氷河と瞬が館に着くと、カミュは満面の笑みを浮かべて、見習い修道士の姿をした二人を出迎えてくれた。
カミュは、どう見ても、可愛い甥が俗世に戻ってきてくれたものと思い込み喜んでいる。
彼に命じられた任務に失敗したことになる瞬は、そんなカミュの前で項垂れることになってしまったのだった。

「申し訳ありません。修道士不適格者として、修道院を追い出されてしまいました」
「そうだろう、そうだろう」
にこにこ笑っているカミュは、瞬の言う『修道士不適格者』を氷河のことと決めつけている。
瞬の肩身はますます狭くなった。
「ち……違うんです。修道院にいるのは迷惑と言われてしまったのは僕の方で、あの……」
「なに?」
瞬の告白は、カミュには、青天の霹靂に相当するほど思いがけないものだったらしい。
清貧・貞潔・従順――それらの言葉は 瞬のためにあるような言葉だと、カミュは思っていたに違いなかった。

そうなった理由を、瞬はとても自分で説明することはできず、氷河は説明したくない。
氷河は、その経緯には一切触れず、
「修道院長から手紙を預かってきた」
と言って、修道院長からの手紙をカミュの執務用の机の上に放り投げた。
怪訝そうな顔をして、手紙の封を切ったカミュの顔が、文を読み進むにつれて強張っていく。
「これは……」
低く呻いて、不快そうに口許を引き結んだカミュは、一度瞑目してから、その顔をあげた。
「私の考えが至らなかった。申し訳ない」
カミュの謝罪を受けて、瞬はすぐに首を左右に振ったのである。
そんな事態が起こる可能性にカミュの“考えが至って”いたら、それこそ瞬には侮辱以外の何ものでもなかった。

「だが、これも神のお導きだろう。氷河もこのまま、ここに留まれ。修道院長も、もしそうしたければには、そうしても構わないと言ってくれている。ロバは返してほしいそうだが、氷河にも十分に不適格者の資格があるそうだ。瞬もそうすべきだと思うだろう?」
カミュが氷河にではなく瞬に意見を求めたのは、氷河から異議を唱える機会を奪うためだったろう。
しかし、彼が意見を求めた修道士不適格者は、カミュの期待に応えることができなかったのである。
瞬は、再度、カミュの前で首を横に振った。

「氷河の希望を叶えてあげてください。人は、祈りによって、武力によって、知力によって、世界をよりよくするために人それぞれの場所で努めるものです。僕は、氷河は俗世で領主として生きるのがいちばんいいと思ったから、氷河を連れ戻せというご命令にも従いました。僕は、氷河の幸せは修道院なんて閉じられた場所にはないと思っていましたし、氷河はただ意地を張っているだけなのだと思っていたんです。でも、そうじゃなかった。氷河は、意地を張っているのではなく、他の修道士たちのように逃避や道楽でもなく――氷河なりの考えがあって、氷河なりの幸福を求めて、修道士になる決意をしたんです」
「なに?」

カミュが、援護射撃を期待していた味方に背後を突かれたような顔になる。
少しく戸惑ったように、彼は瞬に尋ねてきた。
「それは――氷河は何か気に入らないことがあって臍を曲げているのではないということか? ただの軽率な気まぐれではないと?」
「軽率な決意ではないと思います。僕だって、せっかく神に与えられた氷河の才能を発揮する機会が失われるのは惜しいことだと思う。ですが、氷河は、俗世への絶望や厭世のためではなく、自分が幸せになるために修道士になる決意をしたと言っていました。嘘とは思えなかった。氷河は、清貧の中に自分の幸福を見い出したいと望んでいるんです。氷河の幸福は、僕たちの価値観では量ることのできない高次の場所にあるんです」
「む……」

瞬の真剣な訴えに、カミュは説得されてしまいそうになったのである。
瞬の言葉を聞いた氷河が、少しく気まずそうな表情を浮かべていることに気付かなかったら、おそらく彼は瞬の真摯な言葉と懸命な態度に説得されてしまっていただろう。
だが、カミュは、氷河の口許が僅かに引きつっていることに気付いてしまったのだ。

カミュは、その表情に見覚えがあった。
長じてからは あまり見なくなっていたのだが、幼い頃には毎日のようにその表情を見かけていた。
『僕の若様は、天使のように綺麗で、天使のように優しいの』と、天使のように綺麗で天使のように優しい瞬に言われるたび、氷河はそういう表情を浮かべていた。
つまり、氷河がそういう表情を浮かべるのは、彼が過大評価されている時だったのだ。
ということは、今 瞬が告げた言葉は、氷河を事実より良い方向に誤解した言葉だということになる。
カミュは、だから、確信したのである。
氷河が修道士になると言い出したことの裏には、到底 高次高尚とは言い難い――むしろ低次低俗な――何らかの企みがあるのだと。






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