「『ボクに毎朝、お味噌汁を作らせてください』だってよ、『ボクに毎朝、お味噌汁を作らせてください』!」 星矢が、突然 城戸邸ラウンジに素頓狂な雄叫びを響かせたのは、あまり計画性のない小中学生たちが夏休みの宿題をどうしたものかと慌て始める頃。 暦の上では秋でも、太陽はまだ盛夏の勢力を保っている、ある夏の日の昼下がりだった。 空調完備の城戸邸内では暑さのために苛立つこともできないはずなのに――と、アテナの聖闘士たちは 突然の星矢の雄叫びを 奇異に思ったのである。 氷雪の聖闘士である氷河ならまだしも、太陽の申し子のような星矢に限って、まさか夏の暑さに苛立つようなことがあるはずがない。 ゆえに、紫龍が、星矢に、 「なんだ? と尋ねていったのは、さほど奇妙なことではなかっただろう。 星矢の口から食べ物の名が飛び出てきたら、それは その名を冠するものを食べたいという訴え以外のものではありえない――というのが、彼の考えだったのだ。 「俺は食い物に関しては文句も贅沢も言わねーぜ。好き嫌いはないし、出されたものはポタージュでも中華スープでも何でも有難く食う。そうじゃなくて、プロポーズの言葉だよ、プロポーズ」 「プロポーズ?」 『プロポーズ』なる言葉は、『味噌汁』より更に 星矢には縁のない言葉である。 なぜ そんな言葉が、よりにもよって星矢の口から飛び出てくるのか。 今度こそ本当に訳がわからなくなって、紫龍は その眉根を寄せることになった。 星矢が、そんな紫龍の前のテーブルに一冊のファイルを持ち出し、中の とあるページを指し示す。 それは、主に経済や時事問題に関するニュースを週単位でピックアップして綴じたファイルで、いつもは客間のラックに置かれているものだった。 「ほら、ここ。既存観光地の活性化ならびに少子化対策を目的に展開される“恋人の聖地プロジェクト”の一環として、毎年行われている“全国プロポーズの言葉コンテスト 2010”の最優秀賞作が、『ボクに毎朝、お味噌汁を作らせてください』に決定した――んだとさ、氷河!」 テーブルの上に広げたファイルの記事を声に出して読みあげてから、星矢が氷河に檄(?)を飛ばす。 突然 星矢の指名を受けた氷河は、どうやら かなり暇を持て余しているらしい天馬座の聖闘士に不審の目を向けることになったのである。 「おまえ、敵さんが夏休みで仕事に来てくれないせいで、平和ボケでも起こしたのか? プロポーズだの味噌汁だの、それがアテナの聖闘士にどう関わりがあるというんだ」 「アテナの聖闘士には関係ないだろうけど、おまえには完全に無関係なことでもないだろ。つまり、今時の男は 星矢に問われた氷河は、なぜ自分がそんな記事へのコメントを求められるのか解せないという顔を作った。 そして、とりあえず、彼なりのコメントを口にする。 「『男子、厨房に入るべからず』だ。男が『味噌汁を作らせてください』だと? 全く情けない時代になったもんだな」 「今は料理のできる男の方がもてるんだよ。んな古臭いこと言ってると――」 「馬鹿らしい。男の価値は料理ができるかどうかで決まるもんじゃない」 「じゃあ、何で決まるんだよ?」 話の流れで そう訊いてしまってから、星矢は、氷河にそんなことを訊いてしまった自らの迂闊を心から後悔した。 氷河のことだから、『当然、顔だ』くらいの答えが返ってくると、星矢は思ったのである。 ちなみに、星矢がそんなことを考えて後悔している時、紫龍は『テクと精力だな』に類する答えが返ってくるだろうと推察していた。 いずれにしても、星矢と紫龍の二人が、氷河の答えを聞きたくないと思っていたのは全く同じ。 ところが、氷河の答えは、完全に彼等の想定外のものだったのである。 氷河は、星矢の質問に対して、 「それはもちろん心根だろう。優しさとか強さとか、そういった美質を備えているかどうかだ。まあ、それは、男に限ったことでもないだろうが」 という答えを返してきたのだ。 「へ……?」 「なに……?」 まさか、氷河の口からそんな真っ当な答えが返ってくることがあろうとは! 星矢と紫龍は、氷河の口から飛び出てきた意想外の答えに驚き、呆れ、信じられない思いで ぽかんとすることになった。 ぽかんとしたまま、その視線を瞬の上へと巡らせる。 天馬座の聖闘士の視線と龍座の聖闘士の視線の先で、アンドロメダ座の聖闘士は――アンドロメダ座の聖闘士も――ぽかんとしていた。 してみると、それは、瞬にとっても思いがけない答えだったに違いない。 いったい瞬はどういう答えが氷河から返ってくると考えていたのか、星矢と紫龍は その点に大いに 好奇心を刺激されたのだが、残念ながら彼等は その謎の解明作業に取り掛かることはできなかった。 「なんだ、おまえら。その顔は」 という、氷河の不機嫌そうな声のせいで。 まさか『白鳥座の聖闘士が まるで普通の人間のようなことを言うのに驚愕したのだ』と、本当のことを白状するわけにもいかない。 紫龍は慌てて、ぽかんとしていた自分の顔を引き締めることになった。 「あ、いや、実に真っ当な答えだ。感服した」 「そ……そりゃそーだよな。いくら味噌汁が作れても、性格悪いんじゃ、話になんねーよな」 「考えるまでもないことだ」 氷河が仲間の同意に、偉そうに頷く。 「そーだよな。考えるまでもないことだよな」 氷河の意見に賛同し、感心してみせながら、だが、星矢と紫龍は 内心では、この事態を正しい状況だとは 全く思っていなかった。 氷河の主張は、一般的日本人の常識という点から見ても、一般的日本人の価値観に照らし合わせてみても 正論である。 それは確かに 見事なまでの正論で、星矢も紫龍も氷河の意見に対しては異論はなかった。 彼等は、ただ、“氷河が正論を吐く”という この事態を、通常のものと思うことができなかっただけだった――異常事態と思わずにいることができなかっただけだった。 彼等は、“氷河が正論を吐く”という この事態に、違和感や不自然を感じずにいることが どうしてもできなかったのである。 |