瞬の中で、昔の記憶が戻ってきたのは、彼が思春期と呼ばれる季節の住人になってからだった。 その頃から、瞬は 不思議に懐かしい夢を 繰り返し見るようになった。 夢の中にはいつも 金色の髪と青い目を持った青年がいて、彼は無言で瞬を見詰めている。 その夢を、瞬は、はじめのうちは覚醒時には忘れていることが多かった。 目覚めた時にはただ、懐かしい だが、瞬は、やがて 目覚めても その夢を忘れないようになり、覚醒時にも その夢のことだけを考えるようになり――氷河という名と、氷河と交わした最期の約束を思い出した時、瞬は16歳になっていた。 二人が再会の約束を交わした時から、50年余。 あの約束を守るためにはどうすればいいのかを考えた瞬は、まずギリシャに向かうことにしたのである。 現世でも瞬は孤児だった。 幼い頃には その境遇を嘆いていたが、氷河との約束を思い出してからは、瞬にとって その事実は悲しいばかりの事柄ではなくなっていた。 係累がないということは、その人間を縛るものがないということ。 自由に氷河を探す旅を始められるということだったから。 ギリシャ――聖域。 生まれ変わっていれば、そして二人の約束を思い出していれば、氷河は必ずそこに向かうだろう――と瞬は思った。 二人は待ち合わせの時と場所を決めていたわけではなく、二人の前世と現世を結びつけるものは その場所しかないのだから。 とにかくまず、現世のアテナに会う。 以前のように聖闘士になれればよし、なれなくても、アテナに仕えたいと願い出れば、彼女は かつて彼女の聖闘士だった者に力を貸してくれるに違いない。 そして、聖域を拠点にして氷河を捜す。 それが氷河に巡り会うための最も効率的で堅実なやり方だろうと、瞬は考えたのである。 氷河が自分より50年も早く新しい命を得ていたら。 あるいは、つい昨日 新しい命を授かったばかりの幼な子だったなら。 様々な可能性が考えられたが、今の氷河がどんな人間であっても構わないと、瞬は思った。 あの魂にもう一度 寄り添うことさえできれば、それで自分は幸福になれると、瞬は信じていたのである。 瞬が生まれ育った村を出て2週間後。 あと1週間も歩けば聖域に辿り着けるだろうという場所にある国の都で、瞬は先に進む足を止めることになった。 そこは、50年前には名さえ聞いたことのなかった国。 そもそも国としての形を成してさえいなかった地域だった。 その地方の領主だった者が、この50年のうちに台頭し、一大勢力を築き、世襲制の王国を建てたものらしい。 新興の国の都は活気に満ちていた。 大通りには高さのある石造りの家が建ち並び、市場は多くの商品と買い物客でごったがえしている。 人々の顔が一様に明るいのを見て、もしかしたら国を挙げての祭りでも近いのだろうかと、瞬は思うことになったのである。 聞くと、この国の王女の婚礼が近いので国中が浮かれているのだという話だった。 姫の夫になるのは、北の大国の王太子。 その国の名は瞬も知っていた。 50年前には既に古い大国として知られていた国である。 その歴史ある国の王位継承者が、未来の妻を迎えるために、自ら大勢の供を連れて、この国の都にやってきているらしい。 「最初はどこの国の大軍が攻めてきたのかと思って仰天したよ。いや、ウチのお姫様をもらいにきた王子様ご一行とわかっても、しばらくの間は不安だったな。特に理由はないんだが、何かとこの国と張り合うことの多い、目の上のタンコブ的な国だったからなあ、あそこは」 事情を尋ねた市場の野菜売りの男は、笑いながら瞬にそう教えてくれた。 昔からの大国の王子と、日の出の勢いの新興国の王女との婚礼――政略結婚。 そのこと自体は、確かに大きな出来事だが、さして瞬の関心を引くような出来事ではなかった。 瞬をその都に足止めさせることになったのは、北の国からやってきた王子の名が『氷河』だという事実。 「氷河……」 その名を聞いて、瞬の胸は大きく震えることになったのである。 “氷河”は、『どこの国の大軍が』と誤解されるほどの供回りの者たちを 都の通りを抜けたところにある平原に天幕を張って駐留させ、彼自身は都にあった大きな館を買い取って、仮の宿としているという話だった。 遠く離れた領国から体力のない者を連れてくるわけにはいかなかったらしく、2ヶ月間だけと期限をつけて、館の下働きの小者や厨房で働く者たちを法外な給金で雇い入れているらしい。 瞬がその募集に応募してみようと思ったのは、 「王子様の本当の目的は、この国の民から じかに王室や姫君の評判を聞くことらしくて、職を求めていった者たち全員と直接 親しく話をしてくださるそうなんだ。雇ってもらえなくても礼金をたっぷり貰えるそうだから、みんな、先を争うように館に押しかけていってるよ」 と聞いたからだった。 「直接 話を……?」 現在の瞬の身分では、到底 会うことの叶わない人に 直接会えるのである。 そして、こんな機会は二度とないだろう。 だから、瞬は、自分がこの国の者でないことに躊躇しているわけにはいかなかったのだ。 |