夢の世界を否定されるのは、瞬には本当に つらいことだった。
それは危険な逃避だと氷河は言うが、現実世界で悲しい人間を、夢が支え力付けてくれるということもあるかもしれないではないか。
少しでも夢の中の自分に近付く努力をすれば、氷河もその夢を否定しなくなるだろうかと 瞬が考えたのは、氷河の言う“逃避”をやめるためではなく、逃避できる夢の世界を守るためだったかもしれない。
ともかく、瞬は、翌日、自分の夢の世界を氷河に消されてしまわないために、現実の世界で“努力”というものをしてみようと思ったのである。

その日、城戸邸に集められた子供たちに課せられたトレーニング内容は、それぞれの対戦相手と、投げ技か蹴り技でどちらかが倒れるまで、いわゆる組手試合を行なうというものだった。
瞬と組み合うことになったのは、上背が瞬とほぼ同じ星矢で、自分の対戦相手が誰なのかを知らされた星矢は、途端に、それだけでへこたれた顔になった。
もちろん、星矢がそんな顔になったのは、自分が勝ってしまうことが対戦前からわかってしまったからだったろう。
それ以上に、逃げ腰の相手を掴まえて倒さなければならないという行為が不本意だったからに違いない。

瞬は、だが、今日は逃げ腰な態度を見せることはすまいと、固く決意していたのである。
僕は、僕の夢の中では誰より強い。
現実の世界でそういうものになれないということがあるだろうか。
せめて逃げずに“敵”と向き合うくらいのことはしてみよう――と。

そう考えた瞬は、その日、瞬にしてはかなり気合を入れて星矢に対峙したのである。
だが、マットの上で星矢の顔を見た途端、瞬の気力は あっというまに萎えてしまったのだった。
星矢は、どう見ても、なるべく早く、なるべく痛くしないように、この対戦を終わらせることを考えていた――考えてくれていた。
星矢は そういう目をして瞬を見ていたし、実際、瞬と組み手の型をとるや、
「俺、このまま おまえの身体を引っ張るからさ、なるべく痛くないように転べよ。膝とか打つんじゃないぞ」
と、彼の戦法を瞬に知らせてくれたのだ。

「あ……」
星矢の親切に、瞬は、『僕は今日はちゃんと戦うよ』と答えることはできなかった。
その決意を表明する前に、瞬が前方につんのめる形でマットの上に倒れ伏したせいもあったが、星矢にそう言わせてしまう我が身の不甲斐なさが悲しくて、瞬は戦うより先に泣きたくなってしまったのである。
泣くために――瞬の肩が震え始めるのを認めた星矢が、すぐに瞬を抱き起こす。

「瞬、大丈夫かっ !? 俺、痛くしたかっ !? 」
瞬の顔を覗き込み、おろおろしながら仲間の手や膝の様子を確かめている星矢を見て、瞬はますます悲しい気持ちになった。
涙があふれてくるのは瞬自身にも止められなかったので、せめて泣き声だけはあげないようにと、懸命に唇を噛みしめる。
そうしてから、瞬は、星矢に頷き、次に首を横に振った。
時折、元気すぎるあまり 瞬に気後れを感じさせることもあったが、基本的に星矢は優しい。
瞬にとって星矢は気のいい仲間で、瞬は星矢と本気で戦う気には到底なれなかったのである。
まして、星矢に勝つなどということを、瞬は絶対にしたくなかった。

涙で潤んだ瞬の視界に、金髪の仲間の姿が映る。
氷河は今日も怒っているような目で瞬を睨んでいて、そのことが 瞬の視界を更にぼんやりしたものに変えていった。






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