厳格な兄と寛容な弟が調和を保ち統治する、戦いの女神の加護を受けた平和な国。
その調和と平和が乱れることになったのは、戦いの女神の加護を受けているスキュティアの国に、攻めてくるはずのない国の軍が攻めてきたせいだった。
兄弟の国の北に位置する大国ヒュペルボレイオス。
そのヒュペルボレイオスの国の東方にある領地の領主、スキュティアとは北と東で国境を接している領地の領主が、突然 何の前触れもなくスキュティアとの国境を侵してきたのだ。

北の国の一領主が侵入してきたのは、スキュティアの国では最も麦の収穫のある重要な地域。
その重要な土地に侵入してきたヒュペルボレイオスの領主は、僅かな手勢で国境地帯にあった砦を あっというまに押さえてしまったのである。
それが 北の国の王の命令によるものなのか、あるいは領主の個人的な野心によるものなのかはわからなかったが、その電光石火の早業にスキュティアの国の者たちは大いに慌てることになった。

なにしろ、スキュティアとヒュペルボレイオスの国境は、夏場でも越えるのが困難なリバイオス山脈によって形成されているというのに、ヒュペルボレイオスの領主の軍は、最も山越えの難しい真冬に、深い雪を物ともせず国境の山を超えてきたのだから。
その天然の要塞が破られたということは、スキュティア国の北の守りがほとんど失われたと言っていい事態だったのである。
ヒュペルボレイオスの領主は、険しい山によって守られていた――つまりは人の手で守られていなかった――スキュティア国で最も防衛の手薄な場所を、的確かつ大胆に攻めてきたのだ。
一輝は当然、すぐに敵軍撃退のために遠征軍を率いて、国の北方に向かうことを決定した。

「全く それらしい兆候を見せずに、これほど迅速に国境を侵され 砦を押さえられてしまったのです。今回のことは周到な用意をした上での侵略だと考えるのが妥当です。こちらも相応の軍備を整えてから向かった方がいいのでは――」
知らせを受けるや、一瞬の逡巡も見せず、撃退のための軍の編成と当日中の出兵を決めた兄に、瞬は懸念を覚えることになった。
特に友好的というわけでもなかったが、2世紀以上もの長きに渡って相互不干渉を維持してきた国の突然の国境侵犯。
豊かな小国を我が物にしたいという軽率な野心でスキュティア国に攻め込んできた これまでの侵略者たちの場合と、今回の国境侵犯を同じものとして対処するのは危険だと、瞬は考えたのである――考えないわけにはいかなかった。

「しかし、あちらの兵は200足らずだそうだ。小国とはいえ一国を攻めるには少なすぎる兵力ではないか。我が国は、数だけなら、その倍の兵を 今日中に集められる」
「それも奇妙です。たった200の兵で自領から出てくるなんて。食料の補給も困難な場所、しかも この季節になぜ――」
200の兵では、国境を侵すことはできても、スキュティアの懐 深くまで攻め進むのは まず不可能なことである。
夏場なら、豊かに実っているスキュティア国内の作物を略奪して都に攻めのぼることもできなくはないが、冬場ではそれは期待できない。
民家を略奪することは可能だが、敵が攻め入ってきたのは、穀倉地帯だけあって大規模な町はなく、民家自体が少ない地域なのだ。
しかも、この時期、収穫物の大部分は都に移送済み。
血気に逸った一介の傭兵ならともかく 自らの領地を持つ人物が、そのあたりの事情みを知らないということは考えられない。
あまりに無謀すぎて北の国の領主の侵略の意図が掴めず、それゆえ、瞬の胸中に生まれてくる不安は容易に消し去り難いものだったのである。

「しかし、とにかく、この国と民は王に守られているのだということを 民に知らせて安心させてやらなければならない。この城の守りは、おまえに任せる」
侵略者は討たなければならない。
それは瞬にもわかっていた。
地の利は、侵入者ではなく、防衛軍の側にあるということも。
急ぐあまり敵と同数の兵力のみでの出兵を断行してしまった兄に、それでも 瞬は懸念を覚えないわけにはいかなかった。






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