氷河と瞬からの事情聴取によって、星矢と紫龍が得ることのできた最大の収穫は、『二人の認識が尋常でなく乖離している』という事実だった。
氷河は、『瞬が二人の同衾に際して、異様なほどの歓喜狂乱を示す』と言い、瞬は、『氷河は悪い魔物に取り憑かれて“あんなひどいこと”をした』と言う。
同床異夢もここまで はなはだしいと、実は、氷河は瞬でない瞬と、瞬は氷河でない氷河と、違うベッドで寝ているのではないかという疑念さえ湧いてくるではないか。
星矢と紫龍は、二人の異なる主張を どう整理統合して真実に辿り着くべきなのかを大いに迷うことになったのである。

「普通なら、無条件で瞬の言うことの方を信じるところなんだが、瞬の主張はあまりに夢想的というか、現実的でなさすぎるというか、少々 荒唐無稽すぎるというか――」
「氷河に悪い魔物なり悪霊なりが取り憑いてるのなら、俺たちにだって感じとれるよなー」
「夜だけ発動する魔物なのかもしれん」
「その魔物の名前が“助平心”だっていうのなら、俺はぐれるぞ!」
それは ありえないことではない。
というより、星矢と紫龍は、十中八九 そうだろうと思っていた。
だが、だからといって、氷河の言葉を完全に信じる気にもなれないのだ。
なにしろ、氷河の陳述内容は、あまりにも彼に(だけ)都合のよすぎるものだったから。

「確かめてみるか。まず、氷河の言っていたことが事実かどうか」
矛盾し 相反する氷河と瞬の証言。
とりとめがなく、まるで雲を掴むような現況。
この雲を晴らし、迷宮の出口に辿り着くには、何が真実で、何が虚偽・錯誤なのかを 一つ一つ解明していくしかない。

「えーっ !? 」
紫龍の提案を聞いた星矢が あからさまに不満の声をあげたのは、氷河と瞬の証言の裏づけを一つ一つ取っていくという地道な作業が、彼の性格に合わない仕事だったから、だった。
「確かめるって、どうやって !? 」
にもかかわらず、星矢が目を炯々と輝かせて身を乗り出すことになったのは、紫龍が確かめようと提案した氷河の証言の真偽に、星矢が多大な関心を抱いていたからだった。

「さすがに覗き見はしたくないから、氷河の部屋に盗聴器を仕掛けてみよう。それでおおよそのところはわかるだろう」
「盗聴器? んなもん、どこから調達するんだよ」
「どこからでも簡単に手に入る。通販でも買えるし、某電気街に行けば中古品なら1万を切る値段で売っているはずだ」
「へー。盗聴器って、そんなに手軽に買えるもんなんだ。けど――」
それは犯罪に当たる行為なのではないか――という考えが星矢の脳裏をちらりとかすめる。
かすめることは かすめたのだが、星矢の懸念は、『青銅聖闘士たちの友情のため』『氷河と瞬の恋の成就のため』『城戸邸ひいては世界の平和と安寧のため』等々の仰々しい大義名分によって、あっというまにどこかに蹴散らされてしまったのだった。

かくして、その夜。
星矢と紫龍は、疑惑の恋人たちが例の調子でラウンジを出ていくのを見届けた2分後には、紫龍の部屋に鎮座ましましている盗聴受信機の前で耳を澄ますことになったのである。
オタクでごったがえしている某電気街で、販売員の説明もろくに聞かずに購入してきた盗聴器の性能が その価格に見合ったものなのかどうかの判断は星矢にも紫龍にも判断できるものではなかったが、ともかく、25800円のその機械は、彼等の知りたいことを明瞭な音声で彼等に知らせてくれた。
氷河の部屋のドアが閉じられたあと、しばし室内に漂った微妙な沈黙と静寂の声さえも、はっきりと。

その沈黙は、主に氷河の ためらいによって作られているものだったらしい。
まもなく その沈黙と静寂の時の終わりが訪れたのだが、その時を終わらせたものは、甘い恋の囁きではなく、恋人同士の喜びに満ちた明るい睦言では 更になく、むしろ苦渋に満ち呻くような氷河の声だった。

「瞬。おまえ、本当は、俺とこういうことをするのが嫌なのか」
「あ……」
「本当のことを言ってくれ」
「あ……あ……」
氷河は、まだ・・何もしていないはずだった。
瞬に触れてもいないし、身に着けているものを取り除いた気配もない。
そして、氷河が口にしているのは、瞬を誘う言葉ではなく、瞬を求める情熱と焦慮から成る言葉でもなく、悲痛にすら聞こえる苦い懐疑の言葉。
だというのに、そんな氷河に与えられる瞬の声は 甘くなまめかしく、不可思議な艶さえ帯びていた。
「氷河……意地悪しないで。僕、苦しい……僕、氷河に触れてもらってないと、悲しくて苦しいの。お願い、助けて」

25800円の盗聴器は、衣擦れの音さえ細大漏らさず、星矢たちの耳に伝えてきた。
瞬が氷河にしがみつき、しなだれかかっていったらしい音。
二人のいる場所を知らせるベッドのきしみ。
氷河の苦いためらいが、瞬の甘い吐息に負けていく様。
氷河が瞬の誘惑に屈してしまうと、二人の攻守は逆転してしまったらしい。
瞬の声は溜め息のように細く頼りないものになり、氷河の息が大きく荒くなる。
しかし、獲物を捕らえた直後の獣のような氷河の呼吸の音は、まもなく氷河を求める瞬の喘ぎにかき消され、星矢たちには聞こえなくなっていった。

氷河の証言の裏付けはすぐに取れたのである。
氷河の愛撫に酔い始めると、瞬は、氷河が言っていた通りに、『氷河、もっと』を繰り返し始めたから。
「氷河、もっと……もっと触って」
最初のうち、それは控えめな“お願い”だった。
「ああ……もっと近くにきて。もっと強く……もっと乱暴にしていいの。ああ……もっと……どうして……氷河、もっと」
それが徐々に懇願の体裁をとった要求に変化していく。
併せて、瞬の声に載せられている熱も強さも増していく。
そして、最終的に、それは はっきりした命令になった。
瞬は、氷河に二度目をねだり(命じ)、更に深い挿入を求め(命じ)、自身が限界を突破した瞬間には、二人同時に終わることを氷河に命じさえしたのである。

盗み聞きしている(だけの)星矢と紫龍でさえ 少々特異な疲労感に捉われて、この盗み聞きを可能な限り早く終わらせてしまいたいと願い期待し始めていた時、瞬は氷河に三度目を要求してのけた。
星矢と紫龍は、瞬の『氷河、もっと』に、驚嘆するより唖然としてしまったのである。
逆なら、まだ わかる。
氷河が瞬に『もっと』というのなら、星矢も紫龍も『仕様のない野郎だ』と思いつつ、それも致し方のないことと納得できていただろう。
二人がこういう仲になる以前、氷河がいつも どれほど熱のこもった目で瞬を見詰めていたのかを、星矢たちは よく知っていた。
そして、星矢たちは、氷河が真に求めているものの正体も知らず、氷河と目が合うたび 嬉しそうに にこにこしているだけだった瞬の様子も、よく知っていたのだ。

が、今は、氷河の方が及び腰で、彼は 瞬の過剰な要求に瞬の身を案じてさえいるようだった。
「これ以上したら、おまえの身体を傷付けてしまう」
「でも、氷河……僕はもっと……」
「明日もしたいだろう? なら、今夜はこれで我慢するんだ」
「でも、氷河、僕はもっとずっとこうしていたいのに……」

氷河の極めて良識的な説得を、だが、瞬はどうあっても聞き入れようとしない。
氷河の説得に、瞬は、ついには嗚咽を洩らして抵抗し始めた。
まるで 欲しい玩具を諦めるように言われた大人しい・・・・子供のように しゃくりあげながら、瞬は決して それを諦めようとしない。
対処に窮した氷河は、結局、瞬の意識を奪うことで、瞬の『もっと』をやめさせることにしたようだった。

挿入時の衝撃を物語る ひときわ高い瞬の悲鳴が、星矢たちの耳に届けられる。
氷河の律動の激しさに、さすがの瞬も それ以上『もっと』を言うことはできなくなったらしい。
瞬は、喉の奥から間歇的な喘ぎだけを繰り返し洩らすようになった。
瞬の声は聞こえるが、それはもう言葉のていを成してはいなかった。
その 意味のない声さえ、やがて聞こえなくなり、25800円の機械が星矢たちに伝えてくるものは ベッドのきしむ音だけになる。
おそらく、氷河は、意識を失った瞬の身体を揺さぶり続けているのだろう。 
その音が唐突に止まり、やっと瞬から離れることのできたらしい氷河が どさりとベッドに倒れ込む音が聞こえてきた時には、盗み聞きに いそしんでいた(だけだった)星矢たちでさえ、ベッドのお世話になりたいと思ったほどだった。






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