瞬王子がアルビオレ先生の許に身を寄せて半月以上が経った頃でした。
いつものように河岸の難民村で病人の治療をしてきたアルビオレ先生が、瞬王子を彼の診療室に呼び、
「おまえは もしや皇帝の弟君なのではないか」
と尋ねてきたのは。
瞬王子は、どう答えたものか――真実を告げるべきか、しらを切り通すべきか――を、咄嗟に迷ってしまったのです。
アルビオレ先生の意図がわかりませんでしたし、瞬王子は今はアルビオレ先生の施設から追い出されることを何より恐れていましたから。

答えをためらっている瞬王子に、アルビオレ先生は答えを強いることはしませんでした。
代わりに、突然彼がそんなことを尋ねることになった事情を、アルビオレ先生は瞬王子に教えてくれました。
「皇帝がとんでもない お触れを出したんだ。弟を探して王宮に連れてきた者には、この国を半分やると。世界を半分やると言われているようなものだ」
「あ……」
兄君が出した“とんでもない”お触れの話を聞いて、瞬王子は真っ青になってしまったのです。
責任感が強く、帝国のより良い統治を己れの人生の第一義としている兄君が そんな無茶なお触れを出すなんて、瞬王子には信じられないことでした。

「先生は、僕を兄のところに連れていこうとしているのですか?」
この重大かつ深刻な状況で嘘を言っても始まらないと考えた瞬王子は、そうアルビオレ先生に尋ねました。
アルビオレ先生が、笑って首を横に振ります。
「国などもらってもどうしようもない。あまり高いところに立つと、その者の目は市井で苦しむ者たちにまで届かなくなるだろう。君主は、国を富ませるために大掛かりな事業を計画実行している。その影で苦しむ者も出るが、だから彼に王の務めを果たすのをやめろとは言えないだろう。彼の行為が多くの民を救い、その生活を豊かにしているのは事実なのだから。その豊かさの犠牲になっている者たちに手を差しのべることが、私に与えられた使命なのだと、私は思っている」

アルビオレ先生の言葉に、瞬王子はほっと安堵の胸を撫でおろしました。
アルビオレ先生なら、帝国の半分を統治することになっても暴君になったりすることはないだろうと、それは瞬王子にも確信できたのです。
ですが、そうなれば、アルビオレ先生は瞬王子の兄君と同じ視点立場で行動しなければならなくなるでしょう。
今 アルビオレ先生を頼ってきている人々を、彼は切り捨てなければならなくなるのです。
それは多くの人々にとって大きな不幸になるだろうと、瞬王子は思いました。
アルビオレ先生の考えを聞いて安堵の表情を浮かべた瞬王子に、アルビオレ先生は、慈しむような目を向け、けれど厳しい声で言いました。

「だが、おまえの身を それほど心配している肉親がいるんだ。おまえは一度 兄君の許に帰った方がいいと思う。皇帝はおまえを探し出してきた者に、国を半分与えると言っている。皇帝が何の考えもなしに そんな無茶を言っているとは思えないが……兄君が、それほどおまえを大切に思っているのは事実だ」
「はい……」
瞬王子は、アルビオレ先生の言葉に深く項垂れることになりました。
瞬王子の兄君がそんな無茶なお触れを出したのは、瞬王子が氷河と一緒にいると思っているからなのでしょう。
兄君は、瞬王子が無事でさえいるのなら、多少のことには目をつぶり氷河に譲歩する決意をしたのです。
そこまでの決意をしてくれたのです。

兄君の深い愛情はわかっていたのに、今 追いかけないと永遠に氷河に会えなくなってしまうような気がして、衝動的に宮殿を飛び出た自分を、瞬王子は深く反省し、後悔しました。
兄君に心配をかけたことは反省し、後悔してもいたのですが――瞬王子は、自分が王宮を出たこと自体は悔やんでいませんでした。
兄君の庇護のもとにいたのでは知ることのできなかった多くのことに、瞬王子は兄君の城を出て初めて出合い、知ることができたのですから。
瞬王子は、兄君に心配はかけたくなかったのですけれど、兄君のお城の中には戻りたくありませんでした。

「僕がここにいることがばれないように、僕が無事でいるという手紙を兄に届けることはできないでしょうか」
「それはできないこともないが……。貧民救済や孤児救済の有志で作った組織網が国中にあるから、彼等の協力を仰げば、それは可能なことだろう。しかし――」
「先生、すごい」
アルビオレ先生の言葉を、瞬王子は意識して、わざと遮りました。
遮ることで、瞬王子は、自分の意思をアルビオレ先生に伝えました。

アルビオレ先生はおそらく、『おまえの兄が望んでいることは、おまえの無事な姿を見ることだろう』と、そんなことを言おうとしたのでしょう。
そして、その推察は事実でもあるでしょう。
けれど、瞬王子は、今 ここを離れてしまいたくはなかったのです。
アルビオレ先生は、瞬王子の決意の固いことを見てとって、諦めたように、瞬王子の手紙を兄君の許に届ける約束をしてくれたのでした。






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