黄金聖闘士たちは、彼等の命令が、罪を犯した一人の聖闘士だけでなく、彼等の抹殺命令を受けた聖闘士の命をも奪うことを想定していたのだろうか。

「瞬。俺と一緒に死んでくれ」
氷河が瞬にそう言うことができたのは、世界の美しさを守るために その世界に生きる人々の命を奪うという愚を、もし瞬が犯したら、瞬は必ず自分の為したことを後悔するという確信があったからだった。
世界がいかに美しく清浄になったとしても、その世界を美しいと感じる人間が存在しないのでは、その世界は決して美しいものたり得ないだろう。
誰もその世界を『美しい』と認めないのであるから。
瞬は必ず、美しさだけを求めたことを後悔する。
その確信があったからこそ、氷河は瞬に願うことができたのである。
俺と一緒に死んでくれ――俺を一緒に連れていってくれ――と。

「うん」
瞬は、ほとんど迷った素振りも見せずに、氷河に頷いてきた。
まるで、そうすることでしか、世界の矛盾は解決ではないのだとでも言うかのように、ためらいなく頷いた。
そうしてから、少し不安げに、瞬が氷河の瞳を覗き込んでくる。

「でも、僕たちは聖闘士なんだよ。アテナを守るためでもなく、地上に生きる人々を守るためでもなく、自分で自分の命を絶つなんて、許されることなんだろうか」
「俺たちの死は――ある意味では、地上から一つの戦いが消えることでもある」
「ん……。僕はそれで構わないんだけど……アテナが許しても、神が――氷河の信じてる神様が許してくれないんじゃないか……って」
瞬が案じていたのは、聖闘士たちの神ではなく、氷河個人の信仰の方だったらしい。
要らぬことにまで気を遣っている瞬に――というより、瞬が口にした“神様”に――氷河は ふいに腹立たしさを覚えた。
そして、吐き出すように、
「神の許しなど必要ではない」
と言った。

アテナは許しても、十字架を信仰の象徴としている あの峻厳な神は、瞬の罪を許さないだろう。
あの神は、許す神ではなく、裁く神である。
天国の門を極限まで狭くして、過ちを犯した者を決して自分の国に迎え入れようとしない無慈悲な神。
愚かで罪深い人間に律法を守らせるためには そんな神も必要なのだということはわかっている。
だが、彼が瞬の罪を許してくれない神なのであれば、それは今の氷河にとっては、ただただ忌々しいものでしかなかった。

「僕たちが死ぬことが地上の平和を守ることなの……」
悲しげに、寂しげに、瞬が小さく呟く。
それは、地上の平和と安寧を守るために 生きて戦い続けてきた聖闘士にとっては、あまりに悲しい事実だった。
だが、そうなのであれば自分が生きていても仕様がない――という色を、瞬がその瞳に浮かべる。

悲しい潔さをたたえていた瞬の瞳と表情が一変したのは、氷河が瞬の心を慰めるために告げた言葉のせいだった。
「ああ、大丈夫だ。おまえの身体はいつまでも若く美しいままで永遠に残るから」
瞬の悲しい心を慰撫するために、氷河が言った その言葉。
その言葉を聞いて、氷河のしようとしてることを察した瞬が、ぴくりと こめかみを引きつらせる。
「氷河、僕を氷づけにする気でいるの? 僕、それは嫌だよ。死んでも嫌」
「なぜだ? 死に方としては最も美しい方法だと思うが。おまえのその可愛らしい姿を永遠に――」
それは、かの太陽神アベルが妹アテナのために、氷河に直接依頼してきたほど――つまりは、神の死にもふさわしいほど――高貴で洗練された死のあり方である。
決してアベルの美意識などに信を置いていたわけではなかったが、氷河は、それが他のどんな死よりも美しい形を持つ死であることに絶対の自信を持っていた。

が、アンドロメダ座の聖闘士は、燃え盛る太陽の神とも 凍てつく氷の聖闘士とも 全く違う考えを抱いていたらしい。
瞬は、氷河の見解に真っ向から異議を唱えてきた。
「最も美しい? 氷河、何を言ってるの。それは、人としていちばん恥ずかしい死に方だよ。氷河って、どうしてそんな非常識なことを思いつくの!」

「なにっ。愛するおまえの美しい姿をいつまでもそのままで残したいという俺の切ない思いのどこが非常識だというんだ」
「非常識です! それを非常識だと思わないこところが、氷河の非常識なの!」
「なんだとっ! じゃあ、なにか? おまえの身体が死に食われ、蝕まれ、腐れただれて骨だけになる事態を、おまえは俺に耐えろというのかっ !? 」
「だって、それが死ぬっていうことでしょう」
「俺は嫌だぞ! 俺の身体は蛆虫の寝床になっても構わないが、おまえの身体だけは美しいままで残しておくんだ。俺は、できるなら、一糸まとわぬおまえにカバネルのヴィーナスのポーズをとらせて氷の棺に閉じ込めて、たとえ この地球が砕け散るようなことになっても、おまえの身体だけは無傷で永遠に美しいまま、星々の間を漂い続けるようにしたい。そうすれば、おまえへの俺の愛も永遠のものとしての証が立つというものだろう」

「カ……カバネルのヴィーナス !? 」
神のみが持ち得る理想的なプロポーションと完璧な官能性を備えていながら、聖性だけは備えておらず、かのエミール・ゾラに『ミルクの河で溺死している美味そうな娼婦』と言わしめたヴィーナスを、自分の死の姿の例に示され、瞬は蒼白になった。
すぐに、全身の血を頭部に集めたように、その頬が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。

「僕にあんな恥ずかしいポーズをとれっていうの !? それは非常識を通り越して変態趣味だよ!」
「言うに事欠いて、変態趣味とはなんだ、変態趣味とは! 瞬、おまえは俺の美意識を侮辱するのかっ」
「氷河の美意識は恥知らずと同義です!」
「なんだとーっっ !! 」

死を共にする決意をためらいなくできるほど熱烈に愛し合う恋人同士といえど、元は 個々の独立した価値観を持つ二個の人間である。
人は、それぞれが独立した個人だからこそ情熱的に愛し合い、恋し合い、求め合うこともできるのだ。
その情熱的に恋し合う二人の意見が対立し、相争うことになった時、その情熱はこの地上に何をもたらすのか。
氷河と瞬の場合、それは、一つの歴史的建造物の半壊という形で表現されることになった。






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