「氷河があんなふうな考えの持ち主だったなんて!」 氷河が“あんなふうな考え”の持ち主であることを、瞬が星矢たちに訴えたのは、そうすることによって氷河の“あんなふうな考え”が一般的なものでないことを、仲間たちに確認するためだった――かもしれない。 瞬のその望みは、残念ながら、叶えられることはなかったのであるが。 瞬の切なる訴え(泣き言ともいう)を聞いた星矢と紫龍は、氷河の考えを『正しい』もしくは『一般的だ』と言うことはしなかったが、『正しくない』『一般的でない』とも言ってくれなかったのだ。 「失敗を危惧するあたり、氷河の奴、結構 冷静じゃん。普通、盛りのついたオスは、そんなこと考えもせずに猪突猛進して、あっけなく終わって、『あれっ?』てなもんなんじゃねーの?」 「星矢はそうだったの?」 「俺に訊くな、ばか」 「紫龍は?」 「ノーコメント」 親しき仲にもプライバシーあり。 星矢と紫龍に あっさりかわされてしまっても、瞬はその件については、更なる追求を行おうとはしなかった。 今 問題なのは、星矢や紫龍の脱童貞時の状況ではなく、氷河の恋愛観と性愛観なのだ。 「僕は……氷河には、氷河が心から好きな人と、そういうことをしてほしい。その……多少ぎこちなくてもいいから……」 「あ、それは無理。氷河が好きな相手って、多分、そういうことができない相手だから」 それは秘密でも何でもない――というように軽い口調で星矢が口にした言葉の意味を、瞬は咄嗟に理解することができなかったのである。 瞬が星矢の言葉の意味するところを理解できるようになったのは、瞬が星矢に、 「え? それ……って、どういうこと?」 と問い返してからだった。 とはいえ、瞬が理解できるようになったのは、『氷河の好きな人を、僕だけが知らなかった』という一つの事実だけだったが、その一事はそれだけで 瞬には十分に衝撃的な事柄だった。 瞬が今日の今日まで知らなかったこと――氷河に好きな人がいるという事実――を、星矢は以前から知っていたものらしい。 それどころか、氷河の好きな相手が誰なのかということも、その人がどういう人物であるのかということも、星矢には既知のことだったらしい。 星矢の発言に、紫龍も特段 驚いている様子を見せないところを見ると、紫龍にとってもそれは特に新しい情報ではない――ということなのだろう。 自分だけが、氷河に好きな人がいるということを知らなかったのだ――。 その事実は、瞬に、地球が自転運動と公転運動を突如 中止したような大きな衝撃をもたらした。 「どういうことって……。氷河の好きな相手ってのは、 「え……」 「ありふれているとまでは言わないが、本当に好きな相手は聖女のごとく崇め奉り、性欲は他の女で解消しようとする男というのが、世の中には確かに存在する。まあ、氷河の場合は、そうするしかないからそうする――という側面の方が強いとは思うが」 「あ……」 星矢たちからもたらされた 氷河の恋人に関する情報は、瞬には寝耳に水のことで、同時に 思いがけないことでもあった。 だが、氷河なら、そういう恋をすることもあるかもしれない――と、瞬は思ったのである。 たとえば、氷河が、彼の母親に似た女性に恋をしたなら、氷河はその人に触れることを罪深い行為だと考えることもあるかもしれない――と。 「も……もしかして、氷河は、好きな人を汚したくなくて、でも、せ……性欲はあるから、代わりの人で発散させようとしているの? それで、急にあんなことを言い出したの?」 「それは何とも言えないな。氷河は自分の色恋の話を 人に吹聴してまわる男ではないし。だから、すべては推測の域を出ない」 「氷河は、最初から、好きな人じゃなく、好きな人の代わりの人を求めてるの? そんなのって……」 そういう恋もあるかもしれない――とは思う。 好きだからこそ、恋した人を肉欲の対象として見ることができない恋も。 だが、だからといって、“好きな人の代わり”を求め利用しようとすることは、正しいことだろうか。 瞬は、氷河に、そういう卑劣で哀しいことをしてほしくなかった。 もちろん、恋には 正しい恋と呼べるものも間違った恋と呼べるものもなく、恋の質を決定するものは、誠意の有無と深浅、そして 愛情の方向性だけだろう。 それはわかっているのだが、瞬は、そんなことをする氷河を見るのは 嫌だったのだ。 苦しげに眉根を寄せ 言葉を途切らせてしまった瞬を 慰め諭すように、紫龍が その目許と口許に、心から笑っていない形だけの微笑を刻む。 「氷河に、綺麗で正しく真っ当な恋をしてほしいという、おまえの気持ちはわからないでもないし、それは実におまえらしい考え方だとも思うが、氷河の つらい立場もわかってやれ。氷河の好きな相手が 清澄な世界の住人でいることをやめ、俗世に下りてきてくれない限り、氷河の恋は十中八九 成就しない。だが、氷河は一度この人と思い込んだら、他が見えなくなる男だ。氷河は、当然、その人との関係を破綻させる可能性のあることは絶対にしないだろう。とはいっても、氷河も生身の男というわけで……。氷河は、氷河に好きな相手がいることを承知の上で、ある意味、アンドロメダ姫のように犠牲的精神で氷河の性欲を静めてくれる相手を求めているのかもしれないな」 「……」 氷河の苦衷がわからないわけではないのである。 瞬は、ただ、氷河がそんな 理屈ではないのだ。 理屈とは別のところで『嫌だ』と感じるから、大人の寛容さで氷河の恋を認めることができない。 だが、子供の我儘で、氷河を責めることもできない。 今の瞬にできることは ただ、無言で その顔を伏せることだけだった。 |