村長の姉娘がシュンを魔女だと告発してきたのは、その日の夕刻だった。 彼女は彼女の手下である村の娘たちと、昨日までその存在を侮りきっていた村の男たちを引き連れて、村を見おろす小高い山の上に建つハインシュタイン城の庭に乗り込んできたのである。 無理矢理引きずってきたらしいシュンの身体を、彼女は、穂を落とした麦藁を投げ捨てるように城の中庭に引きずり倒した。 「アンナ、あんたは家に帰ってなさい! シュンは魔女なんだから、金輪際近付くんじゃないの! この子は悪魔の力で村の男たちをたぶらかしてたのよ!」 「それはシュンちゃんが優しいからだよ。お姉ちゃんたちが意地悪だから!」 「そんなことくらいで、村の若い男たちが誰も彼もシュンに夢中になるわけないでしょ!」 ラウラは、たとえそれが実の妹でも、魔女の味方をする者は許さないと言わんばかりの形相で、シュンを庇い続けるアンナを睨みつけていた。 村の娘たちはといえば、彼女等が以前から好意を抱いていた男たちに、それぞれ媚びるように擦り寄っている。 「魔女なんかと関わるのは今日限りでやめて。あんたの身に何かあったら、私……」 「私、あんたが心配で……」 彼女等のほとんどは、ラウラの目の届かないところではシュンと普通に接していた娘たちだった。 その娘たちにしがみつかれて困惑しつつ、決して悪い気分ではないような顔をしているのは、昨日までシュンに 彼等は、昨日までとは打って変わった態度で自分に媚びてくる娘たちの豹変を奇異なこととは思わず、すべての原因をシュンのせいにして、今のこの現状を受け入れてしまおうとしているようだった。 男たちの中には、 「シュンを好きだと感じていたのは、シュンに妖術をかけられていたせいだったのか」 と、安堵したように呟いている者さえいた。 騒ぎを聞きつけて 城の中から中庭に出てきたヒョウガは、その場に、血走った目をして仁王立ちに立っているラウラと、昨日までは出会うたびに そっぽを向き合っていた者たちが、それこそ魔法をかけられでもしたかのように連れ立っている様を見い出し、いったい何が起こったのかと混乱することになってしまったのである。 シュンの拒絶の訳がわからず、ヒョウガは今日の午後をずっと一人で思い悩んでいた。 が、それどころではない騒ぎが、今この村には起きているらしい。 それだけは、ヒョウガにも かろうじて理解できた。 「ご領主様の使いで魔女狩りにやってきた取調官が魔女に取り込まれてしまうなんて、とんだ醜態だったわね。そろそろ目を覚まして、自分の務めを果たしたらどう!」 なにしろ、ヒョウガに向かって大音声で そう告げるラウラの足元には シュンが倒れており、アンナが その身体にすがりついて泣きそうな目をして歯を食いしばっていたのだ。 本当に、いったい何が起きたのか。 シュンに好意は抱いていないにしても、つい昨日まではシュンの存在に毒づいているだけだったラウラが、なぜ急にこんな暴挙に出たのか。 そして、彼女は何をわめきたてているのか。 肝心のことは、ヒョウガには全く わからなかった。 そんなヒョウガに、ラウラが侮蔑の言葉を投げてくる。 「ふん。村の男も外の男も、結局みんな同じなのね。手もなくシュンの妖術に落ちて。シュンは魔女よ。わかったら、さっさと自分の仕事に取りかかりなさいよ!」 「なに……?」 到底 正気の人間のものとは思えない目をした、甲高いラウラの喚き声。 その声のおかげで、ヒョウガは3つのことを理解した。 ラウラが自分を魔女狩りのために村に派遣された取調官と誤解していること。 彼女が、シュンを魔女として告発していること。 そして、彼女はどうやら、今日の昼間、ヒョウガがシュンに『一緒に村を出てくれ』と訴えていたのを聞いていたらしいこと――を。 ほとんど地面に倒れ伏していたシュンの腕を掴みあげ、引きずるようにして、ラウラがシュンをヒョウガの前に突き出す。 項垂れ、顔をあげる力もないようなシュンとは対照的に、ラウラは挑戦的な目でヒョウガを睨みつけてきた。 「隠したってだめよ。あなたは本当は魔女取調官なんでしょ。今はドイツのどこででも魔女が見付かって処刑されてるそうだもの。ご領主様が 自分の領地に誰かを派遣してくるのは当然よね。この城には牢も拷問部屋もあるんでしょ。さっさと自分の仕事に取りかかりなさいよ。シュンに自分が魔女だってことを自白させて、その証拠を見付けて、すみやかに処刑する。そうして務めを終えたらドレスデンにでも どこにでも帰ればいいんだわ。一人でね!」 かなり興奮しているようなのに、ラウラの笑みは氷のように冷たい。 彼女は、どこまでもシュンを庇おうとしている妹の首筋に爪を立て、掴みあげ、シュンから引き剥がした。 それは、とても実の妹に対する姉の振舞いとは思えなかった。 彼女は狂気に取り憑かれていると、ヒョウガは思ったのである。 そんな彼女の所業を止めようともしない娘たち男たちも、おそらく似たりよったりの狂気に支配されているに違いない――と。 「貴様等、気でも違ったのか。俺は魔女探知者でも、取調官でも、魔女裁判の審問官でもない。この世に魔女なんてものがいるはずないだろう。頭を冷やせ。この騒ぎは、貴様等だけで起こしたのか? 村長や大人たちは――」 「シュンの持ってるお金に丸め込まれてる父さんたちには、まともな判断なんてできっこないわ。シュンの妖術の犠牲者は、私たち若い者なんだから、シュンの正体は私たちにしか わからないのよ。でも、魔女の取調官で ご領主様の使いのあなたがシュンを魔女だと認めれば、大人たちも動くでしょ。早く、得意の拷問を始めたらどう!」 「馬鹿な――」 この村に来るまで、幾度も見掛けてきた魔女狩りという狂気。 ヒョウガは、今 初めて、その仕組みがわかったような気がしたのである。 国と国の争い。新教と旧教の争い。そして、病と貧しさ。 人々の心を不安定にする様々の要因。 そんなものが魔女狩りの原因なのだろうと、ヒョウガはこれまで思っていた。 だからこそ、有力な王を戴かず、それゆえ統制のとれていないドイツで、魔女狩りの嵐は 殊更激しく吹き荒れているのだろうと。 そういう側面は確かにあるのだろう。 だが、それは遠因にすぎない。 その狂気の直接の原因は、生きている人間なら誰もが抱えている“自分の生への不満”なのだ。 自分の人生が自分の思い通りにいかず、満ち足りていないことへの憤り。 それが自分の力ではどうにもならないものだと感じた時、人は、自分より恵まれた者や自分より弱い者に、その怒りをぶつけて鬱憤を晴らそうとする。 不安や憤りを抱えている者が一人だけなのであれば、それは大した騒ぎにはならないし、その人間は我慢するしかない。 だが、そういう人間が大勢いた場合、小さな不満が集まって徒党を組み、大きな狂気になって暴走を開始した時、嵐は生まれるのだ。 この村の若者たちは皆、不満を抱えていた。 それはシュンのせいというより、ラウラのせいだったのだが、ラウラよりシュンの方が社会的弱者――というより、性格的に大人しく虐げやすい存在だったために、彼等の狂気と攻撃性はシュンに向けられることになったのだ。 社会の不安定は、魔女狩りを引き起こしやすい状況の一つでしかない。 魔女狩りは、突き詰めていけば、個人と個人の関係破綻という現象なのだ。 自分の人生が自分の思う通りにならないことへの責任と原因を他者に押しつけること。 多くの人間の妬みと怒りが特定の個人に向かって放出された時、その狂気は発生するのだ。 そして、この騒ぎの直接のきっかけは、おそらく、村の男たちだけでなく 村の外からやってきたヒョウガまでがシュンに魅了されてしまったこと。 もともとシュンを妬んでいたラウラには、それが我慢ならないことだったに違いない。 『なぜシュンばかりが』 その思いが、ラウラを狂気に駆り立てたのだ。 「ルカス。君まで」 その場にいる者たちは皆――ラウラでさえ――シュンに好意を持たれ、シュンに気遣われ、シュンに助けられ、シュンに親切にされていた者たちだった。 シュンに優しくしていた者、シュンに優しくされていた者たち。 シュンが『優しい』と言っていた者たち。 彼等にこんな仕打ちを受けたシュンの受けた衝撃と傷心はどれほどのものなのか――。 あまりに痛ましく、我がことのように悲しく、苦しい。 ヒョウガは、一刻も早く シュンの身をラウラの手から奪い取り、自分の手で抱きしめてやりたかった。 魔女と告発された者に差しのべられたヒョウガの手に、ラウラが不審の目を向ける。 彼女は、それこそ悪魔に心を売った人間のような目をして、ヒョウガに釘を刺してきた。 「自分の職務を全うしてね。ちゃんとシュンを取り調べて。悪魔と契約を交わした印がシュンの身体のどこかにあるはずよ。何か、痣か傷のようなものが。証拠があがったら、あなただって きっと目が覚めるでしょ。拷問でも何でもして、自白を引き出したら、火刑台で焼き殺す。それで、この村は元の平和な村に戻るのよ」 「痣や傷? そんなもの、誰にでもあるだろう」 そんな無謀が通るなら、ほくろ一つで誰もが魔女にされてしまう。 ヒョウガには、若者たちの狂気、ラウラの狂気が理解できなかった。 彼等は本当に昨日まで良き隣人だったシュンが焼き殺されてしまうことを望んでいるのか。 彼等に そこまで憎まれるようなことを――いったい何を――シュンがしたというのか。 ラウラが自分を魔女取調官と思い込んでいるのは この際 幸運なことだと、ヒョウガは思ったのである。 その誤解のおかげで、彼等はシュンの身柄を シュンに恋しているよそ者に手渡さなければならないのだから。 ヒョウガは、ラウラの気に障らない程度に優しく、ぐったりしているシュンの身体を自分の腕で抱きとめた。 |