人生は試練の連続である。
一難が去れば、次の一難がやってくるのは、人が生きる上での お約束のようなもの。
あるいは、すべての人に課せられた宿命のようなもの。
最初に、氷河の恋の次なる試練の到来を案じ始めたのは、試練にさらされることになる当人ではなく、彼の仲間たちだった。

「俺たちが側にいっても びくつかなくなってくれたのはいいけどさ。瞬って、どうこう言って甘いよな。氷河の真の目的がわかってない」
「うむ」
瞬と氷河は、今日は、数ヘクタールの斜面全体が芝桜で埋まるという某丘陵に花見に行くと言って、楽しそうに連れ立って城戸邸を出ていっていた。
熱帯気候の孤島で修行していた瞬は、日本の穏やかな気候を肌で感じられることが嬉しくてならないらしく、今日はこちらの公園、明日はあちらの花畑と飛びまわって 日本の春を堪能しまくっていた。
氷河は氷河で、瞬の行くところに己が春があるというかのように、そんな瞬のお供を、表向きは粛々と務めている。
無論、氷河の内心は欣喜雀躍・狂喜乱舞といったところだったろうが、一見したところでは、二人は、温かく穏やかな春の日々を その季節にふさわしい温かさと穏やかさで過ごしていた。

が、温かく穏やかな春という季節にも嵐が吹き荒れることはある。
春の嵐は、健気に咲いている花々を情け容赦なく散らしてしまうたちの悪い嵐。
いつかは次の嵐がくることも、その嵐の原因が何であるのかということも予見できるだけに、毎日楽しそうにしている今の瞬が、星矢は心配でならなかったのである。

「氷河の究極の目的って、やっぱ、あれだよな……?」
「それも含めて、瞬の全部を手に入れることだろう」
「……」
形だけでも否定してくれない紫龍に、星矢は渋面を作ることになった。
だが、確実に訪れることがわかっている春の嵐を、一時いっとき 不安を解消するために否定してもらっても、何の益もないことは自明の理。
気休めは、発生した問題(あるいは、これから発生する問題)を根本的に解決できるものではないのだから、紫龍の応答は極めて適切なもので、かつ、正しく現実を見極めたものでもあったろう。
氷河は瞬を好きで、瞬しか好きではない。
当然、彼の性欲は瞬に向けられ、それは瞬に満たしてもらうしかない――ということは、厳然たる事実、否定できない現実なのだ。

「氷河にそういうふうに迫られたら、瞬のオトコ恐怖症が再発して、前よりひどいものになったりするんじゃねーか?」
「さて……」
紫龍は、今度は星矢の懸念をあっさり肯定しなかった。
しばし考え込む素振りを見せ、やがて頭を軽く横に振る。

「氷河は瞬を好きなんだ。瞬を傷付けるようなことはしないだろうし、もし そんなことをしたら、それは結局は自分の首を絞めることになるのだということも、奴は わかっているだろう。氷河は慎重に振舞うさ。時間をかけて ゆっくりと、腕力ではなく 誠意と理屈で瞬を説得するだろう。奴が望む幸福な結末を手に入れるには そうするしかないんだから」
「あの短気で お天気屋の氷河が長期戦を強いられるわけかー。そんな悠長で面倒なことするくらいなら、ただの仲間や友だちのままでいた方がよっぽど楽じゃん。それじゃ駄目なのかよ」
「駄目だろうな。氷河が瞬に対して抱いているのは友情とは違う感情なんだ」
「……うん」

多分そうなのだろう――ということは、恋を知らない星矢にも想像できた。
というより、氷河を見ていれば、それは嫌でもわかることだった。
氷河にとって瞬は特別な存在なのだ。
そして、氷河は、自分にとって特別な人から、同じように特別と思ってもらえない事態を甘受できるほど人間ができた男ではない。
氷河は、自分にとって特別な人間から特別に愛され、自分もその人の特別な存在になり、また、その証を手に入れたいと 熱烈に望むタイプの男なのだ。
あるいは、それは、氷河に限った願望・欲求ではなく、恋をしている人間全般に言えることなのかもしれなかったが、氷河は特にその傾向が強く、しかも氷河は諦めるということを知らない男。
その上、氷河は、6年もの長きに渡って恋の進展を中断され、その6年を耐え抜いたあと。
となれば、次の嵐の到来は どう足掻いても避けようのないもの――と考えるのが妥当だった。

そして、氷河の恋にかかわる次の嵐は、氷河が瞬のただの仲間や友だちのままでいることに耐えられなくなり、しかるべき行動に出た時に吹き荒れることになる。
瞬の傷心を考慮すれば、氷河はもちろん 相当慎重に行動しなければならないだろうが、氷河がこの上 更に6年もの“ただのお友だち”期間を耐えることができるとは思えない。
耐えに耐えても せいぜい1年。
来年の今頃には次の嵐が到来することを覚悟する必要があるだろうと、星矢は思わないわけにはいかなかった。






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