現状は打破したい。
これから毎日、おどおどしている瞬の姿を見せられ続けることだけは御免被りたい。
その事態を避けるためには、瞬の奇妙な態度の原因を探り、解決策を講じなければならない。
それは わかっていた。
わかっていたにもかかわらず、紫龍に、
「氷河では埒があかんな。やはり、瞬に当たるしかないか」
と言われた時、星矢は彼らしくなく逃げ腰になってしまったのである。
『瞬に当たる』などという恐ろしいことを言い出した紫龍に、星矢は、ほとんど畏怖だけでできた眼差しを向けることになった。

「瞬に、そっち方面のことを訊くのかよ? 氷河とのナニの具合いはどうなのかって? 俺は訊けねーぞ、絶対!」
それは、星矢にとっては、氷河をとっちめるのとは全く次元の違う行為だった。
なにしろ、瞬は『地上で最も清らか』を枕詞にしている特異な人間。
瞬に冠せられる『清らか』の真意を、星矢は実はよくわかっていなかったのだが、とにかく瞬に その手の話を持ちかけると、瞬が尋常でなく恥ずかしがることだけは、星矢も知っていた。
瞬に、今時 思春期の乙女もここまでは――と言わんばかりの恥じらいを見せられると、星矢は全身が総毛立ち、かゆくなってしまうのだ。
星矢は、瞬を、『心優しく、神経細やか。信頼に足る、気の置けない仲間。ただし、猥談の相手にだけはしてはならない人物』と認識していた。

しかし、現状は打破したいし、打破しなければならない。
結局、星矢は、
「氷河は俺が担当したんだから、瞬はおまえが担当しろよ!」
と主張して、その困難な役目を紫龍に押しつけた。
そして、彼自身は『瞬に当たる』という作業にはオブザーバーとしてのみの参加と宣言し、場に臨むことにしたのだった。

そういう経緯で設けられた、瞬とのミーティングの場。
紫龍は、さすがに星矢よりは練れていた。
彼は、
「瞬。おまえが氷河とのことをどう考えているのか、忌憚のないところを聞きたいんだが」
と言って、実に婉曲的に、だが非常に直截的に、瞬に“その手のこと”を問い質してみせたのである。
紫龍の質問の仕方は、適切かつ巧みなものだったろう。
“その手のこと”を訊かれた瞬に、『今時 思春期の乙女もここまでは』と言わんばかりに恥じらうことをさせなかったのであるから。

が、質問が適切なものであれば、良い答えが得られるとは限らない。
紫龍の適切な質問に対する瞬の返答は、
「氷河は悪くないの! 氷河は悪くないんだ!」
という、氷河の返答に比しても遜色がないほど要領を得ないものだった。
とはいえ、瞬は、決して平生の国語力や理解力を失っているわけではないようだった。
重ねて、紫龍が発した、
「じゃあ、誰が悪いんだ」
という質問が、暗に『おまえが悪いのか』と問うたものだということを、瞬は正しく理解できているようだったから。

瞬は、質問の意味や意図は正しく理解できているのだ。
その質問に対する答えが、普通でないものになってしまうだけで。
「何か……何か悪いものが氷河に取り憑いているんだと思う。邪神とか悪霊とか、そんなふうな、何か悪い魔物みたいなものが」
瞬の答えは、今度も珍妙奇天烈だった。
しかし、瞬はどこまでも あくまでも真顔。
おかげで、星矢と紫龍は、瞬の珍妙奇天烈な答えを 笑い飛ばしてしまうことができなかったのである。

「氷河に魔物が取り憑いている……?」
「氷河は悪くないの……。悪いのは、氷河に取り憑いている何かなんだ……!」
瞬は本気でそう信じているようだった。
氷河には悪い魔物が取り憑いているのだ――と。

そのこと自体も問題だったが、星矢と紫龍は、瞬の熱心で真剣な口調と眼差しに もう一つ別の問題があることを感じとらないわけにはいかなかったのである。
瞬の眼差しと口調は真剣そのもの。
だが、瞬は決して、その事実を仲間たちに信じてもらいたがっているふうではなかったのだ。
瞬は、むしろ、そう・・なのだと、懸命に自分に言いきかせようとしている。
瞬は、自分自身に、その荒唐無稽な推測を事実と信じさせるために真剣この上ない目をしている。
星矢と紫龍には、瞬の熱意はそういうものであるように感じられて仕様がなかったのである。

瞬にそんな態度を示されては、星矢もオブザーバーに徹してはいられない。
結局黙っていられなくなった星矢は、瞬に尋ねることになった。
「あー……。氷河に何か悪いもんが取り憑いてるんだとしてさ、氷河は いつ そんなもんに取り憑かれたんだよ?」
星矢にそう問われた瞬は、悲しげに瞼を伏せた。
伏せられた瞼の青白さが、瞬の本気――それが冗談でないこと――を如実に物語っている。
「多分……1ヶ月くらい前だと思う。氷河に呼ばれて、僕、氷河の部屋に行ったんだ。最初のうちはいつもの氷河だったのに、急に形相が変わって、それであの……僕に……」
「性交を強いたと」

もろに“その手のこと”が話題になっているにもかかわらず、瞬は、『今時 思春期の乙女もここまでは』と言わんばかりに恥じらう様子を見せない。
瞬は、暗く つらそうな顔で、ただ俯くように頷いた。
つまり、瞬にとって これは、思春期の乙女が恥じらうような浮かれた話題ではなく、氷河という仲間を見舞った深刻かつ重大な災禍の話なのだ。
少なくとも、瞬はそう信じている。

「氷河があんなひどいことするわけがないんだ! 氷河はいつも僕に優しかったもの。だから、氷河はきっと、何か 氷河じゃないものに取り憑かれて、それで あんなふうになってしまったんだ! 氷河が悪いんじゃない!」
瞬が懸命に氷河を庇えば庇うほど、瞬が必死になればなるほど、星矢と紫龍の胸中に生まれた模糊とした懐疑の念が大きくなっていく。
瞬は、氷河と違って嘘をつかない――つけない――という事実を知っているだけに、だからこそ、星矢と紫龍は 瞬の心情を危ぶむことになったのである。

「瞬。おまえ、言ってることがおかしいぞ。百歩譲って、氷河が本当に魔物だか何だかに取り憑かれてるんだとしてさ。てことは、おまえは毎晩、その氷河じゃないものの相手をしてるってことになるだろ!」
「だって……さ……逆らったら――そんなことして、氷河に取り憑いてる魔物に刺激を与えたりしたら、その魔物が氷河に何をするか わからないじゃない……!」
「……」

瞬の主張は、筋は通っている。かもしれない。
だが、そもそもの前提が間違っている。
星矢と紫龍は、そう思わないわけにはいかなかった。
今 彼等の前にいる瞬は、彼等が見知っている瞬とは、何かどこかが違っていた――何かがおかしかった。

「氷河は悪くない。いつかきっと元に戻る。大丈夫……大丈夫だよ……」
まるで自分に言いきかせるように繰り返し そう呟く瞬は、しいて何かに例えるなら、それこそ悪い魔物に取り憑かれて正気を失った人間のようだった。






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