シュンたちの乗った船が入った港は、いかにも自然の地形を利用しただけの、人の手の入っていない風情をしていたが、スパルタの都は、シュンが想像していたものより はるかに人工的なものだった。
道には石が敷かれ、町の中心には、アテナイのそれほどではないにしても壮大な大理石の神殿がある。
おそらくは公共施設と思われる建物も、そのほとんどが大きさの揃った石を用いて造られていた。
スパルタの大部分の男たちが、個人の家ではなく兵舎で生活することを義務づけられているからなのだろう。都の内に、一般の住居らしきものはほとんど見当たらない。

もっとひなびた町の姿を想像していたシュンには、その光景はちょっとした驚きを運んでくるものだった。
もちろんアテナイのような華やかさはないのだが、そこは野蛮人の営む集落ではない。
スパルタの都は、言ってみれば、洗練されていない都会――と言っていい風情をしていた。

アテナ一行が案内されたのは、そんなスパルタの都の内に建つ石造りの建物だった。
その無骨な外装から察するに、今は使われなくなった元兵舎。
館と 花ひとつ咲いていない庭は、石の城壁に取り囲まれ、その石壁の内側と外側に武器を持ったスパルタ兵たちがずらりと並んでいる。
見ようによっては、そこは三重の包囲網が張り巡らされた牢獄だった。
もっとも、アテナは、長老会の代表に、
「食堂の他に、大部屋が2つ、5床から10床の寝床のある部屋が30室ほどありますので、すべてお好きに使ってください。身のまわりのお世話をする女たちを交代で つけますので、不自由がありましたら、その者にお申しつけを。それから、長老会から迎えの者が来るまで、門の外に出ることは ご遠慮いただきたい。断りもなく外出されますと、御身の安全は保障しかねます」
と脅迫まがいのことを言われた時にも平然としていたが。

「閉じ込められてしまったわね。こんな不粋で潤いのない館に。まあ、なんでしょう、この質実剛健を形にしたような素っ気ない調度は」
シュンたちを案内してきた老人が退散し、シュンと二人きりになってからも、アテナの心は、専ら スパルタから提供された宿舎の不粋に向けられ、彼女は彼女の命の安全を憂える様子を見せなかった。
「大丈夫でしょうか。これでは我々は籠の鳥も同然です。スパルタ兵たちに踏み込まれたら、ひとたまりもない。火でも放たれたら、万事休すです」
不安を隠し切れずにいるのはシュンの方だった。
シュンの懸念を、アテナが一笑に付す。

「大丈夫よ。私は友好的な親善大使として、この場に来ているの。ここで武器も持っていない私を殺すようなことをしたら、スパルタは自分で自分の名誉を傷付けることになるわ。スパルタは、己れの強さをギリシャ全体に知らしめ、ギリシャの覇権を手にしたいと思っているのよ。戦場で勝利するのでなければ、その強さを他国に示すことにはならない。私がここで暗殺されでもしたら、アテナイだけでなく、ギリシャの全ポリスがスパルタを叩く大義名分ができたと狂喜して スパルタに襲いかかるでしょう。そんなことをしたら、実はアテナイとスパルタの共倒れを期待して、今は傍観者を決め込んでいるギリシャの他の都市国家を喜ばせるだけだということくらいは、いくらスパルタの者たちでもわかるでしょう。この館を出ることは禁じられても、庭に出ることまでは禁じられなかったのだし、女たちには、せいぜい庭に出てスパルタの兵たちに あでやかな姿を見せつけてやりなさいと言っておいてちょうだい」

「相変わらず大胆な……。でも、アテナがそういう豪胆な様子でいらっしゃったら、随行してきた女性たちも不安がらずにいられますね」
深い考えを持たない腕力だけの男に対しても、逆に分別のある男に対しても、怯えた様子を見せないことは最も有効な牽制である。
そもそもアテナ自らが乗り込んできたことだけでも、スパルタはアテナの意図を量りかねているはず。
何か裏があるのではないかと疑っているに違いないスパルタの者たちは、迂闊に滅多なことはできないと考えるはずだった。
もちろん、それには、スパルタの男たちにも多少は物を考える頭があると前提してのことなのだが、これだけの都を築く者たち、その頭の出来が猿並みということはないだろう。

スパルタへの牽制、連れてきた女性たちの不安解消。
アテナがすべてを考慮済みであることを知って、シュンはほっと安堵の息を洩らした。
室内にある無骨な調度に歪めた顔をそのままにしていたアテナが、シュンのその様子を見て、相好を崩す。
「シュンは本当に賢いわ。スパルタの長老会や民会の者たちも、シュンくらい賢明であってくれればいいのだけど、はたしてどうかしらね……」

歌うように そう言ったアテナは、閉じ込められた建物の中で、翌日から早速 彼女の仕事に取りかかったのである。
アテナの最初の仕事の相手は、戦場で戦う力を持たないがゆえに虐げられているスパルタの女たち――だった。
アテナは、敵国の女神の身の周りの世話をするためにやってくるスパルタの女たちに 積極的に近付いていったのである。
あまり口をきくなと命じられているのだろうスパルタの女たちが、アテナの話術と親しみのある態度に徐々に心を許し、敵国の首長に“ここだけの話”をするようになるのに さほどの時間はかからなかった。

そうして、彼女たちから知らされたスパルタの実情。
それは なかなか興味深いものだった。
彼女等の話によると、長老会がなかなか公式にアテナとの会談の場を設けようとしないのは、スパルタ市民から成る民会で、アテナイとアテナに対する態度に関して意見が割れているから――であるらしい。
『打倒アテナイ』で一丸になっていると思われていたスパルタにも、アテナイとの共存共栄を推す有力な将軍がいるというのだ。
そして、夫の無事、息子の無事を願うがゆえに戦を憎む女たちも、そのほとんどがアテナイとの戦を望んでいなかった。






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