- II -






修道院長が氷河を院長室に呼びつけたのは、翌日の朝の祈祷を終えたあと。
氷河に渾身の力で壁に叩きつけられた男は、肩の骨が砕け、修道院の施療院の寝台に縛りつけられているという話だった。
「これも神が彼に与えたもうた試練でしょう。彼は、俗世でもあの調子で、さる やんごとない姫君に乱暴を働き、その処罰を逃れるために親族によってここに入れられることになった気の毒な青年なのです。彼に罪を重ねさせなかったのは、お手柄でした」

院長は、修道士にあるまじき氷河の暴力を責めることはしなかった。
説教されたら院長室だろうが礼拝堂だろうが思い切り暴れてやろうと意気込んでいた氷河は、院長に説教されるどころか逆に褒められて、少々気が抜けてしまったのである。
そんな氷河を見やり、修道院長が机の上で両手を組む。
彼は一度深く吐息してから、再度、おもむろに口を開いた。

「問題は、瞬さんの方で――あの子をここに置くのは、やはり神の意に沿うことではないと思うのです。もともとあの子は自ら修道士になることを望んでここに来たのではなく、あなたの叔父上の命令で、あなたのためにここに来たのですし。ですから……あの子のいるべき場所に、あの子を送り届けてやりなさい。馬車などは用意してやれないが、ロバを一頭貸しましょう」
院長の決定は至極妥当なもので、氷河も その決定に反対するつもりはなかった。
氷河はむしろ、彼の指示のあとについてきた単語の方に眉根をひそめることになったのである。

「ロバ?」
ロバとは、あの短足で滑稽な姿をした、だが大人しく勤勉な生き物のことだろうか。
理解不能の顔をした氷河に、院長は浅く頷いた。
「修道士の乗り物といったらロバに決まっているでしょう。馬に乗った修道士の話など聞いたこともない」
「……俺がロバなんかに乗ったら、重みでロバが潰れてしまうだろう。だいいち、ロバの脚より俺の脚の方が長い」
「そうでしょうね」
氷河の主張に、修道院長が控えめに苦笑する。

「ですが、あの子を乗せるには十分でしょう。5日もあればお館に着きますよ」
ロバで5日のその距離を、氷河は馬で一日で駆けてきたのである。
瞬を伯爵領の館に連れ戻す役目を担うことには何の不満もないが――むしろ、自分から手を挙げて その役目につきたいところだったが――馬も使えない修道士の生活の不便非効率には、氷河も辟易しないわけにはいかなかった。
「途中には宿のある町も2、3ありますし、イエスが試練に臨んだ荒野ほど悲惨な地を行くわけではありません」
「……」
それはつまり、運よく宿のある町に当たらなかったら、瞬に野宿をさせろということなのだろうか。
季節は真冬だというのに。

「これは、修道院の冷たく硬いベッドを有難く思うためのよい試練になりますよ」
と微笑んで言う院長に見送られ、氷河が瞬を連れて至聖三者大修道院をあとにしたのは、翌日の午後のこと。
瞬が神に愛されているのか、氷河が神に愛されているのか、その夜 早速、二人は神の恩寵を実感することになった。
つまり、神の下された有難い試練によって、二人は初日から 見渡す限り人家の一軒もない荒野で野宿をすることになったのである。






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