氷河は無愛想な男である。 感情の起伏が激しく、その言動にもむらがある。 気が向くと、聞く者が辟易するほどベラベラ喋りまくるが、気が向かない時には、『うん』と言うことも『すん』と言うこともしない。 紫龍は、氷河に比べれば落ち着いていることが多く、穏やかといってもいいほどの男だが、理屈屋で、必要な正論しか口にしない。 星矢は、瞬がいなくなって初めて、これまで意識したことのなかった ある事実を認めることになった。 すなわち、自分がこの二人の男たちを“いい仲間”だと思うことができていたのは、瞬という潤滑油があったからだったのだ――という事実を。 瞬がいて、対峙する者に敵意を抱かせない優しい言葉や笑顔で、氷河や紫龍の言動をまろやかに包んでくれていたからこそ、星矢は、この癖の強い男たちを 愉快な仲間たちと感じることさえできていたのだ。 瞬がいないと、彼等はむしろ、それぞれの意味で堅苦しく 鬱陶しく、面白みのない男たちだった。 言動も、見た目も。 何かの役に立つわけでもないのに部屋に花を飾る人間の心理を、星矢はそれまでいつも不思議に思っていたのだが、城戸邸から瞬の姿が消えることで、星矢は、人が部屋に花を飾ることの意義と意味を理解できたような気になったのである。 人は、もちろん、必要だから部屋に花を飾るのだ。 殺伐とした世界を、潤いと優しさで心地良い空間にするために。 瞬の姿が見えなくなった城戸邸は、『殺伐として不快な空間』としか言いようのないものになり、星矢は、自分がそんな空間で日々の暮らしを営まなければならないことに、尋常でなく激しいストレスを覚えることになったのだった。 が、星矢に多大なストレスを与える男の片割れの苛立ちは、星矢以上だったらしい。 アテナと瞬自身が決めたことへの不満を はっきり言葉にすることは かろうじて耐えているようだったが、氷河の場合は、それがかえってよくない結果を生んでいた。 外部に発散させることのできない苛立ちが氷河の中に たまりにたまり、やがて限界を超えると、それらは凍気という形をもって氷河の外に迸り出てしまうのだ。 彼は、日に幾度も、自分の手に触れるものを(無意識に)凍らせては、城戸邸内の調度や付属品を使い物にならなくすることを繰り返していた。 しかも、氷河の苛立ちは日を追うごとに静まるどころか激しくなる一方で、そのために城戸邸が被る被害もまた、増加の一途を辿ることになったのである。 氷河のそんな様子を見るにつけ、こんなふうだから、氷河は瞬を好きでいるに違いないと自分は誤解したのだと、星矢は――おそらくは紫龍も――思ったのである。 実際失恋の痛手が癒えて元の氷河に戻った氷河は、以前の彼がそうだったように、瞬を見詰めていることが多くなっていた。 氷河の恋はただの思い違いか気の迷いで、氷河は最初から、そしていつの時も、瞬を好きでいたのではないかと、星矢たちは思い始めていた頃だったのだ。 突然の瞬の弟子取り宣言が為されたのは。 瞬が城戸邸にいてくれさえすれば、氷河は、どこぞのアダルト美女に失恋する以前の氷河に戻り、城戸邸もまた以前の平和を取り戻すはずだったのに――と、星矢たちが瞬の不在を惜しむことになったのは ごく自然な成り行きだったかもしれない。 氷河の失恋騒動以前の城戸邸が真に平和だったのかどうかということについては安易に判断できないところがあったが、少なくとも今よりは平和だった。 氷河は近い将来に必ず、食事やドアノブを凍らせるような ささやかなトラブルとは次元の違う大事件を引き起こすに違いない。 そう考えて星矢たちが戦々恐々とし始めた頃、氷河は実に見事に仲間たちの期待(?)に応えてくれたのである。 氷河が引き起こした大事件。 それは、あろうことか、グラード財団所有のジェットヘリの乗っ取り未遂事件だった。 社用で北海道に飛ぶ沙織のために離陸準備をしていたヘリに押し入った氷河は、「このヘリをギリシャに飛ばせ」と、ヘリのパイロットを脅迫。 だが、パイロットは氷河の脅迫に屈しなかった。 言うことを聞かない一般人に危害を加えるわけにもいかず、かといって計画通りに進まない事態への苛立ちを消し去ることもできなかった氷河は、すべての怒りを小宇宙に変換し、結果として、ヘリを一機 駄目にしてしまったのだった。 正確には、修理に8000万が必要な状態にした。 |