「兄さんの聖衣、すごく可愛い! この背中の ひらひらって、鳳凰の羽根の見立てなんですよね。対戦相手の意識を逸らして、集中力を殺ぐのに効果があるのかな。案外、ただの飾りだったりして。ふふ。ただの飾りでも、可愛いから いいかな」 6年の時を経て実現した再会。 言いたい放題の弟にからかわれて むすっとしながら、それでも鳳凰座の聖闘士は嬉しそうだった。 どんなに不機嫌のポーズをとっていても、その瞳が笑っているのがわかる。 それも当然のことだろうと、星矢や紫龍は思っていたのである。 もしかしたら二度と会えないかもしれないと案じていた弟が、立派に聖闘士になって帰ってきてくれたのだから。 彼等が、少々はしゃぎすぎのきらいのある瞬を注意できずにいるのには、他にも理由があった。 城戸邸から それぞれの修行地に送り込まれた子供は100人。 瞬は、その100人の子供の中でいちばん泣き虫で脆弱な子供だった。 その自分が聖闘士になれたのだから、他の仲間たちは当然聖闘士になって生還してくるものと、瞬は信じていた――決めつけていたらしい。 帰ってきた者は僅か9人と聞いた時、瞬は呆然と その場に立ち尽くしていた。 瞬が、帰ってこない多くの仲間のことを考えることを恐れて 無理に明るく振舞っているのがわかるから、瞬の仲間たちは 兄の聖衣をからかっている瞬をきつく叱ることができずにいたのだった。 瞬がそんなふうでいることに気付き、青銅聖闘士たちの心を安んじさせようという意図があって、彼女がその親切に及んだのかどうかは、青銅聖闘士たちには わからない。 ともかく、城戸沙織が帰ってこない子供たちの消息に言及したのは、青銅聖闘士たちが日本に帰還してから1週間ほどが経った ある日の夕食後。 亡き城戸翁が企画していたというギャラクシアン・ウォーズなるイベントの説明を終えたあとだった。 「あなたたちも心配でしょうから、知らせておきます。6年前、あなたたちと共に それぞれの修行地に旅立ち、今 ここに帰ってきていない者たちが多くいますけど、彼等は命を落としたというわけではありません。この6年の間に、一人だけ、病気で亡くなった者がいるにはいるのですが、他の者たちは、聖闘士になれなかったか、修行を途中でリタイアしただけで、ちゃんと生きています。全員の消息を把握済み。現地に生活の基盤を築いた者と日本に帰ってきた者が半々というところね」 「沙織さん、それほんとかよ!」 「それは よかった。本当に……」 できれば帰国当日に知らせてほしかった その情報に、青銅聖闘士たちが一斉に安堵の息を洩らした直後だった。 瞬が、 「死んでしまったんじゃないんですか! あの……氷河――氷河も !? 」 と、それこそ噛みつかんばかりの勢いで 沙織を問い質していったのは。 帰国直後は元気だったのに、日を追うごとに その表情を暗く沈ませていた瞬が、久し振りに発した覇気のある声。 そんな瞬の様子に、星矢と紫龍は意味ありげに視線を交わし、瞬の兄は、帰国後最高最大の不機嫌な顔を作ることになったのである。 「氷河は……聖闘士になって聖衣も授かったの。ただ、彼は日本に帰ることを希望していなくて――こちらに戻る気はないと言ってきているわ」 「氷河が僕たちに会いたくないって言ってるんですかっ !? 」 「そうは言っていないわ。ただ、帰りたくないとだけ。聖域を刺激する方法なら他にいくらでもあるから、ギャラクシアン・ウォーズには出なくていいとも言ってみたのよ。古い仲間たちに顔を見せるくらいのことをしても罰は当たらないでしょうと 幾度も説得を試みて――。直接あなたたちの声を聞いたら帰国する気になるかもしれないと思って、衛星回線でつながる携帯電話を送ってみたりもしたのだけど……氷河は、ずっと電源を切ったままなの」 「氷河が送られた修行地って、東シベリアの奥地なんだろ。案外、使い方がわかってないだけだったりしてな」 氷河に比べれば都会と言っていい場所で修行してきた星矢が、文明人を気取って茶々を入れる。 瞬は、星矢のジョークに笑いもせずに――笑うどころか、瞬は星矢の横で涙ぐみ始めていた。 「氷河、生きてるんだ……よかった……」 弟の潤んだ瞳を見た瞬の兄が、不機嫌だった顔を 複雑な顔に変化させていく様に、紫龍は ひそりと苦笑することになったのである。 瞬の兄とて、仲間の生存の情報は決して嬉しくないものではないのだろう。 だが、氷河の生存を瞬が特に喜ぶことは あまり楽しい事態ではない――というのが、瞬の兄の本音であるに違いなかった。 なにしろ、ほんの小さな子供だった頃から、氷河は一輝にとって要注意人物だったのだ。 子供の頃の氷河の口癖は、『日本には、瞬より可愛い女の子はいないのか』だった。 おそらく一輝は、帰国した氷河の口癖が『ロシアにも瞬より可愛い女の子はいなかった』になっていることを懸念しているのだろう――と、紫龍は察していた。 その認識に至った氷河が、どういう行動に出るか。 生粋の日本人でないだけあって、氷河は色々な面で日本の常識から逸脱していることの多い子供だった。 氷河の非常識が、より大人になってパワーアップしていないとも限らない。 聖闘士の資格を得て 生きているにも関わらず、氷河がここにいないという現状は、瞬の兄には まさしくベストの状態であったに違いないのだ。 瞬の兄が(おそらく)そんなことを考えて その顔を複雑なものにしていた間、彼の弟は全く別のことを考えていたらしい。 「僕、氷河を迎えに行きます」 瞳に決意の色をたたえて、瞬は、帰ってこない聖闘士の扱いに思案しているらしい沙織に向かって そう断言した。 『迎えに行かせてほしい』でも『迎えに行ってもいいですか』でもなく、『迎えに行きます』と。 「おっ、本気か、瞬」 瞬の宣言を聞いた星矢が、ぱっと その顔を明るくする。 星矢は瞬の決意を歓迎しているようだった。 「迎えに行くのはいいが、慎重にな。氷河は帰国するのは嫌だと言っているんだ。無理強いはしないように」 紫龍は慎重に中立で、 「シベリアの海には奴の母親が眠っているんだろう。奴は この6年でマザコンに磨きがかかり、金輪際母親と別れたくないと思うようになったのかもしれない。無駄なことはやめておけ」 一輝は明確に反対の立場。 三者三様の反応を見せる仲間たち全員に、瞬は素直に頷いた。 「氷河がどうしても日本に戻りたくないっていうのなら、それはそれでいいんだ。氷河に帰国を無理強いするつもりはないよ。ただ、僕は氷河に会いたいの。僕が聖闘士になった姿を見せて、自慢したいだけ。生きているのがわかっているのに会えないなんて、僕――」 「……」 素直に頷いてみせながら、その実 瞬は きっぱりと兄の意見を退けている。 一輝の複雑な顔は、再び 不機嫌な顔に逆戻りすることになった。 一輝を不機嫌にしたものは、だが、厳密に言えば、弟の反逆行為ではなく、彼の中に残っている 子供の頃の氷河の言動の記憶だったのである。 氷河の真意はわからないが、瞬に対する当時の氷河の態度は、他の仲間たちとは明確に異なっていた。 瞬は、そんな氷河の態度を『優しい』『親しみを示してくれている』等、好意的に解釈していたようだったが、一輝は、それが不快に感じられてならなかったのである。 なぜ不快に感じられるのか。氷河は瞬をいじめているわけではないのに。 当時の一輝は、氷河の振舞いを不快に感じる自分を奇妙だと思っていた。 もちろん、当時の自分が氷河の言動を不快に感じていた訳は、今では一輝にもわかっていたが。 要するに、氷河は、瞬に対する下心でいっぱいだったのだ――ということが。 だが、まさかそんなことがあるはずがないという、標準的一般的日本人の常識が、その可能性に思い至ることを瞬の兄にさせなかったのだ。当時は。 「なら、俺も一緒に行こう」 早熟な毛唐の毒牙から最愛の弟を守らなければならない。 瞬の友情や懐旧の思いに水をさす偏屈な兄になるわけにもいかなかった一輝は――もちろん、瞬のそれは純粋な友情に決まっているのだ――あくまでも弟の身を案じる優しい兄を装いつつ、瞬のシベリア行きに同道する意思を表明した。 それは、瞬の兄にしてみれば当然の用心だったろう。 が、あろうことか、彼の仲間たちが、弟の身を案じる兄の心を すっぱりと否定してくれたのである。 「一輝は行かない方がいいだろう」 中立の立場にいたはずの紫龍が、あっさりと言う。 紫龍の意見に、星矢は至極当然といった顔で賛同した。 「俺もそう思う。瞬に、兄貴と仲良く一緒に迎えにこられて、氷河が喜んで日本に帰ってくると思うか? 氷河は、かえって臍を曲げるだけだろ。おまえが帰ってきてなかったら、氷河は案外 喜んで日本に帰ってきてたのかもしれないって、俺、思うんだよな。おまえがいない隙に、瞬をものにするために」 「貴様等は……っ!」 星矢と紫龍は、氷河の下心に気付いているらしい。 否、もしかしたら彼等は、6年前の段階で既に 氷河の邪心に気付いていたのかもしれなかった。 いずれにしても、氷河の下心を承知の上で そんなことを言うというのなら、この二人もまた氷河同様 瞬に仇なす敵だと、怒りの炎を燃やしつつ、一輝は思ったのである。 「僕をものにするって、どういうこと」 兄の胸中で燃え盛る怒りの炎はもちろん、氷河の下心にさえ気付いていないらしい瞬が、のんきな目をして星矢に尋ねていく。 星矢と紫龍も敵である――少なくとも味方ではない――ことがわかった今、一輝の味方は 彼の最愛の弟の鈍さだけだったかもしれない。 「んー、どう言えばいいかな。おまえのいちばんの親友ポジションをゲットするために画策するってことかな」 「友だちとか親友とかっていうものは、なろうとしてなるものじゃなく、いつのまか自然になっているものでしょう」 「まあ、フツーのトモダチはそうなんだけどさー……」 完全に本気で、真面目かつ素直に首をかしげる瞬に、さすがの星矢も言葉に詰まってしまう。 瞬のこの清らかさ――鈍感・晩熟ともいう――が吉と出るか凶と出るか。 瞬への下心いっぱいの男の吉となるか、弟の身を守ろうとする兄の吉となるか。 それは、当の瞬にも、瞬の兄にも わかっていないこと。 完全な第三者である星矢たちには、なおさら わからないことだった。 「万一 すごく詰まらない理由で僕たちのところに帰ってきてくれないんだったら、氷河と果たし合いをしてでも、僕、氷河を日本に連れて帰ってくるから」 シベリアに行くことは既に決定事項にして 決意のほどを語る弟に、一輝は苦虫を噛み潰したような顔を向けることになったのである。 そんな一輝とは対照的に、星矢と紫龍は、昨日までとは打って変わって翳りなく輝き始めた瞬の瞳を歓迎していた。 「瞬の奴、張り切ってるなー」 「あの泣き虫が見事に聖闘士になって生還し、一輝にも会えたんだ。張り切らざるを得ないだろう。瞬には、我々の再会を完璧なものにしたいという気持ちもあるのかもしれない」 「まあ、氷河には俺も会いたいから、俺は全面的に瞬を支持するけどな。あの生意気で早熟で我儘だったガキがどんなオトコに育ったのか、俺はぜひとも見てみたい」 「意外と純朴な好青年になっているかもしれないぞ。ケータイの電源の入れ方も知らないのでは」 「俺たちに やいのやいの言われるのが鬱陶しいから切ってるだけなんじゃないか? 氷河は、他人が自分を心配してるかもしれないなんてことは考えもしない唯我独尊な奴だったから」 再会を熱烈希望している相手に対して、星矢は情け容赦のない酷評を下す。 呆れるというより、むしろ感心して、紫龍はそんな星矢に尋ねたのだった。 「そんな奴でも氷河に会いたいのか?」 「だってさー。一輝と瞬の兄弟愛に、氷河がどこまで食い込んでいけるのか、おまえ、見てみたいと思わないか」 「それは大いに興味がある」 「だろ? みんなが氷河の帰国を心待ちにしてるたんだよ」 「一輝以外は、だろう」 「そこが面白いんだって」 無責任に明るく笑って そう言ってから、星矢は、帰国した日に沙織から渡された携帯電話をデニムのポケットから取り出すと、そのメタリックレッドの物体を悔しそうに見詰めたのである。 「せっかくもらったんだから、これ使って、氷河の奴を思いっきり挑発してやりたいんだけど……氷河の奴、電源入れてないのかー。道理でつながらないと思った」 そうぼやいた星矢の携帯電話は、思いっきり 電源が入っていなかった。 |