「これはジギタリスの葉だよ! 猛毒のね! 今朝届けられた葉菜の中に混じってたんだ! もしこれが王子様の口に入るようなことにでもなっていたら、大変なことになっていた。あんた、どこぞの国の刺客か何かなのかい!」
その日も 氷河は彼の未来の妻に会うために王宮に出向いていた。
することもなく館の庭でぼんやりしていた瞬の耳に、その声が届けられたのは、既に十分に空虚な瞬の心を更に干上がらせようとするような太陽が中天で輝いている時刻。

「そんなわけあるかい! 俺は、注文のあったものを 市場のいつもの店で買ってここに届けただけなんだ!」
騒ぎは厨房の方で起こっているようだった。
料理人らしい女性の甲高い声と、彼女に食ってかかる男の声に混じって、二人を執り成しているらしい者の声も聞こえてくる。
「何かの間違いで葉菜の中に紛れ込んだだけだろう。こいつは祖父さんの代から、市場で野菜の仲買と運送の仕事をしているんだ。そんな大それたことを考えるような奴じゃない」

そこにいるのは全員が 王子の故国からやってきた者ではなく、この国で雇われた者たちのようだった。
おそらく このことは王子の国の者たちには知らせない方がいい――と、瞬はぼんやり思ったのである。
これから友好の絆で結びつこうとしている二つの国の間に、この出来事は(些細な過ちにすぎなかったとしても)不信の種を撒き、禍根を残すことにもなりかねない。

「まさかとは思うけど……それは僕が処理するよ。あまり騒ぎを大きくしないで。この国のためにも」
厨房で騒いでいた者たちの声に比べれば、瞬のそれは至って力のないものだったのだが、調子の異なる声だったからこそ、瞬の声は厨房内にいた者たち全員の耳に届くことになった。
「あ……」
瞬が王子の気に入りであることは皆が知っているらしく、彼等は少し気勢が殺がれたような顔になって、騒ぎ立てるのをやめてくれた。
最も大きな声で怒鳴っていた料理女が、声のトーンを落として瞬に訴えてくる。

「でも、ほんとに危ない草なんだよ。この草には若くて元気な大の男の心臓も止めるくらいの毒がある。ただの間違いだろうけどさ、それでも王子様に知らせておいた方がよくないかい?」
「慶事が近いから……王子様の幸せな気持ちに影を落とすようなことはやめましょう。報告しても、王子様は今は幸せいっぱいで、面倒な仕置きはしたがらないだろうから、きっと不問に処すでしょうし」
「まあ、そうだろうけどね」
結婚式を間近に控えた王子の浮かれようは、厨房で働く使用人たちの間にまで知れ渡っているらしい。
寂しい気持ちで、瞬は苦笑した。

「王子様には、ウリの中にニガウリが混じっているのを一目で見抜いた慧眼の料理人がいたと報告しておきます。おかげで 王子は苦いサラダを食べずに済みましたって。王子様はきっと、大した手柄だって喜んで、ご褒美をくださると思う。その方がいいでしょう?」
「ウリとニガウリの区別なんて、子供でもできるだろ」
「王子様は区別がつかないと思うよ」
「……そりゃそうだ。王子様のご褒美ね。うん。そりゃ悪くないね!」
気炎を吐いていた料理女は、それで瞬の提案をれることにしたらしい。
瞬は彼女から猛毒を持つという その葉を受け取って、騒ぎの静まった厨房を出た。

毒草の処分など、それこそ植物に詳しいのだろう料理人に任せればいいのに――と、瞬はふと思ったのである。
その毒草を料理女から受け取った時、瞬は何も考えていなかった――何も考えていないいつもりでいた。
そうでなかったことに瞬に気付いたのは、厨房を出て、そのまま自室に戻ろうとした瞬の肩に、
「詰まらん考えは捨てろ」
という声が降ってきた時だった。

「え」
その声で、瞬は はっと我にかえることになったのである。
瞬が顔をあげ振り返ると、厨房の出口の脇に一人の青年が立っていた。
無造作に切られた黒い髪と漆黒の瞳。
瞬より3、4歳は年上に見えるが、それは背の高さがそう思わせるだけで、実際はもう少し若いのかもしれない。
そんな青年が、冷淡というよりは無感動といった方がいいような目で、瞬を見おろしていた。

「僕は何も――」
そう答える声が、やましいことなど何ひとつないというのに弁解じみた響きを帯びている。
それで、瞬は初めて気付いた――自覚したのである。
自分が何を考えて、料理女の手から その毒草を預かったのだったかを。






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