「いったーい!」 私が不必要なほど大きな声を辺りに響かせることになったのは、いろんなことが腹の中にたまってて、それを外部に放出したいっていう欲求が臨界点に達しかけていたからだったのかもしれない。 あとは、幸運にも頭を打たなかったせいと、ビテイ骨強打の衝撃が大きすぎたから。 ハイヒールって、そういう転び方をするから危険だわ。 ともかく、そういうわけで、私は大きな声をあげた。 この声を聞きつけたシミュレーション美少女が、私が飛ばしたハイヒールを素早く拾いあげて、私の側に駆け寄ってくる。 「だ……大丈夫ですかっ !? 」 想像通り――ううん、想像以上に、素直そうに澄んで綺麗な瞳が、尻餅をついている私の顔を心配そうに覗き込んでくる。 でも、お肌の曲がり角なるものを通り過ぎた女のサガか、私をいちばん驚かせたのは、シミュレーション美少女の大きな瞳じゃなくて、その子の肌の方だった。 間近で見ると、目が眩みそう。 なんて綺麗な肌。 こんな綺麗な子に、至近距離から 厚塗りメイクの顔を見られるのはきつい。 きついどころか、私、その時、ほんの一瞬だけど、泣きそうになったわよ。まじで。 8センチのヒールが、根元からぽっきりいっちゃってるのにも、かなりまいったけど。 右の脚と左の脚で長さが8センチ違ったら、普通に歩くのは至難の技。 しかも、ストッキングには大きな穴、ツーピースのスカートには派手なかぎざき。 私がシミュレーション美少女の綺麗な肌に泣かずに済んだのは、そういう泣くに泣けない状況のせいだったかもしれない。 「もう信じられない! これじゃ歩けない!」 「氷河。この公園の南側の出口を出た方に、靴の修理屋さんがなかったかな?」 私の泣き言を聞いたシミュレーション美少女が、金魚のフンみたいにゆっくり彼女を追いかけてきた金髪美形を振り返る。 金髪美形は、どっかの女の災難には全く興味がなさそうな口調で、 「折れていない方のかかとも折ってしまえばいいだけのことだろう。それでつり合いが取れるようになる。不自然な履き物を履いているより身体への負担も減って、一石二鳥だ」 と言ってくれた。 「氷河!」 素直で優しいシミュレーション美少女が、金髪美形の暴言をたしなめる。 この美形、氷河ってのは本名なの? 変な名前ね。 まあ、この顔に『太郎』や『二郎』でも困るけど。 金髪美形氷河は何かと想定外だったけど、シミュレーション美少女の方は、何もかもが私の想定内。 親切顔の心配顔で、私に気遣わしげに、 「あの、足を挫いてはいませんか」 って、訊いてきた。 「ストッキングが駄目になって、スカートが破れただけ」 何の義理もないのに本気で心配してくれてるみたいだから、無視もできない。 それでも少しばかり投げやりな声になった私に、シミュレーション美少女は気を悪くした様子も見せなかった。 「あの、靴の修理屋さんが、ここからすぐのところにあるので、そちらに――」 「ありがと。そうする」 差しのべられた手を借りないわけにもいかず、私はシミュレーション美少女の手を借りて その場に立ちあがった。 そして、かかとの折れた靴を履いた――まではよかったんだけど。 左右の脚8センチの差は、人に 歩くことはおろか、立っていることさえ困難にしてくれるものなのね。 マリリン・モンローは、あのモンローウォークをするために、わざと左右のヒールの高さを変えてたっていうけど、その差は絶対1センチ以内よ。 断言してもいいわ。 なーんて、どうでもいいことを私が考えてた時だった。 かかとの折れた右足だけを爪先立ちで どう歩き始めたものかと迷っている私を見兼ねたらしいシミュレーション美少女が、私にとんでもない提案をしてきたのは。 ええ。それはとんでもない提案だった。 シミュレーション美少女は、真顔で、 「あの……僕、あなたを抱いて運んでもいいですか」 って、私に訊いてきたんだから。 「えええっ !? 」 この子、いったい何を言ってるの !? 私よりチビで、私よりずっと細くて、500ミリリットルのペットボトル持つのも危なっかしそうな細腕してるくせに、身長168センチ、体重56キロの この私を抱いて運ぶ? この子、自分をスーパーマンか何かだとでも思ってるの? だとしたら、それは大いなる認識違い。 あなたが出演してるのはオタク向け恋愛シミュレーションゲームで、アメコミでも格闘ゲームでもないのよ。 そんな基本的なことに、でも、シミュレーション美少女は気付いていないらしい。 「すみません、不躾なこと言って……。でも、あの、ちょっとの間のことですから」 なーんて、重ねて言ってくるシミュレーション美少女に、私はぽかんとすることになった。 金髪氷河が、 「不躾なのは、この女の方だ。こいつは、おまえにそんな力はないと侮っているんだ」 って言ってこなかったら、私はそこで明日の昼まで呆けたままでいたと思う。 金髪氷河が言ったセリフも、私としては素直に首肯できるものじゃなかったけど。 私は、このシミュレーション美少女を侮ってるわけじゃない。 現実を冷静かつ客観的に見て、妥当な判断を下してるだけよ。 運べるわけないじゃない。 私は、この子より確実に重いわよ。 声に出して反論するのも癪な その事実を、金髪氷河が まして、シミュレーション美少女の方が身の程をわきまえたとも思えない。 でも、幸いなことに、私は、私よりチビで細くて軽い女の子に抱いて運ばれ(て、再び地面に腰を打ちつけ)るという災難に見舞われずに済んだの。 シミュレーション美少女に私みたいな大きな荷物を持たせることはできないって判断したらしい金髪氷河が、 「だが、まあ、イメージの問題もあるし、おまえが この女を運ぶのはやめておいた方がいいだろうな」 って言って、私を抱き上げてくれたから。 それも、なんと、おおおおおお姫さま抱っこで! 私、パニックを起こしたわよ! 自分の身体がどうなって、どこにあるのか、どうして私の足が地についていないのか、咄嗟に認識できなかった。 「ありがとう、氷河」 本来なら私が言うべきセリフをシミュレーション美少女に奪われてしまった気まずさで、さすがに私も少しずつ現状把握ができるようになっていったけど。 間近で見ると、氷河はほんとに綺麗な男だった。 端正で、ガラス球みたいな青い瞳。 睫毛は長いし、鼻筋は通ってるし、私を振ってくれた男とは月とスッポン。 でも、シミュレーション美少女を間近で見た時もそうだったけど、こういう綺麗な人間を見たあとで我が身を顧みる空しさったら ないわね。 こんな美形に抱かれてるっていうのに、私の考えることといったら、『ファンデが崩れてないかしら』なんだもの。 そして、私は、あのシミュレーション美少女の肌がほしいって、痛切に思った。 あの子くらい綺麗だったら、私だって、この夢みたいな場面で化粧崩れの心配なんかせずに済んだのに……って。 そのシミュレーション美少女は私の靴とバッグを持って、私の侍女みたいに てくてく私たちのあとをついてくる。 それはなかなか楽しいシチュエーションだった。 超美形の王子様、素直で忠誠心に満ちた清楚な侍女。 そして、私は彼等の女王様(の気分)。 もとい、自分が可憐なお姫様になったみたいな錯覚を覚えちゃってたわ。 錯覚は錯覚で、事実ではないわけなんだけど。 それは、まさに地に足が着いていない状態の私にも わかってたんだけど。 |