ヒョウガは 思いを遂げてからも、すぐにはシュンから離れなかった。
ヒョウガの肺が空気を取り込み 吐き出す、その動きを、シュンは、文字通り 自分の肌で感じていた。
かなり無理な態勢をとらされ、体重のほとんどをかけられるようなこともあったのだが、シュンは不思議に苦しさも重さも感じなかった。
むしろ、ヒョウガが離れていった時に シュンは初めて、ヒョウガに つらい思いを強いられたような気がしたのである。

いつのまにか太陽神は その日の彼の務めを終え、西方の宮殿に帰ってしまっていたらしい。
夜の闇を追い払うために ヒョウガが部屋に灯りをともした時には、シュンは、自分とヒョウガの間に何が起こったのかを正しく理解できていた。
神であるアテナやアルテミスが知らないことを、自分は知ってしまったのだと。
知ってしまったことに少しばかりの不安と恐怖を覚えはしたが、そんな感情は、ヒョウガの青い瞳に出会った途端、シュンの胸の中から 跡形もなく消えていってしまった。
二人が身体を交える前には 苦渋と焦慮で燃えているようだったヒョウガの瞳が、今は 荒れることを忘れた地中海の穏やかな水面のように凪いでいる。
そんな瞳の中にいる自分が 幸福な人間でないはずがないと、シュンは素直に信じてしまえたのだ。

「こんなに細いのに、どういう鍛え方をしたんだ」
シュンの側に戻ってきたヒョウガが、寝台に横になったままのシュンの手をとり、こころもち身体を傾けて その指先に唇で触れてくる。
そのまま、彼は、シュンの枕元に腰をおろした。
「筋肉に負荷をかける訓練に重きを置かなかったの。でも、決して、脆弱なわけではないと――」
「それはわかっている。おまえの肌はしなやかで強い。体力もあるし、声は可愛いし、顔立ちには文句のつけようもない。その上……」
シュンの唇、頬、額、髪――それらに触れる権利を得たことを確かめるように、ヒョウガの指がシュンの上をなぞっていく。
彼のものになった恋人を褒めあげるヒョウガの表情と声が妙な硬さを帯び始めているのを見てとって、シュンは微かな笑い声を洩らした。

「その上? まだ僕を褒めてくれるの?」
からかうような口調で尋ねたシュンに、ヒョウガが気難しげな苦い笑顔を向けてくる。
「中もすごい。まずいな。おまえを抱いてからでないと、俺はまともに眠れなくなりそうだ。長期の戦になど、俺はもう絶対に行けない」
「な……何を言っているの」
「俺が完全な反戦論者になったということだ。アテナイとの戦を阻止することは、スパルタのためでもあるが、今は何より俺自身のためだ――いや、俺たちのため」

国の利益が自分自身の利益と重なっていることは、その人間にとっては非常に幸運なことだろう。
更にそれが愛し合う者同士で一致していたら、それ以上の幸運も幸福も望みようがない。
「うん。僕たちのため」
笑って ヒョウガに そう告げることのできる今の自分を、シュンは心から嬉しく思ったのである。
ヒョウガの手が、微笑むシュンの肩におりてくる。
「アテナは――おまえがアテナイに拾われた時のことを憶えているのか。アテナイに、何か記録のようなものは残っているか」
「え……?」

ふいに、恋人同士の睦言とは思えない話題を持ち出してきたヒョウガに、シュンは僅かに首をかしげることになった。
とりあえず、問われたことに答える。
「アテナは、当時 まだ10歳の少女だったから……。でも、スパルタの見捨てられた子供たちを救う仕組みを作ることを決めたのは、その10歳のアテナだったから、忘れているということはないと思うけど……。もちろん、記録も残されているはずです」
「内密に アテナに会って話をしたいんだが、叶うか」
「……」

それまで 大人しく寝台に横になったままヒョウガに自由な愛撫を許していたシュンは、ヒョウガのその言葉を聞くや全身を緊張させ、上体を寝台の上に起こした。
ヒョウガが、シュンの肩に置いていた手に力をこめて、シュンの身体を寝台の上に押し戻す。
「アテナは僕より強いです。ヒョウガ、変なことは考えないで」
ヒョウガに限って、まさかそんなことは――アテナの暗殺などという危険なことは――考えていないだろう――とは思う。
だが、アテナに忠誠を誓うアテナイ人として、シュンは、どんな小さな危険の可能性も、アテナに近付けるわけにはいかなかった。
シュンが何を懸念しているのかを承知しているらしいヒョウガが、恋人を疑う恋人を責める代わりに、シュンに微笑を返してくる。

「何を心配しているんだ。俺が おまえ以外の誰かに目移りするとでも? 俺はおまえに夢中だ」
「ぼ……僕はそんなことは――」
「おまえだけだから……証明させてくれ」
言うなり、ヒョウガが再びシュンの上に覆いかぶさってくる。
ヒョウガの重みと熱を帯びた肌。
それが ただただ心地良い。
「ああ……!」
ヒョウガがシュンに証明してみせてくれたのは、むしろシュンの方が いつのまにかヒョウガに夢中になってしまっているという事実だったかもしれない。

「俺がアテナに会うのは、俺たちの恋を守るためだ。そのために、どうしてもアテナイとスパルタの間に戦を起こすわけにはいかない」
ヒョウガに耳許で囁かれると、シュンの中の、ヒョウガを信じたいという思いが、シュン自身にも抑えようがないほど大きく膨れあがっていく。
もしかしたら、恋という感情は、『この人を信じたい』という思いが幾重にも積み重なってできるものなのかもしれないと、ヒョウガの熱を自分の熱で包み込む幸福感と快さに心身を侵食されながら、シュンは思ったのだった。






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