瞬の訴えを聞いて、氷河は、確かに瞬はそこまで過激に走るタイプの人間ではないだろうと思った。
氷河の訴えを聞いて、瞬は、確かに氷河なら そう考え そう行動するだろうと思った。
だが、だとすると、なぜ自分は自分の恋人の命を奪わなければならない状況に追い込まれることになったのかという疑念が、二人の胸中に生まれてくる。
「……では、なぜサガは――」
「でも、だったら、どうしてカミュは……」

氷河と瞬の中に その謎を生じせしめた二人が その場にいるのだから、氷河と瞬は、当然 謎の答えを自分であれこれ思い巡らすようなことはしなかった。
その答えを求めて、瞬がカミュに、氷河がサガに、不審の目を向ける。
それから、氷河は右から左へ、瞬は左から右へ、居並ぶ他の黄金聖闘士たちを視線で順に舐め回すことをした。
氷河はサガが、瞬はカミュが、あの抹殺命令は黄金聖闘士全員の総意と言っていたことを忘れてはいなかったから。
見事なチームワークと言うべきか、黄金聖闘士たちが揃って半歩 あとずさる。

「そ……それは――アンドロメダとキグナスが道ならぬ恋に溺れているということを知って、聖域の倫理と秩序を守るため、アテナをご不快にしないために、我々 黄金聖闘士が話し合って決めたことで――」
「我々の抹殺指令を受けた君たちが 互いに互いを殺し合おうとすれば、まさか憎んでいるわけでもない仲間を本当に殺せるはずもないが、一度は相手を殺そうとし合った者たちが恋仲に戻ることもできないだろうと――」
アンドロメダ抹殺指令とキグナス抹殺指令が出た事情を しどろもどろで語り出したのは、双子座の黄金聖闘士と水瓶座の黄金聖闘士だった。
彼等は、氷河と瞬に直接指示を出した者として、連帯責任の中に逃げ込み 素知らぬ顔をすることもできなかったのだろう。
二人は二人共が、立場上 仕方なく口を開いたのだということが嫌でも感じとれる空気を、その全身にまとっていた。

説明とも弁明ともつかないカミュとサガの言葉を聞いて、アテナが僅かに首をかしげる。
「どうして、氷河と瞬の恋が道ならぬ恋なの? 昨今、よくあることじゃないの。今時 珍しくもないわ。私は、アルデバランと老師が恋仲でも、別に何とも思わないわよ?」
「は……? し……しかし、アテナは清廉潔白な処女神で、そういったことには厳格で、おそらくその事実を知ったなら 烈火のごとく怒――いや、深く そのお心を悩ませることになるものと――」

「でも、氷河は瞬を好きだし、瞬は氷河を好きなんだから、仕方がないじゃないの。だいいち、ギリシャの男性神は ほとんどがバイセクシャルよ。私の父も兄も弟も伯父も従兄弟たちも みんなそう。女色一筋の神なんて、せいぜい――」
さすがはソクラテスを生みプラトンを生んだ国の民が信じていた神々というべきか、アテナは彼女の親族の中にストレートオンリーな性的嗜好の持ち主を見付け出すことができなかったらしい。
一度 言葉を途切らせてから、肩をすくめ、彼女は、
「そんな人、いたかしら。ま、時間をかけたら、一人くらいは思い出せるかもしれないけど」
と、いかにも そのために時間を割くことの徒労を信じているような口振りで言ってのけたのだった。
そうしてから、その表情を硬くして、声のボリュームを少し落とす。
「それより、氷河と瞬とのことを道ならぬ恋だなんて、あなたたちの そういった差別的な考えや発言の方が はるかに大きな問題です。そんなことを不用意に言ったりしたら、聖域に対して どこの団体からどんなクレームがくるかわからないわ」

まさか聖域に同性愛者擁護団体のスパイが潜り込んでいるはずもないだろうが、彼女の慎重な態度は、聖域を統べる女神であると同時にグラード財団総帥でもある人間として至極当然のものだったろう。
彼女の発言は、私人の私見などではなく、言ってみれば公人の見解として扱われるものなのだ。
人の個人的な性的嗜好を否定するようなことを軽々しく発言することの危険を、その立場上 彼女は十分に承知していた。
その点、黄金聖闘士たちは、その発言に公的な責任を問われない中間管理職にすぎず、その言動にも軽率さがあったといえるだろう。

その11人の中間管理職に、聖域の最高責任者が険しい目を向ける。
「いずれにしても。どんな事情があったにしろ、どんな理由があったにしろ、私に断りなく、私の聖闘士の抹殺指令を出すなんて、それこそ反逆行為だわ。あなたたちは、自分が何をしたのか、正しく理解しているのですか」

「へ……」
「あ……いや……」
「それは、しかし……」
アテナの厳しい難詰に合った中間管理職たちは、慌てて自らの正当性を訴えなければならなくなった。

「わ……我々は、聖域の倫理と秩序を守ろうとしたのです……!」
「これはアテナのお心を考えて したことで――」
「キグナスにはアンドロメダを倒すほどの力はないし、詰めの甘いアンドロメダが性格的にキグナスを殺せないだろうことも、計画には織り込み済みで、我々は本当に彼等の命を消し去ることを企んだわけでは――」
黄金聖闘士たちは決して私利私欲のために そのような計画を立てたのではなかっただろう。
彼等は彼等の訴え通り、アテナと聖域のために その計画を立て、実行に移した。
彼等は彼等の正義に従って それをしたのである。

にもかかわらず、自らの正義を訴える黄金聖闘士たちの言葉の語尾が力ないものになってしまったのは、まさしく彼等が中間管理職だったから――と言えるだろう。
上司であるアテナの、人の上に立つ者ならでは視点に立った叱責と睥睨。
言ってみれば 気楽な平社員にすぎない氷河と瞬が黄金聖闘士たちに向ける不審と軽蔑の眼差し。
その二つに挟まれて苦悩するのが、中間管理職の悲しい職務なのだ。

その気楽な平社員たちが、平社員の気楽さで、勝手なことを言い始める。
「もしかして、あれですか。古臭い石頭のあなた方が、僕たちの若さに嫉妬したとか――」
「もてない男たちが、俺たちの幸福を妬んだということも考えられる」
「なにっ! 我々黄金聖闘士がそんな さもしい考えを持つことがあると思うのかっ」

「偉そうに言わないでください。僕に氷河を殺せだなんて――そんな残酷なことを命じた人たちが……!」
“詰めの甘い”アンドロメダ座の聖闘士には、涙という最終兵器があった。
純潔な処女の涙の力は(瞬が純潔かどうかはさておいて)、どんな物語ででも、どんなドラマででも、絶対の力を有する超強力なアイテムである。
「う……」
瞳に涙をにじませた瞬に責められ、なじられて、所詮は中間管理職にすぎない黄金聖闘士たちは大いにたじろぐことになった。

「俺に瞬を殺せなどと、地獄の餓鬼でも思いつかない残酷な考えだ。よくも……!」
“アンドロメダ座の聖闘士を倒すほどの力は持たない”白鳥座の聖闘士は、しかし、黄金聖闘士たちを倒す力は十二分に備えていた。
なにしろ、現場で実戦を重ね、神すらも倒してきた平社員に比べ、黄金聖闘士たちは、オフィスで部下の人事考課や出退勤管理等のデスクワークに勤しんでいた中間管理職にすぎないのだ。

もしかしたら白鳥座の聖闘士がクールではないという噂は事実ではないのではないかと思わずにいられないほど、その瞳の中で冷たい憎悪の光を燃やしている氷河の迫力に気圧けおされて、中間管理職の一人がしどろもどろの弁解を重ねる。
「あ……いや、だから、それは本当に君たちが死ぬことにはならないと踏んだからこそ思いついた計画で、我々は ただ純粋に聖域とアテナの倫理と秩序を――き……君たちはなぜ小宇宙を燃やしているのだっ !! 」

上司に向かって小宇宙を燃やし始めた氷河に 本気で身の危険を感じたのか、黄金聖闘士たちもまた、自らの小宇宙を燃やして部下の造反に対抗しようとする。
そんな彼等に鋭い声で釘を刺したのは、今はその瞳から涙を消し去り、代わりに やわらかい微笑さえ浮かべているアンドロメダ座の聖闘士だった。

「言っておきますが、あなた方には、僕たちに反撃する権利も資格もありませんよ。そんな潔くないことをして、僕たちを失望させないでくださいね。でも、安心していていいです。僕たちは心優しい聖闘士だから、あなた方の命を奪ったり傷付けたりするようなことはしませんから」
「お……おお、そうか。それはそうだろう、我々は君たちの上輩で先達で尊敬すべき年長者なのだからな」

にっこり笑って『あなた方を傷付けたりはしない』と言う瞬に安堵の息を洩らした黄金聖闘士たちは、瞬の微笑の意味を全く正しく理解できていなかったとしか言いようがない。
愛する者を殺せと命じられた人間の苦悩、一度は愛する者の命を奪う決意をした者の悲嘆、そして、一度は自らの死を決意した者の断固とした強さを、黄金聖闘士たちはわかっていなかった。
瞬の微笑は、安堵や喜び、幸福感でできたものではなく――それは、瞬の怒りを形にしたものだったのである。
黄金聖闘士たちは、この地上で最も怒らせてはならない人物を、本気で怒らせてしまったのだ。

「氷河、彼等を丁重に氷づけにしてあげて。1ヶ月もさらしものにすれば、僕たちの気も済むだろうから、その頃、僕が解凍処理をするよ」
にこやかな微笑みを黄金聖闘士たちに向けたまま、瞬が、一度は共に死ぬことを覚悟した恋人に、優しい声で彼の為すべきことを指示する。
「わかった」
一度は共に死ぬことを覚悟した恋人の言葉に、氷河は即座に頷いた。
アンドロメダ抹殺指令でないのなら、氷河がその小宇宙を燃やすことをためらう理由はどこにもない。
瞬の指示に従って小宇宙を燃やした氷河が、黄金聖闘士たちの前に ずいと進み出る。
彼は――彼も――今は、瞬同様 憤怒でできた微笑を その顔に浮かべていた。

「ま……待て!」
氷河にその力・・・を教示した某黄金聖闘士が 目一杯 顔を引きつらせて、弟子の暴挙を押しとどめようとする。
「待て、早まるな、氷河! わかっているのか、私はおまえの師なんだぞっ」
「知っています。あなたが冷却技は使えても、解凍の手段を持っていないことは。あなたには、俺にとっての瞬がいない。黄金聖闘士たちの中に その力を持つ者はいない。気の毒なことだ」

こんなことになるとわかっていたら、氷河を聖闘士になど育てあげるのではなかった――と、水瓶座の黄金聖闘士が思ったかどうかは、氷河も瞬もカミュ当人に確かめることはできなかった。
その事実を確かめる前に、水瓶座の黄金聖闘士は、氷河の全身から爆発するようにあふれ出た 宇宙空間をも凍りつかせてしまうような強烈な小宇宙によって、彼の仲間たちと共に巨大な氷の棺の中に閉じ込められてしまっていたから。






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