俺たちの蜜月は1年間だけ続いた。
1年という時間が 長いものなのか短いものなのか、それは俺にはわからない。
第三者の目で見れば――宮廷風恋愛の実践者の目でも――それが“短い”時間だということは、俺にもわかるが。
『合わない』とわかると2、3日で優雅に別れる宮廷風恋愛実践者たちの恋も、別れる理由がなければ2、3年は続くのが普通のようだったから。
もちろん、その間も、彼等の恋人がただ一人だけであることは非常に稀なことなんだが。
だが、俺には1年で十分だったんだ。
『これ以上シュンと一緒にいたら、俺はシュンなしでは生きていられなくなる』という確信に至るには。

シュンは健気で誠実で優しく、献身的で美しかった。
田舎の小貴族の次男坊のこと、さほどの学はなかったが、シュンは生来の才気と理解力を有していた。
俺の館の図書室への出入りを許すと、シュンは瞬く間に 宮廷風恋愛にうつつを抜かしている輩以上の教養を身につけた。
その向学心の理由を尋ねると、シュンは、
「ヒョウガの話すことで わからないことがあると悲しいから」
と答えてきた。

そんなふうなシュンが、いつまでも ただの美しい愛人でいるわけがない。
身体を交えている時はもちろん、そうでない時にも、シュンは俺にとって なくてはならない存在になっていった。
シュンとの会話は楽しく快いものだった。
シュンは素直で公平な判断力を持っていたから、時には俺の考えに厳しい批判を下すこともあったが、それも大抵は俺を呻らせるだけの説得力を持っていた。
俺の感情が乱れ、沈み、荒ぶる時には、シュンは優しく俺を慰め、あるいは、理を尽くして俺の心を落ち着かせてくれた。
その上、ベッドでは、俺を思う存分 獣にさせてくれる素晴らしい恋人。

知性と官能性を兼ね備えた人間というのは、稀にではあるがシュン以外にも存在するものだろう。
だが、シュンは、その二つに加え、優しさと深い愛情をも有する人間だった。
しかも、シュンの愛情は俺一人だけに向けられている。

シュンを手に入れてからの俺は、おそらく世界で最も幸運で幸福な男だったろう。
シュンを手に入れてからの俺は、俺の生活のほとんどすべてを占めていた虚無感を忘れることになった。
俺はシュンに溺れた。
肉体も心も理性までがシュンに溺れた。
たった1秒 シュンと離れていることが苦痛に感じられるようになるほど。

その幸福の絶頂の中で、俺は唐突に気付いたんだ。
この幸福は、俺がシュンを失った途端に消えてしまう、もろく儚いものなんだということに。
シュンと、ほんの1秒 離れていることさえつらいと感じる俺の心。
『おまえは何のために生きているんだ?』と問われれば、迷いもなく『シュンのため』と答えるだろう今の俺。その恐ろしさ。
シュンを失えば、その瞬間から、俺は一人で立っていることもできなくなるだろう。
俺は、それほどシュンを愛していた。
いや、シュンに依存していた。
俺は、ほとんどシュンに呑み込まれてしまっていた。
シュンを失うことは自分自身を失うことになるだろうと確信できるほどに。
そして、俺は思い出したんだ。
たった一人の人を一途に愛し求め待ち続け、そして不幸になった一人の女性を。

もしシュンを失うことがあったなら、俺は母のように不幸になるだろうと思った。
否、俺を見舞うのは母の不幸とは違う種類の不幸だ。
シュンは俺だけを愛してくれている。
心から、その全身全霊で。
もしシュンを失ったら、俺は母よりも不幸になる。
それは疑念を挟む余地のない事実――残酷な事実。
だから、俺はシュンと別れることを決意したんだ。

馬鹿な理由だ。
俺は、だが、本当に恐かった。
シュンを失うことが、世界を失うことよりも。
本当に恐かったんだ。

「そろそろ終わりにしよう」
俺に そう告げられた時、シュンは、何を終わりにしようと言われたのか わからなかったようだった。
「何を?」
と、シュンは真顔で訊いてきた。
「俺たちの関係」
俺がはっきり答えても なお、シュンは――あの聡明なシュンが――俺の言葉の意味を理解しかねていた。

「俺は、来月から総領事としてロシアに行くことになった。何年も帰ってこれないだろう」
「あ……」
「もちろん、すぐに ここを出ていけとは言わない。田舎に帰るにしても、パリに留まるにしても、おまえの身の振り方が決まるまで、ここにいて構わない。執事にはそう言っておく。金も、おまえが必要なだけ渡すようにさせる。おまえくらい美しかったら、おまえの面倒を見たがる貴族はいくらでもいるだろうから、俺もあまり心配はしていないんだが、あまり急いで、俺の面目が潰れるような小物に引っかかるのだけはやめてくれ」

父と同じ、誠意のない男だと思われることはつらい。
だが、あの男のように振舞わないことには――シュンは、俺の言う『終わり』の意味を いつまで経っても理解し受け入れてくれそうになかったんだ。
自分が、あまりに突然、一方的に、不実な貴族に捨てられるのだという事実を。
シュンが、その事実――本当は事実なんかじゃない!――を、どんな気持ちで受け入れたのかは、俺にはわからない。
だが、ともかく、シュンは、その事実を理解し、受け入れることをした。
シュンは、俺の目をじっと見詰め、静かな声で、
「ヒョウガがそうしたいなら」
と言った。

シュンにそう言われて、俺は気付いたんだ。
俺は、シュンが、『一緒に連れていってくれ』と すがってきてくれることを期待していたのだということに。
だから――そうなることを期待していたから、俺は わざわざベッドで、別れ話を持ち出したんだ。
あえて シュンの身体に 俺との交合の余韻が残っている時を選んで、『終わり』を言い出した。

シュンが 一緒に連れていってくれと俺にすがってくれたら――そうしたら、二人でいる理由ができると、俺は思っていた。
俺がシュンと共に在るのは、俺がシュンなしでいられないからではなく、シュンが俺を求めているからなのだ――と。
シュンは、だが、俺にすがることはしなかった。
シュンはただ、悲しそうに泣いただけだった。






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