ああ、そうだ。
映画のタイトルは『ひまわり』。
第二次大戦時のロシア戦線に送られた男と、その男を待ち続けた女の悲劇だ。
愛し合っていた二人が戦争によって引き裂かれ、長い年月を経て ついに二人が巡り会った時、男は既に別の女と家庭を築いていた。
愛する男の帰りを待ち続けた女の、長い忍耐の時は報われなかった。

あの映画のラストは――どうなって終わったんだったろう。
俺は全く憶えていない。
ただ、瞬が泣いて――俺がどう言って慰めても、瞬が泣きやんでくれなくて――いったい誰が何の目的で 瞬にこんな大人向けの映画を瞬に見せたのかと苛立ちながら、俺はひたすら瞬に『泣くな』を繰り返していたから。
瞬に、あの映画の悲しみの意味がわかっていたはずはないのに。
あの映画の本当の意味がわかっていたはずがないのに。

瞬のあの涙は、もしかしたら、今日の俺たちを予感して流された涙だったのかもしれない。
長い別れの時を経て、ついに巡り会ったのに、俺たちの道が一つになることは、もうない。
恋に夢中だった あの日々を もう一度 取り戻すことは、俺たちにはできない。
離れていた時間の分だけ、二人は歳をとり、それぞれに捨てられないものができてしまったから。
要するに、俺が しょぼくれた おっさんになってしまったからだ。
あの恋の日々を取り戻したいという気持ちに逆らえず、すべてを捨てて再び恋の激情に身を任せるようなことをしたら、『大人気ない』『滑稽な』と、人に嘲笑われるような――。

昔の恋人に再会した時、人がどういう顔をするものなのかを、俺は知らない。
普通は、恋人としての情熱は冷めたが、穏やかな友情は抱いている友人として、その再会を喜んでいる振りでもしてみせるものなんだろうか。
おそらく、それが大人の対応というやつなんだろう。
そうすることで、相手に気まずい思いをさせず、自分も みっともない男だと思われずに済む。
そう。それが大人の対応というものなんだ、おそらく。

だが、俺という男は、かなり出来の悪い人間らしい。
6年振りに出会った瞬の姿を見た途端、俺は阿呆のように ぽかんとして――そして、見とれた。
俺たちが恋人同士だった頃、瞬は本当に女の子めいた様子をしていて、それこそ可憐な花のように可愛いらしい子だった。
その瞬が、俺を好きでいてくれるということに、俺は有頂天になっていた。
俺も、日本人の中にいると毛色が派手だから人目を引く方だったが、あの頃の瞬はもう、老若男女を問わず、出会った誰もが目を細めるような可愛らしさで――。

その瞬が俺だけのもの。
俺に名を呼ばれると、それだけで瞬は嬉しそうに瞳を輝かせて、俺の許に駆けてくる。
自分が瞬にとって そういう人間なのだということを、俺はいつも、かなり得意がっていた。
俺の姿がほんの少し見えないだけで、泣きながら、どこに行ってたのと責めてくる瞬が可愛くて、瞬にそんなふうに責められたくて、わざと瞬の前から姿を消してみせたことさえあった。
そうして、瞬の涙を見て、瞬が俺を好きでいてくれることを確信して悦に入る。
あの頃の俺は、どうしようもないほど我儘なガキだった。

本当は、俺こそが、瞬が俺以外の奴を見たり、俺以外の奴の話をしたりするたびに、苛立っていたのに。
俺は瞬を独占したかった。
瞬を俺だけのものにしておきたかった。
どこか、俺しか知らない秘密の場所に瞬を閉じ込めて、俺以外の奴が俺の瞬を見ることができないようにしたいとさえ――かなり本気で思っていた。
だが、それはどうしたって無理な話だから、俺は それこそ、あの手この手を使って、瞬が俺を好きでいることを確かめようとした。
そのために瞬を泣かせることも平気で、むしろ、瞬を俺のために泣かせて喜んでいたんだ。
あの頃の俺は、恋人として最低の男だったと思う。
瞬は、俺の側にいて心が安らいだことなんて、ただの一瞬もなかったに違いない。

あの頃に比べれば ずっと大人びた瞬は、今はもう可愛い女の子には見えない。
かといって男っぽくなったというわけでもなく――どう言えばいいんだろう?
性のない妖精じみてきたように見える。
綺麗とか、可愛いとか、そんな言葉は適切じゃない。
不思議で、掴みどころのない、だが、魅力的であることだけは事実の、この世に似たもののない何か。
――うまく言えない。

あの頃の瞬は、本当によく泣いた。
そのくせ、時に妙に勝気になることもあった瞬。
今は優しい印象が強くなり、だが、どこか悲しげに見えるのは、俺に会ってしまったからなんだろうか。
俺に会いたくなかったからなんだろうか。

それも無理からぬことだ。
俺は、瞬を泣かせることしかできない男だった。
瞬は、俺なんかに出会わなければ、いつも もっと笑顔でいられたはず。
それを、俺が、いつも瞳に涙をたたえている瞬にしていたんだ。

あの頃に増して、不思議な魅力に満ちた瞬。
瞬は、きっと、あれから、俺なんかとは違って、瞬に笑顔を浮かべさせることのできる誰かに出会ったに違いない。
この瞬を、人が放っておくはずがない。
多分、俺よりずっと分別のある奴が――でなければ、潔く瞬の魅力に屈し、瞬の前に跪き、ひたすら瞬を愛することのできる誰かが、今の瞬を自分のものにしているんだろう。
だから、瞬は、こんなに――他に適当な言葉を見付けられないから、この言葉を使うが――綺麗になってしまったんだ。

苦しい。
――苦しい。
俺はまだ瞬を愛している。
瞬と別れてから知り合った誰も、瞬の代わりになれなかった。
そんな奴がいるはずがない。
瞬は、この世に一人しかいない、稀有な魅力に満ちた生き物。
他の誰も瞬の代わりにはなれない。
瞬の代わりになれるのは、瞬ひとりだけだ。






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