極寒の北の大地が 穏やかで暖かい春と同化できるのは、春が優しく緩やかに凍えた大地を暖めるからである。
であればこそ、あの天秤宮で、氷河も復活を果たすことができたのだ。
優しく緩やかに訪れるはずの春が、怒りと羞恥に燃えたぎっていた場合、高温と低温のぶつかり合いは激しい爆発を引き起こす。
氷河の小宇宙と瞬の小宇宙の衝突が生んだものは、つまりそういうものだった。

「いったい何が起こったのだ !? 」
「アテナ神殿のすぐ側で、これほど激しい爆発が起こるとは……」
「アテナの結界を打ち破るほど強力な力を持つ神が、アテナに対して直接攻撃を仕掛けてきたのかっ !? 」
巨大な隕石が超高速で地表にぶつかったような轟音に、滅多なことでは取り乱さない(ことになっている)黄金聖闘士たちまでが、みっともないほどの取り乱しようで現場に駆けつけてくる。
轟音の発生地点と思われる場所に駆けつけてきた彼等が、そこで見ることになったのは、半分以上が崩れ落ちた大理石の小神殿と、空高く舞い上がった粉塵、そして、その瓦礫の群の中央に立つ二人の(無傷の)青銅聖闘士の姿だった。

「アンドロメダ……キグナス……?」
この大規模破壊を引き起こした犯人が外部からの侵入者でないことは一目瞭然。
氷河と瞬は、当然のことながら、アテナに大目玉を食らうことになったのである。
奇跡的に爆発の影響を受けることなく済んだアテナ神殿の広間で、黄金聖闘士たちの非難の視線を一身に(正確には二身に)浴びながら。


「いったいどうしてこんなことになったの」
アテナが、爆発の経緯と原因を、二人の爆破犯人に問うてくる。
それでなくても小柄な身体を一層小さくして、瞬はしどろもどろで女神の難詰に答えることになったのだった。
「それは、その……。僕たち、僕たちの死に方を話し合っていたんです。それで、あの……氷河が氷づけにして僕を殺そうとするから、僕、そんな死に方は恥ずかしくて嫌だって言ったんです。それで、あの、色々意見の対立があって、結果的にこういうことに……」

瞬の弁明の歯切れの悪さは、聖域の建物を一つ半壊させてしまったことへの罪悪感のせいであったが、それ以上に、アテナにどこまで本当のことを言っていいものなのかどうかの判断ができずにいたせいだった。
カミュは、氷河の裏切りの件をアテナには知らせていないと言っていた。
当然、黄金聖闘士たちの総意で出されたという氷河抹殺命令のことも、彼女は知らずにいるのだろう。

氷河の裏切りは、絶対にアテナに知らせてはならない。
氷河は最後まで忠実なアテナの聖闘士であり続けなければならない。
それが、アテナの聖闘士としての氷河のこれまでの功績に傷をつけないことであり、また、アテナを悲しませないことにもなるだろう。
そう、瞬は考えていた。
アテナに真実を告げることはできないし、告げるべきではない。
瞬は、それはわかっていた。

だが、嘘をつくのが苦手な瞬は、氷河の名誉とアテナの名誉を守るための上手な嘘を、咄嗟に思いつくことができなかったのである。
このとんでもないミスを、どう言って取り繕えば アテナに疑念を抱かせずに済むのか。
それが瞬にはわからなかった、
アテナと目が合うことを恐れて顔を伏せ、歯切れの悪い弁解をする瞬を、アテナが広間の一段高いところから呆れたように見おろしてくる。

「あなた方の死に方? あなた方は、氷づけになって死ぬことが恥ずかしいか恥ずかしくないかを話し合っていたというの? そんなことで、あの宮を半壊させてくれたわけ? 要するに痴話喧嘩で?」
アテナに事実確認を入れられた瞬は、びくりと身体を震わせた。
そして、次の瞬間、瞬は、大きく その瞳を見開き息を呑むことになったのである。
アテナに、『この大爆発の原因は痴話喧嘩なのか』と問い質されることの意味に気付き、驚いて。

彼女がそんな言葉を用いて爆破犯人を問い質してくるということは、彼女が彼女の聖闘士たちの道ならぬ恋を知っているということである。
その秘密を誰にも知られていないつもりでいた瞬は、彼女のその言葉に驚かないわけにはいかなかったのである。
それは黄金聖闘士たちも同様――否、黄金聖闘士たちが感じた驚きは、瞬のそれ以上に大きなものだったかもしれない。
金色の聖闘士たちの間には、異様なざわめきが生じることになった。

「で? なぜ あなたたちは、死に方についてのディスカッションなんて、そんな不毛なことをしていたの? 死なんてものは、人間が懸命に生きていれば、望むと望むまいと、いずれあちらからやってくるものよ。生きている人間は生きることだけを思っていればいいの。死など考える必要はありません。それは、聖闘士としても、一個の人間としても、最もしてはならないことよ。そうは思わなくて?」
「あ……」

建造物破壊の事実ではなく、希望の闘士であるところの聖闘士が 死について語らっていたことの方を責めてくるアテナに、瞬は苦しさと迷いと困惑を覚えたのである。
アテナへの裏切りは許されることではないだろう。
だから、アテナを裏切った聖闘士は、自分の命をもって その罪を贖うしかないのだと考え、瞬は二人の死を覚悟したのである。
だが、それは、アテナを最も深く悲しませる贖罪方法でもある。

アテナへの裏切りは許されない。
だが、彼女は彼女の聖闘士の犯した過ちを許すだろう。
だからこそ、アテナに許しを請うことだけはすまいと、瞬は決意していた。
決意していたつもりだったのに。
死どころか、死を語ることさえ 聖闘士にはあるまじき行為と アテナに責められ、瞬の決意は大きく揺らいでしまったのだった。

すべてを正直に打ち明けて、アテナの慈悲にすがりたい。
そして、氷河と共に生きていたい――。
その思いが、瞬の胸を激しく震わす。
瞬の胸を震わす その思いは、やがて 瞬自身にも抑えきれないほど大きく膨れあがり、瞬は結局、その思いを自分の胸の中に閉じ込めておくことができなくなってしまったのだった。
瞬は、本当は、生きていたかったから。
どれほど深い罪にまみれても、世界中の人間に裏切り者と そしられ蔑まれても、瞬は氷河と共に生きていたかったから。

「それは……あの――氷河が道ならぬ恋のためにアテナと聖域を裏切ろうとしているから、事が露見する前に氷河を抹殺するようにと命じられて――」
それ以上耐えることができなくなった瞬の唇から、言ってはならぬ言葉が迸り出る。
アテナの悲しみと怒りを覚悟して事実を告げた瞬の上に、次の瞬間 降ってきたのは、瞬の予想に反して、アテナの非難の声ではなかった。
それは、アテナの非難ではなく――アテナに対する裏切りを企てているはずの男の、驚きと困惑でできた叫声だったのである。

「なにっ !? 俺は、おまえが理想を追い過ぎるあまり、世界の破壊を企む者共にくみしてアテナを裏切ろうとしているから、事が露見する前に秘密裏に抹殺しろと言われたぞ!」
「え……?」
あまりといえばあまりな作り事を聞かされて、瞬は、アテナの許しを請うどころではなくなった。
即座に、氷河が口にした作り事を否定する。

「氷河、なに言ってるの! 僕、そんなことしないよっ。するはずないでしょう!」
「俺だって――俺は、おまえとのことを道ならぬ恋だなどと考えたことはない! 俺は、おまえが好きだと、誰にでも胸を張って公言することができる。俺がこれまでそうしなかったのは、そんなことをしたら、おまえが恥ずかしがるだろうことがわかっていたからだ!」
「僕だって、現実を見ないで理想だけを追うことの愚は承知してるよ! 実現しないかもしれない理想を追うあまり、そんな自暴自棄になんてなったりしない。そんな高慢な考えを持てるほど、僕は自分を立派な人間だとも思っていないよ!」
「それは……」
「え……?」






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