私がその二人連れを初めて見たのは5月最後の日曜日。 晩春というより、梅雨に入る前の初夏の公園だった。 もう6時は過ぎてたと思うけど、空はまだ明るくて真っ青。 でも、日曜の夕方だったせいか、公園に人影はまばらだった。 きっと明日からのオシゴトに備えて、近所の人たちはみんな自宅に帰ったあとだったんでしょうね。 もともと その公園は そんなに大きな公園じゃなく、子供用の遊具なんかも置いてなくて、近所の住人の散歩や日向ぼっこ用の公園だったし。 私は、その時、つい1時間前に、半年ほど付き合っていた彼氏に振られたばかりで、ものすごーく気が立ってた。 まったく、オトコってのは勝手な生き物だわ。 そりゃ、自慢じゃないけど、私は性格が悪い女よ。 それはちゃんと自覚してる。 でも、小学校に入った途端に両親が離婚して、それぞれに再婚。再婚に邪魔な私は祖父母の家に預けられ、たまに来る両親からの便りは生活費の入金の知らせだけって状況になったら、子供の性格がきつくなるのは当然。 パパやママがいないことを いちいち寂しがって泣いてたら、お祖父ちゃんお祖母ちゃんを困らせるだけだもの。 今は仕事の都合で都心のマンションで一人暮らしをしてるけど、そしたら身近に頼れる人はいないわけで、気の強さに磨きがかかるのは、これまた当然のことなわけよ。 ええ、私は性格が悪いわよ。 可愛げ? なにそれ? てなもんだわ。 でも、そんな私と付き合う気になったんだから、どうせあっちだって私の見てくれが お付き合いの動機でしょ。 そう思ったから、私、彼と会う時には、外見に滅茶苦茶 気を配っていた。 彼と会う日には、出掛ける3時間前から、気合いを入れてメイクして、ああでもないこうでもないって時間をかけて洋服を選んで、念入りに髪を整え、厳しく身嗜みをチェックして、それからやっと家を出るのよ。 彼に会う時は毎回そんなふう。一度だって手抜きをしたことはない。 そんな私の苦労も知らず、あの大馬鹿野郎、 「キミはちょっと気が強すぎて、僕にはついていけない」 ときた。 ったく、ママに甘やかされて、パパが用意したレールの上を一度も脱線することなく走ってきた男には、ろくなのがいない。 我慢が足りないのよ、我慢が。 ちょっと気に入らないところがあると、我慢なんかせず、もちろん事態を改善しようなんて前向きなことも考えず、すぐに放り出す。 面倒なことは さっさとやめて、何でも言うことをきいてくれるママの側に避難するわけ。 どんなエリートでも、そんなオトコ、こっちから願い下げよ。 だいたい、一緒にディナーをとることになるだろうって、私は、それなりの服で出掛けていったのよ。もちろん、昼食抜きで。 別れ話を持ち出すなら、食事のあとにしなさいよ。 帰りの電車の中で腹の虫が高らかに鳴って、私は大恥をかいたわ。 別れる女のために食事代を払うのは馬鹿らしいってわけ。 大変 合理的なことだわ。 パパやママから、お小遣いはたくさんもらってるんでしょうに。 エリート官僚って言っても、今はただの下っ端だものね。 変なプライドがあるらしくって 食事代はいつも彼が払ってくれたから、その点は感謝してるけど、別れる理由の一つがそれってどういうこと? 振りでも自分の分を払おうとする気遣いがほしかった? 僕は君の財布じゃない? 勝手に言ってなさいよ。 私は、あの馬鹿男が出す食事代以上のお金を、あの馬鹿男に会う時に着る洋服代につぎ込んでた。 化粧品代、エステ代だって 馬鹿にはなんない。 二人のオツキアイのための支出なら、私の方が多かったに決まってる。 そんなこともわからないの。 (あー、もー、オトコなんて、オトコなんて!) ほんとは大声で叫びたかったんだけど、最後の理性に支えられて、私はかろうじて腹の中で毒づくだけで済ませることができていた。 振られた男への不満と空腹を訴える虫が、私の腹の中で大合唱。 とっとと家に帰ってお茶漬けでも食べようと思って、私は わざとハイヒールの音を高く響かせて、マンションに向かって歩いていたのよね。 ちなみに、公園を突っ切るのは、私が借りてるマンションへの近道。 公園を大きく迂回したら、お茶漬けにありつく時間は確実に3分遅れるって判断した私が、公園の遊歩道に一歩 足を踏み入れた時だった。 私の進行方向10メートル前方から、 「氷河、氷河。このナズナ、遊歩道のタイルを割って伸びてる。すごいね」 っていう、やたらに明るく弾んだ子供の声が響いてきたのは。 子供なら子供らしく、ナズナなんて言わないでペンペン草って言いなさいよ! って腹を立てて、腹の中の二重唱を三重唱に変えた私が、声のした方に目を向けたら、そこにあの二人がいたの。 もっとも、そこにいたのは子供じゃなかったけど。 少なくともペンペン草に喜ぶような子供じゃなかった。 綺麗な二人連れだった。 神様は、よくもまあこんな綺麗な人間を創る気になったもんだと呆れるくらい。 なのに、なんで、そんなに綺麗な二人がペンペン草なんかに夢中なのかって、思ったわね。 といっても、ペンペン草に夢中なのは二人連れの片方だけで、『氷河』って呼ばれたもう一人の方は、ペンペン草じゃなく、遊歩道のタイルを割って伸びているペンペン草に瞳を輝かせている子の方を見詰めていたけど。 最初に目を引いたのは『氷河』って呼ばれた男の方。 なにしろ、派手な金髪をしてたから。 もちろん、染めたり脱色した まがい物じゃないホンモノの金髪。 ガイジンの歳はよくわからないけど、学生っていう雰囲気じゃなかった。 私と同じくらいと言われれば そうも見えるし(ちなみに、私は26よ)、まだ20歳前と言われれば、そうかもしれないって思えるような風体をしてた。 その見事な金髪を見て、私は「もちろん碧眼」って、勝手に一人で決めつけた。 体格プロポーションは申し分なく、遠目に見た限りでは顔は満点。 少し猫背に見えるのが気になったけど、それは彼の連れが、彼より背が低いからだったみたい。 つまり、彼は連れの子を見おろし見詰めてるのが癖になってるんでしょうね。 その連れがまた 不思議な雰囲気を持った子だった。 こっちは、確実に私より10は年下。 綺麗というか、可愛いというか――。 そうね。たとえて言うなら、オタク向けの恋愛シミュレーションゲームに出てくる女の子。もちろん本命タイプ。 男の理想と妄想を結晶化したみたいな顔と表情と仕草の持ち主だった。 綺麗と可愛いの中間で、この世に悪意を持った人間なんているはずないって信じてるような、素直で大人しそうな――要するに白痴美。 あ、白痴美って差別用語かしら。 でも、他にうまい言い方が思いつかない。 男に都合がいいように、イケナイ知識はないけど、男に都合がいいように、なぜか細々した気配りはできる いい子ちゃんって感じ。 私の第一印象はそうだった。 どう言えばいいのかな。 たとえば、私は、3万円のフランス料理のコースを彼氏に奢らせる。 頭から爪先まで合計したら、私は そのコース料金の5倍強のものを身に着けてるんだから、それは当然のことだって考える。 でも、その子は、格式の高いフランス料理の店に連れていかれたら、その入口で値段を察して、 「私、こういうお店より、もっと家庭的で可愛いお店がいいな」 とか何とか言って、通りが2つずれたところにある、デザートまで食べても せいぜい2千円のスペインの家庭料理のお店に行くタイプ。 もちろん、自分のお代は自分で払おうといるんだけど(その振りはするんだけど)、結局は ちゃっかり 奢られて、申し訳なさそうに、 「ありがとう、ごめんなさい」 って、言ってみせるのよ。 結局 奢らされてるにもかかわらず、馬鹿な男共は、なんておくゆかしい子なんだって感激したりするのよね。 馬鹿みたい。 それが普通の大学生高校生のことなら、私だって鼻で笑ってられたでしょうけど、“普通”というには、あまりに綺麗すぎる二人連れ。 しかも、本当に生きてる人間なのかって疑いたくなるほど端正な顔をした金髪男が、恋愛シミュレーション風美少女を見詰めてる目が、初孫を見て相好を崩してる お祖父ちゃんお祖母ちゃんみたいに優しくて、それが私にはカチンときた。 私と彼等の間には10メートル弱の距離があって、間近で見たわけじゃないから あれなんだけど、そういうことって、近くで見なくても素振りと雰囲気で感じとれるのよね。 いかにも大切な宝物を守っていますってふう。 オタクなゲームに興じる凡百な容姿の男ならともかく、せっかく それだけの美貌を与えられたんだから、もっとクールにカッコつけてたらどうなの! って、私は その金髪美形を怒鳴りつけたくなった。 誰もが羨む美貌の持ち主ふたりが、子供のままごとみたいな恋をしてる風景。 そんなものを見せられて、振られたばかりの社会人女子に むかつくなって言う方が 無理な話だと思うわね。 私が男で、あれだけの美貌に恵まれてたなら、ペンペン草なんかに歓声あげるような子供は うっちゃって、片っ端から金持ちの有閑マダムを たらしこんで、大金を貢がせるわよ。 私が、あんなふうなシミュレーション美少女だったなら、お金を持ってるおじさんに純真を装って近付いて、たっぷりお小遣いをもらうわ。 美貌ってものは、そういうふうに使うものでしょ。 なのに、なんなの、あの二人。 綺麗な男が可愛い女の子とくっついてたって、誰も得はしないのよ。 そういう人間は、もっと公共の利益を考えて、奉仕の精神を持ち、より多くの人間に夢を与えて、経済の活性化に尽力すべきなの。 それが、綺麗に生まれた人間の務めってものよ。 美形が二人、ままごとみたいに ほのぼのしたお付き合いなんかしていても、どうせ、おいおい世間の荒波にもまれて別れることになるに決まってるんだから。 それにしても、綺麗すぎる男と可愛すぎる女の子。 そんな二人が、馬鹿みたいに幸せそうにペンペン草を見詰めてる――綺麗な男の方は、ペンペン草を見る振りして、シミュレーション美少女を見詰めてる。 あの子って、きっと、彼氏を自分の許に引きとめるための努力なんかしたことないんだろうなあ。 何の苦労もなく、運命みたいに巡り会って、お互いに一目惚れ。 恋を成就するための苦労なんかすることもなくて、二人でいられるだけで幸せ。 人に羨まれるほど自分たちが綺麗なことはわかってるから、逆に、自分たちが人にどう思われてるかなんてことを気にする必要もなくて、二人だけの世界に浸っていられるのよ。 イケてない男とイケてない女のカップルなら、それでもいいわよ? 割れ鍋に綴じ蓋、おめでたくて、微笑ましくて、『予定調和ってこのことよね』で済む。 でも、あんなに綺麗な二人が、そんな馬鹿げた恋をしてるなんて、第三者は腹が立つだけ。 せっかく並外れた美貌に恵まれたんだから、それを利用して のしあがることを考えなさいよ。 それが成功したら、私みたいな凡百の人間は そういう人間を心置きなく妬むことができるし、失敗したら、『普通がいちばん』って安心できるのよ。 天賦の美貌に恵まれた人間は、そういう世間の期待に応えるべきだわ。 自分たちだけで幸せに完結しようなんて許されることじゃない。 「あんなに綺麗で、見るからに苦労知らず。絶対に別れるわよ。別れる、別れる、別れろ。そして、現実はおとぎの国とは違うんだってことを思い知って、一つ利口になるのよ!」 ――って、声に出して言ってしまった気がして、私は、そんな自分にぎょっとした。 私は確かに素直で優しい いい子じゃない。 でも、私にどんな危害を加えたわけでもない見ず知らずの他人の不幸を願うなんて、私、どうかしてる。 私、振られたせいで――ううん、おなかがすきすぎて おかしくなってるのよ。 早く家に帰って お茶漬け食べなくちゃ。 そう思って、一歩を踏み出した私のハイヒールのかかとの着地点。 多分、そこには、ペンペン草かタンポポかハコベかオオバコか、とにかくたくましい野草の葉か茎があった。 命を踏みつけにする私に腹を立てたのか、その何ものかが、私のハイヒールに天誅を加えてくる。 私は、その場でかかとの折れた右足のハイヒールを5メートルも先に飛ばし、私自身は遊歩道のタイルの上に仰向けにひっくりかえっていた。 |