僕に会いたいと言いながら、氷河が僕に会ってくれないのは、氷河が 僕という存在に疑いを抱いているからでしょうか。
僕はこのホテルで家族の到着を待っているのだと、氷河に嘘をつきました。
誰だって、嘘をつくような人間を信用することはできませんよね。
だから、僕は僕が何者なのかを氷河に打ち明けることにしました。
それで氷河に嫌われ、疎んじられるのなら、諦めもつく。
互いに会いたいと思っているのに会えないでいるのだと苦しむことに、僕はもう耐えられないから。

日本が二百数十年間 鎖国していたことは、氷河も知っていますよね。
僕の父は、日本の鎖国が始まる直前に、イエズス会の宣教師と共に日本に入った大陸の人間です。
突然何を馬鹿げたことを言い出したのだと、驚かないでください。
僕は正気です。
僕の年齢は、今、おそらく300歳以上です。
いつからか歳を数えることに意味はないと気付いて、その行為をやめてしまったので、正確な年齢はわかりません――憶えていません。

僕の父は、アユタヤの日本人町にいた、日本人とポルトガル人の混血です。
キリスト教徒で、日本語が話せたので、日本に渡りたいというポルトガル人宣教師を案内して日本に渡ったのだそうです。
その時には既に豊臣秀吉による伴天連追放令が出ていましたし、父は故国を一目見たらすぐにアユタヤに帰るつもりだったらしいのですが、案内してきた宣教師に通訳として同行してほしいと協力を求められ、しばらく日本に留まることにした。
やがてキリスト教に帰依した ある日本人女性と出会い、愛し合うようになり、その女性との間に二人の子供を儲けました。
僕の兄と、僕です。

でも、その後、キリスト教に対する日本の対応は激変した。
形ばかりの伴天連追放令ではなく、江戸幕府による正式な禁教令が出たんです。
そして、厳しいキリスト教徒弾圧が始まりました。

すさまじい弾圧でした。
あの時、キリシタンを追い詰めた人たちは、僕たちを彼等と同じ人間だと思っていなかったのかもしれません。
稲についた害虫を駆除する程度の気持ちで、キリスト教徒を捕え、拷問し、処刑したのかもしれません。
僕たちの両親は、そんな国策の中にあっても信仰を捨てることができなかった。
命がけの逃亡生活が始まり、でも、半年ほどで その逃亡生活は終わりました。

僕たちは幕府の役人に捕えられ、両親は過酷な拷問を受け、そのために僕の母は亡くなりました。
神は母を救ってくれなかった――。
それまで どんな苦しい暮らしを強いられても信仰を捨てなかったのに、父は――いいえ、それほど神を信じていたからこそ――父は、神を疑い、神を憎むようになったのだと思います。
父がもともと不死の人間だったのか、あるいは神を憎む言葉を吐いたことで、父は神の罰を受けることになったのか、それは今となっては僕にもわかりません。
おそらく後者なのでしょう。

その時には既に神など信じていなかったにもかかわらず――神を呪ってさえいたにもかかわらず――伴天連のキリスト教宣教師に協力したかどで父は処刑され、兄も父と運命を共にしました。
僕を救うために兄が役人に必死に訴えていた叫びを、僕は今でも憶えています。
『弟は異国の無慈悲な神なんか信じていない――』
父と兄の犯した冒涜の罪を、父の息子であり、兄の弟である僕は この身に負うことになったのかもしれません。
すべての家族を失い、一人ぽっちになってから、僕は自分が死ねない人間だということに気付いたんです。
父と兄の死後、僕の成長は止まりました。
その時、僕は15歳――16になっていたかもしれません。
僕は失った家族を愛していましたけれど、神を信じてはいませんでした。
そんな奇跡――不死人を生み出すという奇跡を我が身で経験したにもかかわらず。

僕は日本人の血を濃く受け継いでいましたが、4分の1は いわゆる南蛮人の血が入っていて、純粋な日本人の目で見ると どこかが彼等とは異質だったんでしょう。
当時の日本では孤児は全く珍しいものではありませんでしたが、僕は その孤児たちの中でですら差別を受けました。
まして、僕の姿は何年経っても子供のまま。
長く付き合える仲間などできるはずもなく、けれど死ぬこともできず――。
一つところにいることができなくなった僕は、あの小さな島国のあちこちを放浪しました。

僕が日本を出たのは、もはや徳川幕府の磐石が疑えなくなった頃です。
宣教師を海外に追放するための最後の船に乗せてもらって――僕はあの国を出ました。
あの時、日本に残った宣教師やキリスト教徒たちは皆、死を覚悟した人ばかりでした。
実際、その後 長く生きた人はいなかったと思います。
彼等は自分の信じるものに殉じられることが幸せなのだろうかと、僕は、大陸に向かう船の中でずっと考えていたよ。
僕自身は――日本を出ても幸福に出合えないことはわかっていたから。
僕は成長しない子供、神に見捨てられた子供だったから。

僕は大陸に渡っても 一人で、放浪者で、異質な人間、人に非ざる人のままでした。
当時、大陸に点在する日本人町には東洋の陶磁器や絹を求めて、欧州の商人が多く入ってきていました。
その話は聞いていたので、僕は幾つかの小品を持って祖国を出たんですが、それが信じられないほど高値で売れました。
10年くらいは遊んで暮らせそうな額。
それは さほど良いものではなかったんですが――なにしろ、日本の備後国の姫谷焼の窯で下働きをさせてもらっていた時、僕が酔狂で焼いたものでしたから――でも、正真正銘 日本から運んだものでしたからね。

僕は、でも、自分の命がどういうものなのかを知っていたので、それを当座の生活で使うことはせず、これから続く長い時を生きるための投資にまわしました。
アユタヤに来ていたポルトガルの商人に頼んで欧州に渡り、そこから更にギリシャに渡り、テッサリアの山奥に誰にも知られぬよう僕だけの隠れ家を作ったんです。
そこに磁器を作るのに適した土があったから。

その隠れ家に、僕は磁器を焼くための窯を作りました。
そこでは、他にも 七宝焼や漆絵やいろんなものを作ったよ。
閉鎖的な日本とは違って、人間の行き来も物の交易も盛んな欧州では、材料や器具が容易に手に入った。
僕は、不死になってから、五感や運動能力が常人では考えられないほど発達して、僕の身体はどんな重労働にも耐えられたし、僕の目や手はどんな細かい作業も疲れを知らずに続けることができた。
熟練の職人が3ヶ月かけて作るような複雑な意匠の金工細工の食器や香炉も、僕はたった3日で作ることができた。

金工細工や漆絵――僕は作り方を習ったことはなかったけど、それがどんなものなのかさえ知っていれば、僕に作れないものはなかった。
1年に1度くらい何かを作って それを売れば、僕はそれで自分の衣食住に困ることはありませんでした。
ものを食べなくても死なないことはわかっていたし、1ヶ月くらい絶食を試してみたりもしたんだけど、ミイラみたいに骨と皮だけになっていく自分が気持ち悪くて、僕はそれはやめたの。
とにかく そうして得たお金で、僕は大陸のあちこちを旅しました。
いいえ、放浪していたと言うべきでしょう。

ここ100年ほどは欧州を出ていません。
その頃から、欧州では日本ブーム――いわゆるジャポニスムが始まっていて――お金持ちの好事家たちが、僕の作るまがい物(ということになるのかな)の日本の工芸品に信じられないほどのお金を出してくれたから。
僕の商売にはフランスが最もいい市場でしたが、フランスにばかりもいられなくて、あちこちを旅しました。
同じ場所にいられるのは、長くても1年。
一度滞在した場所をもう一度訪ねるのは、最低でも30年後。
30年経てば、以前の僕を憶えている人はいませんし、万一30年前の僕を知っている人に出会ってしまっても、自分はその子供だと言えば納得してもらえるでしょうから。
そんな弁解が必要になったことは、これまで一度もなかったけど。

そうこうしているうちに、日本が鎖国をやめたことを知りました。
キリスト教徒の弾圧も行なわれなくなった――できなくなったと言うべきでしょうか。
でも、僕は故国に帰る気にはならなかった。
帰ってどうなるというんでしょう。
僕を知る人は誰もいないのに。

それに、その頃には、僕は、生きることにみ始めていました。
死を願うようになっていた。
家族はなく、心を通わせ合う友人を持つことも叶わない。
生きていることに不便がなくても、そんな人間が生きているのはつらいことです。
有限の命を持った人間は、死がどんなものなのかも知らずに死を恐れますが、僕は生がどんなものなのかを熟知しているから、生の底知れなさを恐れるようになっていた。
でも、死ぬ方法がわからなかったんです。
身体を傷付け失血死を図ったり、毒を飲んでみたり、水に飛び込んでみたり、色々な方法を試しましたが、僕はどうしても死ねなかった。

やがて、僕の旅は自分の死ぬ方法を探す旅になりました。
欧州には吸血鬼を始め、不死人の伝説があちこちにあって、でも、彼等は必ず死んでいる。
不死人が死ぬ方法はあるはずなんです。
絶対にあるはずだと思った。

80年――もう少し前だったでしょうか――ドイツのシュレスヴィッヒで、僕と同じ不死の人に初めて会いました。
彼は壮年の姿をした男性で、不死人として有名な かのサンジェルマン伯が その地で亡くなった頃から150年以上、その地で生き続けていると言っていました。
僕みたいに若い姿をした不死人に会ったのは初めてだとも言っていた。
初めてといっても、僕の他には一人しか知らないようでしたけど。
つまり、幸運にも その地で死ぬことのできたサンジェルマン伯だけしか。

僕は、その人に、僕のような人間が死ぬにはどうしたらいいのかと尋ねたんです。
フランス革命以前から生き続けているという彼は言いました。
心から愛し愛される人に出会い、愛の意味を知れば――真実の愛を手にすれば、不死人は死ねるのだと。

僕は絶望しました。
僕を愛してくれる人なんて――化け物の僕を愛してくれる人なんて、いるはずがない。
自分が死ねない化け物だという事実を知らせなければ、もしかしたら こんな僕だって誰かに愛されることは可能かもしれません。
でも、自分が何者なのかを知らせずに――つまりは、相手を騙して得た愛は 真実の愛とは言えないでしょう。

それでも一縷の希望にすがり、僕は、僕を愛してくれる人、僕が愛せる人を捜し求めました。
でも、そんな人には巡り会えなかった。
そうして、僕は、やがて気付いたんです。
僕は、どうすれば人を愛せるのか、どうすれば人に愛されるのか、その方法を知らない。
僕は、自分が何を探しているのかを知らずに探し物をしているようなもの。
僕が探しているものは、広く深い海に落ちていった一粒の砂のようなものなのだと。

先月――40年振りに英国に渡りました。
一年の大半を霧と雨に包まれる街は 今の僕の心にふさわしいのではないかと思って。
いいえ、僕はただ、明るいものを見たくなかっただけなのかもしれません。

そして、僕は、そこで氷河に会ったの。
最初から惹かれた。
氷河も言っていた通り、言葉を交わす前から。視線を交わしただけで。
なぜかはわかりません。
この人は僕をわかってくれると、氷河の深い孤独の色の瞳が、僕にそう思わせたのかもしれません。

あとは、氷河が知っている通りです。
僕は氷河に出会って、人を愛する方法を知りました。
そして、あの夜、氷河と愛を交わした。
もしかしたら それは、ただ肉体が交わっただけのことなのかもしれません。
でも僕は――少なくとも僕は――あの時、僕は氷河に愛されているのだと感じ、信じ、僕は氷河を愛していると感じ、信じることができたんです。
氷河の腕の中で、僕は、それまでの僕が経験してきた悲しみや苦しみをすべて忘れました。
これが真実の愛だったなら 僕は死ぬのだという思いが、僕の心と身体を混乱させ、陶酔させた。
その陶酔の中で、僕は、氷河を残して死ぬのは嫌だと思った。
死だけを願っていた僕が、生きていたいと、あの夜、心から願ったんです。

もしこれが“真実の愛”と呼べない愛であったなら、僕は死なずに済みます。
でも、そうだったなら、氷河はいつか不死の僕を置いて、神に祝福された者だけが入れる天の国に行ってしまうでしょう。
そして、僕はまた、たった一人で生の世界に取り残される。
逆に、もしこれが真実の愛であったなら、僕は氷河を生の世界に残し、死ぬことになります。
死後の僕の行き先は、神に祝福された者が行く場所とは違うどこかだとは思いますが。

僕は、僕たちの結びつきが真実の愛であることにも 真実の愛でないことにも耐えられない。
生にも死にも耐えられない。
なのに、氷河に会いたい。
会いたい、会いたい。

僕が何者であるのかを、僕が氷河に告白する気になったのは、今のまま、氷河に会えないままの状態が続くと、遠くない未来に自分は生ける屍になってしまうだろうと思ったからです。
氷河との間に秘密がなくなれば、僕の本当の姿をさらけだせば、これが真実の愛なのか そうでないのかがわかると思ったから。
この手紙を氷河が読み、万一、それでも氷河が僕を愛したままでいてくれたら、僕は真実の愛を手に入れたことになり、その瞬間、この身は塵になって消えてしまうのかもしれません。
不老不死の吸血鬼が心臓に杭を打たれて、跡形もなく消えてしまうように。

僕はそうなることを望んでいるのかもしれません。
同じくらいの強さで、そうならないことも望んでいますが。
もし、この手紙を読んだ氷河が僕に嫌悪を抱くことになったら、僕たちの間にあったものは真実の愛ではないのだから、僕たちは会っても大丈夫。
こんな化け物の僕を、氷河が嫌いになるのは当然です。
こんな僕と身体を交えたことを知って、氷河はぞっとするのかもしれない。

それでもいい。
氷河を幸福にすることで自らも幸福になりたいという叶わぬ夢を夢見た みじめな化け物を哀れに思い、もう一度だけ会ってください。
一目見るだけでいい。
僕は氷河に会いたい。
氷河に会いたいんです!






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