翌日、星矢と紫龍が最初にしたことは、瞬に憑いているものの正体について 沙織に相談をもちかけることではなく、氷河に探りを入れることだった。
瞬に取り憑いているものが何なのかということより、瞬が 自分は氷河に嫌われていると考えるに至った原因を突きとめることの方が より重要なことであるように、彼等には思われたのだ。

「氷河。瞬は、おまえに嫌われていると思い込んでいるようだが、瞬がそう考えるようになった理由に、おまえは心当たりがあるか」
面倒な前置きは抜きで、紫龍は氷河に単刀直入に尋ねた。
氷河は その事実さえ知らないだろうと、紫龍は――そして、星矢も――察していた。
瞬がそんなふうに思っていることを、もし氷河が知っていたら、彼は、何よりも先に瞬の誤解を解くべく動いているはずなのだ。
『おまえは本当は 俺とこういうことをするのが嫌なのか』などということを、瞬に訊く前に。

「貴様は何を言っているんだ?」
案の定、瞬の誤解は、氷河には寝耳に水のことだったらしい。
彼にしてみれば 太陽が西から昇ることよりも ありえないことを尋ねてくる紫龍に、氷河は世界一の阿呆を見る目を向けてきた。
それは友の恋を案じている仲間に対して随分な態度だったが、氷河のその態度も無理からぬことと
と、星矢は思ったのである。

「俺も、瞬の言うことは どっかおかしいと思うけどさあ……」
「言葉で『好き』と言われても、言葉は言葉でしかないわけだから、瞬がおまえの言葉を信じきれずにいるということもあるだろう。おまえ、瞬にそんなふうに誤解されるようなことを何かしてしまったのではないのか?」
紫龍が念を押すように尋ねると、氷河はふいに、彼の仲間たちの前で実に奇妙な表情を作ってみせた。
それは、たとえて言うなら、太陽が西から昇ることはないと信じていた男が、西から昇る太陽と東から昇る太陽と北から昇る太陽と南から昇る太陽を4つ一度に見せられたような顔だった。

「なんだ? 心当たりがあるのか?」
紫龍に重ねて尋ねられた氷河が、暫時 口をへの字に歪める。
そうしてから彼は、僅かに顎を引いて、その分だけ顔を俯かせた。
「心当たりはない……が、俺は瞬に言葉で好きと言ったことがない」
「なに?」

西から昇る太陽と東から昇る太陽と北から昇る太陽と南から昇る太陽を4つ一度に見せられたような顔になったのは、今度は龍座の聖闘士だった。
その隣りで 星矢が、日本語を忘れた日本人のように ぽかんとした顔をしている。
そんな二人の視線に きまりの悪さを覚えたのか、氷河は開き直ったように二人の仲間を怒鳴りつけることをしたのだった。

「そんなことは言わなくてもわかるだろう! いくら綺麗でも、瞬は男なんだ。好きでなかったら、誰があんなことをするものか!」
もしかしたら それは 氷河なりの弁解だったのかもしれないが、残念ながら、彼の怒声は紫龍の耳にも星矢の耳にも届かなかった――二人は、氷河の弁解を無視した。

「言わずに事に及んだのかよーっ !? 」
星矢の声には氷河を責める響きは載っていなかった。
それは、ただただ心底から呆れたような声だった。
「そんなことが言えるか! 俺は男だぞ! どのツラ下げて、好きだの愛してるだの――」
「おまえは どこの明治男だよ!」
「ということは、もしかして、おまえ、瞬の気持ちも確認していないのか?」
「そんなのは、瞬を見ていればわかる!」

氷河の主張は決して根拠のないものではなかっただろう。
彼がそう・・と信じるに至った根拠は、彼の仲間たちもまた毎日 目にしていたものだった。
だが、それは、『だから、わざわざ確かめなくてもいいこと』ではない。
むしろ、『絶対に確かめなくてはならないこと』だった。

挑戦的な目で仲間たちを睨みつけている氷河に呆れ果てたらしい紫龍は、深く長い吐息を一つ洩らしてから、興奮状態の氷河をなだめるような口調で、氷河に尋ねることになったのである。
「氷河。瞬に好きだと告げることもせず、瞬がそれを望んでいるのかどうかを確かめもせず、そういうことに及ぶ行為を何と言うか知っているか」
「なんだ」
「レイプだ。つまり、強姦」

それは、氷河にとって、あまりにも意想外の言葉だったのだろう。
氷河は一瞬 息を呑み、その後 かなり長い間 沈黙することになったのだが、彼から声と言葉を奪ったものは、決して罪悪感などではなく、ひたすら純粋な驚きだった――ようだった。
なんとか気を取り直すことができたらしい氷河が、歪み引きつった笑みを その顔に貼りつけ、力なく首を左右に振る。
「いや……しかし、俺は瞬が好きだし、瞬も俺を好きで――」
「瞬に確かめたのかよ? 確かめてないんだろ?」
「あの反応のよさを見て、疑う男がいるわけがない……!」
「――」

氷河がそう判断するに至った気持ちは、星矢にもわからないわけではなかった。
否、むしろ、わかりすぎるほどにわかったのだが、しかし、星矢は、やはりそれは氷河の一人合点にすぎないだろうと思わないわけにもいかなかったのである。
なにしろ瞬は、自分は氷河に嫌われているのだと信じ、氷河の乱暴を嘆き悲しんでいるのだから。

「ともかく、瞬の認識では、おまえが瞬に毎晩していることはレイプなんだ。だから、瞬は、おまえがそんなことをするはずがない、おまえには何か悪いものが取り憑いているんだと自分に言いきかせ、おまえの乱暴を耐え忍んでいる」
それが紫龍の導き出した、瞬の不自然不可解な態度の理由にして答えだった。
氷河は瞬を好きでいる。
それは事実だろう。
瞬も氷河を好きでいる。
おそらく、それも事実である。
だが、にもかかわらず、現実はそう・・なのだ。

紫龍の総括の言葉を聞いて、氷河は唖然とした。
あんな嬉しそうな 耐え忍び方があるかと言いたげな顔で。
さすがに氷河は その考えを口にすることはしなかったが、実のところ、星矢たちも、氷河のその無言の訴えには完全に同感していたのである。
同感していることを、星矢たちもまた、言葉にして氷河に伝えることはしなかったが。

「だが、俺は瞬を好きで、瞬も俺を――」
「瞬は、そのことを知らないんだよ! 当然だろ。おまえが言ってないんだから、瞬が知ってるわけがない」
「……」
氷河は、星矢にそこまで言われて初めて、この ひと月の間、自分が瞬にしていたことが何だったのかということを正しく自覚するに至ったらしい。
とはいえ、それはあまりに意外で心外かつ不本意な事実で、氷河はまだ罪の意識を抱くところにまでは至れていないようだった。






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