そういう経緯で、アテナの聖闘士たちは連れ立って元のラウンジに戻ることになったのだが、彼等は結局 第二のお嬢様と対面することになってしまったのである。
第二のお嬢様は かなり我の強い少女らしく――何と言って城戸沙織を説得したのかは定かではないが、彼女は聖闘士に会いたいという自身の望みを叶えてしまったのだ。

沙織に部屋のドアを開けさせて、彼女は颯爽と 星矢たちのいるラウンジに入ってきた。
少年と見紛うスレンダーな身体を綿のシャツとパンツで包んだ客人と、客人のためにドアを開ける長いドレスのグラード財団総帥。
滅多に見られない光景に聖闘士たちはぎょっとし、滅多に見られない光景だからこそ、聖闘士たちはその光景に きまりの悪さを覚えて、我知らず二人の少女から視線を逸らすことになったのである。

「聖闘士のみなさん、はじめまして」
第二のお嬢様が その場にいた聖闘士たちを一渡り見回してから、明るく屈託のない声で挨拶してくる。
「どーも」
星矢は、なるべく客人と目を合わせないように注意しながら素っ気ない声で挨拶(?)を返した。
なにしろ彼女は、目が合った途端、聖闘士たちにアフリカへの招待状を押しつけてくるかもしれない人物なのだ。
そうそう愛想良く振舞うことはできない。

星矢に比べれば礼儀を知っているはずの紫龍も、あまり礼儀正しいとはいえない態度で無言で軽い会釈をしただけ。
氷河に至っては、掛けていたソファから立ち上がりもせず、窓の外に視線を投げて そっぽを向いたまま、客人の方を振り返ろうともしなかった。
沙織はといえば、そんな聖闘士たちの失礼を注意するでもなく、複雑そうな目と表情を、アテナの聖闘士たちと第二のお嬢様に向けている。

恐いもの知らずのお嬢様の目にも、その場に誰もいないかのように振舞う氷河の態度は奇異に映ることになったらしい。
「あの……彼はどうかなさったの」
アフリカ帰りのお嬢様が そう尋ねたのは、彼女のために声を発することをしてくれた、その場で唯一の人物――星矢だった。
「あ、気にしないでやってくれ。あんたのせいで ふてくさってるわけじゃないから」

星矢の対応と言葉は、到底 丁寧と言えるようなものではなかった。
そして、客人の疑念を晴らすものでもなかった。
おそらく この場で客への礼儀を知っているということは、あまり幸運なことではないだろう――と紫龍は思ったのである。
さすがに気まずさを覚えて、入れたくないフォローを入れながら。

「あいつは――帰ってくると信じていた仲間が死んだと知らされて、沈んでいるんです」
「え?」
「聖闘士候補として、それぞれの修行地に送り込まれた子供は百人近くいたんです。だが、聖闘士になって帰ってこれたのは俺たちの他に あと数人いるだけ。中でいちばん泣き虫で大人しかった子が死んだという連絡を、ついさっき受けとって――」 
「氷河は、でも、きっと瞬は生きて帰ってくるって信じてたからなー。誰も口にはしなかったけど、瞬がいちばん危ないって、みんな思ってたのに」
紫龍の丁寧語での説明で自分の失礼に気付いたわけでもないだろうが、星矢が脇から補足説明を入れてくる。
星矢は決して丁寧語や深刻な言葉を用いたわけではなかったが、彼の声には痛ましさと苦渋がにじんでいた。

「あ……」
平和な日本で安穏と暮らしているお嬢様よりは争乱や危険に慣れているはずの第二のお嬢様にも、人の死は やはり慣れて無感動になることのできない事柄だったのだろう。
それがたとえ一度も会ったことのない、見知らぬ子供の死であったとしても。
氷河の礼を失した態度の訳を知らされた第二のお嬢様は、相変わらず客人に そっぽを向いたままの氷河の肩に視線を落とし、切なげに眉根を寄せた。

“一人の人間の死”という厳粛な事実に遠慮して、彼女がこのまま帰ってくれることを、紫龍は内心で期待したのである。
紫龍は、それがどういう形であれ、誰であれ、今 氷河を刺激することだけはやめてほしかった。
数年前には気性が荒く気まぐれな腕白小僧にすぎなかった氷河は、今では聖闘士という常人には持ち得ない力を持ったものになってしまっているのだ。
だというのに、彼の性格は6年前の彼と大して変わっていないように、紫龍には思われた。

起伏の激しい性格に、尋常ならざる聖闘士の力。
そんなものを備えてしまった氷河は、ちょっとした刺激によって何をしでかすことになるか わかったものではない。
再会を果たしたばかりで、氷河の力は、仲間たちにも未知数。
本音を言えば、紫龍は、万一氷河が暴れだした時、彼を押さえきる自信がなかったのである。

たが、お嬢様というものは、どこのお嬢様も、基本的に恐れというものを知らない人種のようだった。
紫龍の懸念を嘲笑うかのように、アフリカ帰りのお嬢様が、一人掛けの肘掛け椅子に腰掛けて横を向いている氷河の側に、恐れも遠慮も感じられない足取りで近付いていく。
紫龍は、これから展開されることになるかもしれない惨状を見ないために、本気で目を覆いたくなった。

「城戸沙織さんをどう思います?」
氷河の掛けている椅子の前で立ち止まると、第二のお嬢様は、その場に沙織がいるというのに、声のボリュームを抑えることもなく、よく通る声で氷河に尋ねた。
「なに?」
ここで不幸な子供への弔意を示されても白々しいだけだったろうが、その件に全く触れず、別の話題を持ち出す彼女の神経も あまり普通ではない。
『お友だちは お気の毒でしたね』とでも言われていたら癇癪を爆発させていただろう氷河は、彼女の意想外の話題転換に、一瞬 虚を衝かれたような顔になった。

「グラード財団もしくは城戸沙織さん個人に、アフリカの窮民救済への協力を要請しているのですが、お金と人だけを出してもらって、それでよしとすべきか、あるいは、心からの支持を取り付けられるよう努めるべきかを迷っているんです。あなたならどうします? あなたは彼女をどういう人物だと思っていますか」
死は厳粛なものである。
だが、アフリカで飢えや病のために死の脅威にさらされている数万数中万の窮民の苦しみに比べれば、たった一人の子供の死など、彼女には取るに足りない問題だったのかもしれない。

自分の目的の遂行を何よりも優先させようとする第二のお嬢様の発言に、氷河は不快を覚えたようだった。
にもかかわらず、氷河が第二のお嬢様の無慈悲無情を責めなかったのは、彼女の質問に答えることが、瞬を死に追いやった城戸沙織への意趣返しになると考えたからだったらしい。
質問者ではなく城戸沙織を睨んで、氷河は第二のお嬢様の質問に答えることをした。

「あの女のオジイサマが何をしたのか知っているのか」
「おおよそのところは聞いています。聖闘士にするために、多くの幼い子供たちを世界各地に送り込み、帰ってこれなかった子供たちもいたとか。それでも 生きて帰ってきた子供の方が多かったのだろうと思っていたのですが、そうではなかったようですね」
「瞬は死んでしまったのに、あの女は生きている。俺があの女に好意を持っていると思うか」
それは、アフリカ帰りのお嬢様ではなく、城戸光政の孫娘に聞かせるための言葉である。
氷河のすぐ前に立っている質問者への答えにしては、氷河の声は不必要に大きいものだった。
氷河の声と言葉が耳に届いていないはずがないのに、沙織は反論や言い訳に及ぶことなく、ひたすら無言無表情だったが。

「瞬……さんというのは、あなたのお友だち?」
氷河が沙織にぶつけた挑戦状に答えてきたのは、アフリカ帰りのお嬢様の方だった。
期待していたものを得られなかった氷河が、苛立ったように片眉を歪める。
無言で沙織を睨みつけている氷河に、第二のお嬢様は、なぜか沙織を庇うようなことを言い始めた。

「彼女が あなたのお友だちを死に追いやったわけではないでしょう」
「実際に瞬をアンドロメダ島に送ったじじいは死んだ。あの爺の代わりに、俺が恨める相手はその女しかない」
「あなたの亡くなったお友だちが、それを望むでしょうか」
「瞬がそんなことを望むわけがないだろう! 瞬は、人を憎むとか恨むとか、そんなこと、思いつきもしないような奴だった! だから、俺が瞬の代わりにあの女を憎んでやるんだ!」
「それはあなたの自己満足にすぎません」

事態が望む方向に進んでいかないことに苛立ち 声を荒げた氷河に、第二のお嬢様が静かな攻撃と非難を投げてくる。
『聖闘士たちは、平和で豊かな国で大衆の見世物になるよりも、アフリカの窮民救済に その力を注ぐべき』というのが彼女の希望のはずである。
それゆえ、彼女は、ここで聖闘士たちに城戸沙織を非難させたがっているのだと、氷河は――星矢たちも――思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
第二のお嬢様の真意を量りかね、氷河は初めて その視線を第二のお嬢様の方へと巡らせたのである。
途端に、氷河は その顔を凍りつかせた――否、彼は全身を凍りつかせた。
「瞬……」

「なに……?」
紫龍と星矢が、氷河の唇から洩れ出てきた思いがけない人の名に目をみはる。
二人は反射的に、氷河に その名を呟かせた少女の顔を確かめようとした。
しかし、その時には既に、彼女は氷河にも星矢たちにも背を向けて、この邸の女主人の方に向き直ってしまっていたのである。
「沙織さん、女性でよかったですね。男性だったら、あなたは、お友だちを奪われた恨みのせいで、彼に殺されてしまっていたかもしれませんよ。あなたのお祖父様が身につけるように仕向けた尋常ならざる力で」

「……そうかもしれないわね」
それまで無言無表情を貫いていた沙織の声は、少しかすれていた。
氷河の攻撃は、もしかしたら確実に彼女の胸を傷付けていたのかもしれない。
それまでの無言無表情は、無感動や冷徹のためではなく、ただ彼女に反論や自己弁護を試みようとする意思がなかっただけのことだったのかもしれなかった。

「我儘をきいてくださってありがとう。おかげで聖闘士がどういうものなのか、わかったような気がします。とても――優しい人たちなんですね」
第二のお嬢様は、そう言って沙織に微笑いかけたようだった。
彼女に背を向けられてしまった聖闘士たちには、それがどういう意図で作られた微笑なのかを読み取ることはできなかったが。
彼女に微笑まれた沙織自身、氷河が口にした人の名に驚いて、通常の観察眼や判断力を発揮できず、彼女の意図を見極めることはできなかったらしい。

第二のお嬢様は、そうして、沙織に会釈をすると、やわらかい印象が強いのに 隙のない身のこなしで、案内も乞わずにラウンジを出ていってしまったのである。
懐かしい人の幻を見せられ、その衝撃で言葉も動くことさえ忘れてしまったような氷河と、そんな氷河の態度を訝ることしかできずにいる彼の仲間たちを、その場に残して。






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