「瞬……」
氷河が修道院長に到着の挨拶をしている最中に院長室に現われた瞬の姿に、氷河は続く言葉を失った。
瞬の登場に、彼はそれほど驚いたのだが、
「誰があなたをここに案内したのです。ここは女子修道院ではない! いくら男装していても、じょせ……女性は――!」
修道院長の驚きは、氷河の比ではなかったらしい。
「瞬は男だ!」
おかげで氷河は、神に仕える者は生身の人間の性別も見極められないのかと憤り、沈黙・静寂を旨とする修道院内に大きな怒声を響かせることになったのである。

神に対するのと同様に絶対服従しなければならない修道院長を怒鳴りつけてから、氷河は改めて険しい声で瞬に命じた。
「馬鹿、なぜ来たんだ! 今すぐここを出ろ! 帰れ! ここがどういう場所なのか、おまえは わかっているのか !? 」
瞬は、氷河に問われたことに、言葉を用いる代わりに首を縦に振ることで答え、それから ゆっくり静かに左右に首を振った。

「氷河を俗世に連れ戻せなかったら、一緒に修道士になれと命じられてきたの。氷河と一緒でなきゃ帰れないよ」
「俺以外の誰に、そんなことをおまえに命じる権利があるというんだ!」
「地位も身分も捨てて修道士になろうとしている氷河には、なおさらその権利はないと思うけど」
「……」

微笑みで氷河に反論し、彼を黙らせてから、瞬が、修道院長の机の上にカミュから預かってきた手紙をそっと置く。
未だに瞬を男子と信じかねているらしい院長に それを直接手渡しでもしたら、彼はひきつけを起こすのではないかと、瞬は懸念したのかもしれない。
氷河に少々遅れて到着した“少年”を修道士見習いとして受け入れてほしいと記されているのだろう文を院長が読み終わるのを待っている瞬の腕を、氷河は力任せに掴みあげた。

「今すぐ帰るんだ。修道士の生活というものがどんなものかわかっているのか。ここにあるのは、詰まらない祈りと つらい労働で明け暮れる退屈な毎日なんだぞ。とても、他人に命じられてやってきたような者に耐えられる暮らしじゃない……!」
修道院内に大声を響かせること、感情を露わにして激昂すること、俗世での地位を振りかざして人に指図すること――それらの行為すべてが修道院の戒律に反するものだという事実を 遅ればせながらに思い出して、氷河は低く抑えた声で瞬に命じた。
瞬が、氷河より更に小さな声で囁くように言う。

「でも、氷河と一緒にいられる」
「……」
氷河が続く言葉を発することができなかったのは、彼が既に瞬に何事かを命じる権利を持っていなかったから――ではなかった。
言葉に詰まった氷河の様子を見て、瞬は嬉しそうに微笑した。
その微笑に出会って、氷河は完全に反駁の言葉を紡ぎ出すことができなくなってしまったのである。

目を通していた手紙を机の上に戻し、院長が顔をあげる。
手紙を読み終えた院長が、
「C伯爵家からは、こちらの少年……も修道士見習いとして当修道院に受け入れてほしいとの要請がありました。それでよろしいですか」
「はい」
院長が尋ねた相手は氷河だったのだが、院長に答えを返したのは瞬の方だった。
瞬の素早い返答が、彼の元の主人に口を挟む隙を与えまいとしてのものだということはわかっていたのだが、氷河は瞬の答えを打ち消してしまうことができなかったのである。

氷河の沈黙を、修道院長は肯定の返事と解したらしい。
彼は浅く頷き、掛けていた椅子から立ち上がった。
「では、その退屈な毎日についての説明をいたしましょう」
氷河が、氷河にしては抑えた音量で瞬に告げた言葉を、修道院長はしっかり聞いていたらしい。
さすがに、氷河は気まずい顔になった。

「我々修道士の務めは、自分自身を神が望まれるように変容させることです。政治経済戦争等によってではなく精神で、この世界をよりよいものに変えること、そのために祈ることが、我々に課せられた第一の義務になります。そして、精神をより高次のものにするために、日々の生活を律し、また様々の労働を行なわなければなりません。起床は朝2時、起床時の祈祷のあと、朝の祈祷、ミサと朝食を済ませたら、集会を行ないます。夜明けから昼まで労働、短い午睡の後に、午後の祈祷、日没まで午後の労働、夜の祈祷、その後 夕食をとり、就寝前の祈祷。労働は、水汲みや製粉作業、院内の畑の世話、院内の清掃、祈祷書の写本等があり――」

瞬は神妙な顔で院長の話を聞き、氷河は、そんな瞬を睨みつけるのに夢中で(?)、ほとんど院長の説明を聞いていなかった。
「当修道院の戒律の第一は『祈り、そして働け』。厳しい生活に耐えて徳を積み、神のもとに下るべく、誠心誠意 務めてください」
ともかく、そういう経緯で、氷河と瞬の見習い修道士としての生活は始まったのである。






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