ルーツ

- 俺の弟がこんなに可愛いわけがない -







一輝が城戸邸に帰ってきたのは、重陽の節句の前日。
つまり、瞬の誕生日の前日だった。
連絡もなく夜遅く ふらりと帰ってきた兄を、瞬は嬉しそうに出迎え、氷河は嬉しそうに出迎えなかった(当然のことながら、この否定形は『嬉しそうに』にかかる。さすがの氷河も、瞬の兄を追い返すわけにはいかなかった)。

「残暑厳しいこの時季に、なぜ こんな暑苦しい顔を見なければならないんだ! このところの猛暑と地球温暖化現象は貴様のせいなんじゃないのか !? 」
「俺のせいというより、むしろ 貴様の小宇宙が微弱すぎるからだろう。瞬、土産だ」
氷河の嫌味をさらりと流して、瞬の兄が手にしていた紙袋を弟の手に渡す。
瞬は、その紙袋に印刷されているレモンイエローの動物の絵を見て、口許をほころばせた。

「わあ、ありがとうございます! ヒヨコ?」
「ああ」
「ありがとう、兄さん!」
なぜよりにもよってヒヨコなのか――が、氷河にはわからなかったのである。
東京土産と誤解されているきらいはあるが、ヒヨコ饅頭の販売元は福岡にあり、ヒヨコは九州の名産品である。
東京都内にある家の住人に東京土産を持ってくるのも馬鹿げたことなら、九州に旅行に行っていたわけでもないのに九州土産を買ってくるのは愚行を通り越して無意味。
瞬の兄が瞬への土産にヒヨコを買ってくることに、もし何らかの意味があるのだとしたら、それが好意から生じたものであるはずがない。
あるはずがないと、氷河は思った――決めつけた。

「礼を言うなっ。それは俺へのあてつけだっ」
「え? 氷河、ヒヨコ嫌いなの?」
氷河の激昂の訳がわからなかったらしい瞬が きょとんとして、怒髪天を衝いている氷河の顔を見詰める。
ヒヨコが嫌いなのではなく、瞬の兄が持ってきた土産がヒヨコだという事実が気に入らなかった氷河は、悪意も害意もない瞬に そう問われ、答えに窮することになった。
自分の内に悪意のない人間は、他人の悪意に気付かない。
氷河は、一輝の悪意を瞬に知らせて一輝の底意地の悪さを瞬に認識してほしかったが、それで瞬を 人の悪意に聡い人間にするようなことは避けたかった。

微妙なジレンマに捕らわれて言葉に詰まった氷河を、一輝が鼻で笑う。
「共食いになるとでも思ったんだろう。安心しろ。これは瞬への土産で、貴様に共食いを強いるためのものじゃない」
「この……!」
『白鳥座の聖闘士 = ヒヨコ』と最初に認めてしまったのは自分なので、瞬の兄に何を言い返すこともできず、氷河は夜のエントランスホールで ぎりぎりと歯噛みをすることになった。



■ この話に出てくる『ヒヨコ』はフィクションです。実在の福岡銘菓『ひよ子』や東京銘菓『ひよ子』とは関係ありません。



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