びだ。 もちろん俺は、瞬以上に その歓びを喜んだ。 初めての時には、瞬の身体を突くたびに洩れる瞬の呻き声に、俺の方が痛みを覚えていたのに、今日は瞬は俺にその痛みを分けてくれない。 分かち合いたくても、持ち合わせがないようだった。 代わりに、別の感覚が瞬を支配している。 まあ、瞬が感じる快感を瞬が独り占めしたとしても、俺に文句を言うことはできないが。 俺は俺で、汲めども尽きぬ勢いで 身体の内と外から生じてくる快感に圧しつぶされそうになっていたんだから、それはお互い様というものだったろう。 俺は、瞬との交わりが生む快感に完全に支配されてしまっていた。 俺の心と身体は、その快楽の鎖に絡みつかれ、ずぶずぶと瞬の中に引きずり込まれていく。 そのまま俺自身が瞬の中に消えてしまうのではないかという錯覚をさえ、俺は覚えていた。 それでも構わないと思っていた。 こんな 忘我・法悦という ご褒美を遠慮なく受け取ったって、それくらいのことは許されてしかるべきだろう。 どう言えばいいんだ。 いい。瞬の中は本当に途轍もなくいい。 いくのが惜しくなるほど。 耐え切れずに達しても、すぐに俺の欲望は再生成されたが、その偉業を成し遂げるのは俺自身ではなく、瞬の力だった。 一度 終わって、俺が 人間に戻って一息つこうすると、瞬の肉と熱が俺に絡みついてきて、また俺を獣に戻してしまうんだ。 これは かなり気をつけないと、性交過多で腎虚なんてコースもあり得そうだ。 日頃の肉体の鍛錬を怠らないようにして、亜鉛や鉄やビタミンCを多く摂るようにして――俺は、いつでも好きなだけ瞬を味わえるようにコンディションを整えておかなければならない。 瞬に甘い吐息で誘われるたび、俺はそんなムードのないことを真面目に考えていた。 俺という生き物は、こんな時になんて馬鹿なことを考えているんだか。 要するに俺は、俺を こんな獰猛な獣にしてくれる瞬に、まともなことを考えられなくなるくらい狂喜していたんだと思う。 やっと瞬から離れ、瞬の横に仰向けに倒れ込んだ時、瞬は、まるで俺のせいで疲れ果てたみたいに 苦しげに息をしていた。 というより、息をするのも苦しそうだった。 人間は体力を使い果たしたあとでも――だからこそ?――大きく胸を上下させて――つまりは体力を使って――体内に酸素を取り込まなければならない。 これは ちょっとした矛盾だと思うんだが、それもこれも瞬が生きているからだ。 俺たちがこうなったのは どう考えても瞬のせいで――瞬の具合いが良すぎるせいで――俺のせいじゃないと思う。 こうなった責任は、どう考えても瞬が負うべきものだと思うんだが、 「大丈夫か」 と、瞬の身体を これも一種の矛盾だが、まあ、人間関係ってものには、理屈だけではどうこうできない役割分担というものがあるからな。 「ま……って。声……話、できない」 目を開けている体力も、肺に酸素を取り込む作業の方にまわさざるを得ないのか、瞬は目を閉じたまま、かろうじて それだけ言った。 俺の呼吸の方もまだ平常といえるほど落ち着いてはいなかったから、俺は瞬の隣りで大人しく待つことにしたんだ。 瞬の隣りに横になっていられる幸せを しみじみと噛みしめながら。 が、瞬は、一向に待ち時間の満了を俺に知らせてきてくれなかった。 俺は、瞬に言いたいことや、瞬に言ってもらいたいことが たくさんあったんだが。 待ちきれなくなった俺が、ベッドの上に上体を起こし 瞬の顔を覗き込むと、あろうことか 瞬は、いつのまにか俺の隣りですやすやと寝入ってしまっていた。 俺を待たせていることを 瞬が忘れるはずがないから、瞬は自分の意思では睡魔に抗いきれなかったんだろう。 俺との性交に体力を使い果たしたというより、多分、瞬はこの1ヶ月、ろくに眠れていなかったに違いない。 ――俺のせいで。 ここで瞬を叩き起こしたら、俺は間違いなく人でなしだ。 だから そうする代わりに、俺は、ほとんど床に落ちてしまっていた掛け布を引っ張りあげて、瞬の裸体を覆ってやった。 今は瞬は眠っていた方がいい。 ひと月振りの すこやかな眠りの中で、優しい夢でも見ていてくれた方がいい。 そう、俺は思った。 |