「すげー。これが瞬かよ。『地上で最も清らか』が売りの? これはどう考えたって、悪いもんに取り憑かれてんのは瞬の方だろ」
それが仲間たちによるものであれ、同性同士によるものであれ、情事は情事。
しかも、すさまじいほどに激しい情事。
そんなものを盗み聞きしてしまった人間は、普通なら、羞恥や ばつの悪さに支配されることになるだろうし、性的な興奮を覚えても、それはさほど不思議なことではない――むしろ、その方が自然である。
しかし、今、星矢を捉えているものは、純粋な驚愕と感嘆の念だった。

それは紫龍も同じだったらしい。
意想外のこの展開には、彼も その手の興奮を覚えるどころではなかったようだった。
「確かに、何かに取り憑かれているのは瞬の方としか思えんが、しかし、いったい何者に……。さすがにハーデスではないだろう。奴はここまで悪趣味な神ではなかったと思う」
こんなありさまを見せられた直後だけに――もとい、聞かされた直後だけに――この世には ありえないことなどないという気もしたが、瞬とその仲間たちに関わりあうことに、あの冥界の王は懲りているはずだった。

ともかく、氷河の証言は虚偽ではなかった。
それだけは、星矢も紫龍も確認することができた。
嫌でも信じないわけにはいかない――と言った方が正しい状況だったかもしれないが、ともかく、氷河の信じ難い証言が事実だったことだけは彼等も認めざるを得なくなったのである。

「ギリシャの神サマ方は人間的なのが よその神サマ方と違う特色だそうだし――瞬に取り憑いてる奴の正体はわかんねーけど、『地上で最も清らか』ってことになってる人間を こんなふうに変えたがる悪趣味で嫌味でへそ曲がりな神様なんてのは、結構いそうじゃん。綺麗なものを汚したいとか考える奴。まあ、ただの好き者って可能性も捨てられないけどさ」
「好き者の神サマというと、なにせギリシャ神話は主神のゼウスがそうだからな。アポロン、オリオン、ヘルメス、アレス――むしろ、アテナとアルテミス以外のすべての神が好き者と言った方がいいかもしれん。性愛の神では、アフロディーテやエロスもいる。嫌味で拗ね者の神というと、オリュンポス12神に数えられていない、あまり有名どころでない神という可能性も考えられるが、しかし……」

「しかし? しかし、何だよ?」
星矢は、紫龍が口にした逆説の接続詞が気に入らなかった。
星矢としては、『瞬の瞬らしからぬ この振舞いの原因は瞬以外の何ものかにある』という結論に異論はなかったのである。
むしろ、星矢にとっては、それこそが唯一の望ましい結論にして原因だった。
が、紫龍は星矢に比べれば慎重派であり、彼は 最初から答えを決めつけて物事を考察することの危険性を承知していたのだ。

「つまり――しかし、瞬が神に取り憑かれていることに、毎日 顔を合わせている俺たちが全く気付いていなかったということはありえるだろうか、ということなんだが」
「ハーデスの時だって、奴は赤ん坊の時から瞬に目をつけてたらしいのに、瞬にそんなものが憑いてたなんて、俺たち、冥界に行くまで気付かなかったじゃん」
「む……」
それを言われると、紫龍にも返す言葉がない。
そして、結局のところは、紫龍にとっても、『瞬は途轍もない むっつりスケベだったのだ』という答えよりは『瞬は何者かによって、本来の人格を見失わされてしまっている』という答えの方が 好ましいものではあったのである。

「明日になったら、沙織さんに相談してみるか。瞬がまたどこぞの神に憑依されているのなら、沙織さんなら、あるいは 瞬に憑いているものの正体を見極められるかもしれない」
「今夜俺たちがしたこと、沙織さんにバラすのかよ? 氷河と瞬のナニの様子を俺たちが盗み聞きしました――って?」
「そこは適当にごまかして……」
『聞くつもりはなかったのに、聞こえてしまいました』という説明は、その場合、さすがに苦しいものがある。
なにしろ、某電気街にまで行って購入してきた25800円の機械が、現に彼等の前に存在するのだ――。

そんなことを考えながら、星矢と紫龍が彼等の盗み聞きの物的証拠の上に視線を投げた時だった。
ふいに、25800円のその機械が、氷河の奮戦によって静かにさせられた(はずの)瞬の声を 彼等の許に運んできたのは。
どうやら、あのすさまじいほどの営みは、瞬から一時的に意識を奪うことはできても、深い眠りの淵に沈めることまではできなかったようだった。

「氷河……どうして こんなひどいことするの……」
おそらくは眠りに就いている氷河に 囁くように尋ねる瞬の声は、ひどく悲しげで つらそうだった。
瞬の声は涙の響きさえ帯びていた。
「そんなに僕が嫌いなの。どうして、氷河はこんなに僕が嫌いになっちゃったの……」
瞬が深い悲しみに囚われていることはわかる。
星矢が この状況をつらいものと感じ、嘆き苦しんでいるらしいことも、星矢と紫龍には よくわかった。
だが、彼等には、瞬の感情以外のこと――何より、瞬が口にした言葉の意味が、全く理解できなかったのである。

いったい瞬は何を言っているのか。
氷河が瞬を嫌っているとは どういうことなのか。
そもそも瞬は、情熱的というには あまりに激しすぎる性行為の直後に、なぜそんな考えを抱くことができるのか――。
星矢と紫龍には、瞬の言葉と考えが、本当に、全く、心底から、完全に、理解できなかったのである。

氷河が その行為に一心に励んでいたのは、彼自身の欲望の作用や、瞬の要望に応えきれない事態は男の沽券に関わる一大事だから――という側面もあったろうが、そのいちばんの理由は『瞬にそれを求められたから』のはずだった。
そして、気の進まないところがないでもない氷河が、瞬の求めに応じきれてしまうのは、どうこう言って『瞬が自分との行為を喜んでくれるのが嬉しいから』だったろう。
つまり、氷河は、ただただ瞬のために励んでいたのだ。
それは、とりもなおさず、氷河が瞬に対して尋常ならざる好意を抱いているからに他ならない(はずである)。

だというのに、瞬のこの切なげな声と言葉。
何かがおかしい――と、星矢と紫龍は、この事態を疑わないわけにはいかなかった。






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