氷河が客間のドアを蹴破って室内に入っていかなかったのは、彼が客間のドアを開けようとした まさにその瞬間、ある単語が彼の耳に飛び込んできたからだった。
「そういえば、ギャラクシアン・ウォーズというイベントを――」
『ギャラクシアン・ウォーズ』――城戸沙織が聖闘士のバトルを見世物にするために計画しているイベントの名を、客間のドアの向こうで、城戸沙織の声ではない声が語っていたのである。

そのイベント開催の目的を、城戸沙織はイベントに強制的に参加させられる聖闘士たちに決して語ろうとしなかった。
生きて日本に帰ってきた聖闘士たちは、そのイベント開催の事実を知らされてからずっと、その目的は何なのかと疑い続けていたのである。
否、彼等は、そもそも城戸光政が多くの孤児たちを聖闘士に仕立て上げようとした その目的自体を知らず――知らされず――ゆえに、城戸光政の意図と目的を疑っていた。

そのイベントの名が、沙織以外の者の声で語られている。
何かが――イベント開催の目的というより、聖闘士養成の目的が――わかるかもしれないと考えて、氷河は、現在 客間で交わされている会話を中断させることを思いとどまることになった。
客間のドアに手をかけたところで動きを止めた氷河に、星矢と紫龍が ほっと安堵の息をつく。
そして、彼等もまた氷河同様その場で耳を澄ますことになったのである。

沙織を訪ねてきている客人は女性のようだった。
その声の響きからして、おそらくは城戸沙織と同年代の少女。
その事実――意外な事実――に興味津々で、星矢が客間のドアを数センチだけ開ける。
隔てるものが取り除かれると、客間で交わされていた城戸沙織と彼女の客人の声は、少し明瞭さを増して聖闘士たちの耳に届けられるようになった。

「グラード財団で、ギャラクシアン・ウォーズというイベントを計画しているそうですね。聖闘士という特別な力を持った者たちを戦わせるとか。その人たちに会ってみたいのですが」
声から察せられた通り、客人は城戸沙織と同年代の少女だった。
二人の少女が、テーブルを間において、向かい合ってソファに座っている。

「会ってどうするのです」
星矢たちには見覚えのない少女の要望の意図を尋ねる沙織の声には、僅かに苛立ちの響きが含まれていた。
客人は、いわゆる 招かれざる客だったのかもしれない。
沙織はいつも多忙で、6年もの修行の果てに聖闘士になって帰国した者たちに ねぎらいの言葉をかける間もないようだったから。
沙織の苛立ちに気付いたふうもなく――おそらく、わざと気付いていない振りをして――客人が滑らかな口調で沙織に答える。

「アフリカは日本のように治安がいいとは言えません。暴動争乱が日常茶飯事ですし、邦人が誘拐される事件も頻発しています。アフリカの惨状を知り、救いの手を差しのべたいと考える人は少なくないのですが、治安の悪さを懸念して二の足を踏んでいる人たちがほとんどなのです。尋常でない力を持つ強い方々なら、そういったことに恐れを感じることもなく、アフリカの虐げられた人々を救うために努めてくれるのではないかと思ったものですから」
「私の聖闘士たちは、そういったことのために戦うことはしません」
「では何のために戦うんです? 聖闘士という人たちは、いったい何のために尋常ならざる力を身につけたの。平和な国で安穏と暮らしている人たちの見世物になるためですか?」
「……」

城戸沙織は、その質問には答えを返さなかった。
その答えは、星矢たちが 今 最も知りたい事柄でもあったのだが。
星矢たちには、かろうじて二人の少女の横顔を垣間見ることができるだけだったのだが、それでも客人がやわらかい微笑を浮かべており、沙織が顔を強張らせていることだけは見てとれた。


「あの女の子、何者だ? グラード財団の総帥サマに向かって、いい度胸じゃん。さすがのお嬢様がたじたじだぜ」
氷河の殴り込みを止めるために ここに来ていたはずの星矢が、客間の盗み聞きに いつのまにか最も熱心になってしまっていた。
一応、彼なりに抑えた声で、星矢が愉快そうに一人ごちる。
紫龍は、この場を離れようと 仕草で星矢に促したのだが、星矢は盗み見と盗み聞きやめる気は毛ほどにもないようだった。

「ここに通されて、お嬢様とサシで話をするのが許されてるってことは、敵もいいウチのお嬢様なんだろうけど……。なのかな?」
星矢が客人を“いいウチのお嬢様”と断言しきることができなかったのは、どうやら沙織と対峙している少女のボーイッシュな服装のせいだったらしい。
「いいウチのお嬢様ってのは、沙織さんみたいに、いつも無駄にずるずる長いドレスを着ているのかと思ってたけど、みんながそうってわけでもないのかな。俺、いいウチのお嬢様って沙織さんしか知らねーから、よくわかんねーや」

聖闘士養成の目的どころか、ギャラクシアン・ウォーズ開催の目的にも無関係な事柄を真面目に(?)考察している星矢に、紫龍が深い溜め息をつく。
結局 彼は、星矢をドアの隙間から引き剥がすことを諦めざるを得なくなった。

「アフリカのNPOに関わっている人物のご令嬢らしい。NPO法人というものは、基本的に民間や個人の善意の寄付金によって運営されていることになっているからな。で、グラード財団に支援を求めてきた。父親について治安の悪いところにも行っていたそうだし、アフリカの惨状を目の当たりにして、恐いもの知らずなんだろう」
低い声で囁くような紫龍の説明に、星矢が仲間の方を振り返ることなく頷く。

「沙織さんは、所詮、自分の身を危険にさらすことなく、安全なところにいて威張ってるお嬢様だからなー」
「どっちにしても、俺たちを利用しようとしていることに変わりはない。あの女も城戸沙織と同じだ」
星矢が露骨に興味津々な様子を見せるので、氷河は逆に気勢を殺がれてしまったらしい。
その上、ここでこれ以上 盗み聞きを続けていても知りたいことを知ることはできなさそうである。
この場に星矢を連れてきたのは他でもない氷河だったのだが、彼自身は むしろ星矢の熱心に呆れ始めていた。
そんな氷河の様子に力を得たように、紫龍が再び氷河説得に取りかかる。

「なら、なおさら関わらない方がいい。今ここで おまえが中に飛び込んでいったら、俺たちは、それこそ 飛んで火に入る夏の虫だ。この中にいるのは、俺たちを見世物にしたがっているお嬢様と、アフリカでこき使うことを企んでいるお嬢様なんだからな」
「……」
紫龍の言には一理があった。
一理どころか二理も三理もあった。
今 聖闘士たちが客間に飛び込んでいって、客人の前で沙織を罵倒し始めたら、客人はこれ幸いとばかりにアフリカへの招待状を聖闘士たちに手渡そうとしてくるに違いないのだ。
ギャラクシアン・ウォーズの参加証とアフリカへの招待状。
氷河は、そのどちらにも全く魅力を感じなかった。

「城戸沙織を殴り倒すのは、客が帰ってからにした方がよさそうだな」
君子 危うきに近寄らずと、俗に言う。
氷河が客間のドアの前で踵を返し、紫龍もそのドアに背を向けると、さすがの星矢も それ以上客間の二人のやりとりに執着し続けることができなかったらしい。
盗み見・盗み聞きの罪を一人で負うのはごめんとばかり、星矢も慌てて仲間たちのあとを追うことになった。






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