俺は、適当な理由をつけてシュンを運んできた馬車を追い返し、その日から、シュンを俺のベッドに縛りつけ、解放しなかった。 シュンを今の恋人の許に返すことなどできない。 シュンが俺以外の誰かに抱かれることは許せない。 シュンの心が俺の上にないことは もっと腹立たしく許せないことだが、それは俺にもどうすることもできないことだ。 だが、シュンの身体だけなら、俺は俺の手の中に取り戻すことができる。 シュンの身体は俺のものだ。 何日も俺に犯され続けているうちに、シュンの身体はそのことを思い出したようだった。 あるいは、シュンの身体は最初から その事実を知っていたのかもしれないが。 「僕が帰らないと、館の者が心配する。一度帰らなきゃ」 「駄目だ」 シュンが下らぬことを言い出すたび、俺はシュンの上に のしかかっていった。 さすがに疲れの色を帯び始めたシュンの声は、覇気がなくなりかけていた。 とはいえ、俺に貫かれる時にシュンの唇が洩らす声は 相変わらず艶やかで、虜囚の身に落ちていても、シュンの身体が俺を喜んで迎え入れているのは 紛う方ない事実だったが。 「ヒョウガ、どうしてこんなことするの」 「おまえくらい いい身体の持ち主を他に知らない」 「からだ?」 「本当にいい。敏感で、素直で、上っ面は綺麗すぎるくらい綺麗なのに、中は蛇のように貪欲で」 シュンが頬を真っ赤に染めて、いたたまれないように瞼を伏せる。 俺には嗜虐趣味はなかったが――そのはずだが、今は とにかくシュンの心を打ちのめし傷付け、気力を削いで、俺に抵抗できないようにしたかった。 シュンの心もシュンの愛ももうどうでもいい。 シュンのすべてが再び俺のものにならないなら、身体だけでも俺に縛りつけて、他の誰にも渡さない。 そのためになら どんな残酷なことでもしてやろうと、俺は思っていた。 「今の男より、俺の方がいいんだろう? それくらい わかるんだぞ。おまえの尋常でない乱れよう、まるで、不能の亭主に長いこと放っておかれた欲求不満の女のようだ。おまえを満足させられないような男とは手を切って、俺のところに戻ってこい。欲求不満でいた方がずっと楽だったと思えるくらい、毎日 おまえを犯してやる」 「ヒョウガ……?」 「人間には、心なんかより、身体の相性の方が はるかに大事なことなんだぞ。心なんてものは いくらでも変えられるが、身体はそうはいかない。そのことは、おまえにもわかっているんだろう? 今の男より、俺の方がいいんだろう? 俺も、おまえの心はいらないが、おまえの身体は離したくない」 「ヒョウガ……」 俺の野卑な言葉のせいで上気していたシュンの頬から血の気が引いていく。 シュンの頬は蒼白になり――そうして、俺は気付いたんだ。 シュンが、今の今まで、俺の獣欲を愛情から出たことだと思っていた――らしいことに。 だから、シュンは俺に抵抗らしい抵抗もできずにいたのだと。 そして、今やっと、俺が嫉妬と憎悪に衝き動かされてシュンを犯していることに、シュンは気付いたようだった。 感情を失い自失しているようなシュンの瞳に、やがて涙が盛り上がってくる。 シュンはかすれた声で、俺に語り始めた。 「ヒョウガがいなくなってから、僕は死んだように生きていた。あの時――ヒョウガがロシアに行ってしまった時、初めて好きになった人が突然いなくなって、それまで幸せの絶頂にいた分、僕は一人で何をすればいいのか わからなくて――ヒョウガは僕のすべてだったから。一人でいることに何とか耐えられるようになっても、僕はずっと――たった今だって――」 その打ちひしがれたおまえに つけこんだ男がいるということか。 そして、その男は、野暮で不粋な男と人に嘲笑われることを恐れず、自分を失うことを恐れず、シュンだけを愛し、シュンに呑み込まれ、その代償としてシュンの心を手に入れた――。 「死んだように? 嘘だ。おまえは今も変わらず綺麗だ。俺と暮らしていた時より綺麗で輝いている。死の淵に足を踏み入れたことのある人間には 到底見えないな」 「一度死んだ人間でも、好きで好きで仕方のない人に再会できたら、生気を取り戻すのは当然のことでしょう」 「……」 「僕の好きな人は、昔も今も一人だけだよ」 何を、シュンは言っている? シュンは、何を言っているんだ。 それは――そんなことは――俺がどれだけ 自分の人生を 自分の都合のいいように考えようとしても思いつかないほど――ありえないことだ。 俺は、一方的にシュンを捨てた身勝手な男だぞ。 「今度会ったら、ヒョウガの言うこと 大人しく聞いたりせずに、無様にとりすがっても、ヒョウガの側にいさせてって、ヒョウガに言おうと思ってた。なのに、ヒョウガは、もう僕の心なんか要らないって言うの!」 そうだ。 いや、そうじゃない。 俺は、シュンはもう俺のものにはならないんだと思ったから、せめて身体だけでも この手に取り戻そうと思っただけだ。 それまで無抵抗で大人しかったシュンが、寝台の上に上体を起こし、細い眉をつり上げて、そして、俺を責めてくる。 「ヒョウガのほしいものは何だったの。3年前、ヒョウガは何を求めて、フランスを離れたの」 それは――その答えは、シュンには重要なものだったらしい。 だが、俺は、何も答えられなかった。 おまえから逃げるためだった――とは、言えない。 「僕は、3年前、ヒョウガに、二人でいるのをやめようって言われた時、それはヒョウガが何かを――僕とは違う何か別のものを掴むことを望んでいるからなんだと思ったから、だから、一人になることを我慢したのに!」 違う。 俺はただ、おまえから逃げようとしただけだった。 「ヒョウガがヒョウガの夢を叶えて、欲しいものを手に入れたら、その時、もしかしたらヒョウガは僕を思い出して、僕のところに帰ってきてくれるかもしれないって思って、だから、死なずにヒョウガを待っていようって思って、僕は……」 それで、おまえは俺を待ち続けたのか? 俺の母のように、二度と帰らないかもしれない人を? 3年前、おまえは俺を引きとめてくれなかった。 一緒に行きたいとも言ってくれなかった。 だが、それは、俺がおまえから逃げようとしているのだということを知らなかったせいで、おまえは俺のために一人になることを耐えようとしていてくれたのだったのか――? シュンの言葉を信じかけて、だが、俺はすぐに思い直した。 いや、すべて嘘だ。 シュンは利口な子だ。 綺麗な虚言で 俺の怒りを静めて、シュンは今の男の許に戻ろうとしているんだ。 俺と違って、シュンだけを愛し、仕え、守る、忠実な下僕の許に。 「おまえは今、誰の世話になっているんだ! あの馬車の持ち主は誰だ。おまえに上等の服を買い与えたのは! 爵位のないおまえをベルサイユ宮に連れて行けるほどの地位と権力を持つ男は!」 シュンの側には誰かがいるはずなんだ。 だから、シュンの言葉は信じられない。 ここでシュンの言葉の矛盾に目をつぶり、シュンを解放してしまえば、俺はシュンの心だけでなく身体までをも失う。 シュンのすべてを失うことは、シュンのかけらも俺の側にない現実は、俺には耐え難い。 気色ばんでシュンを問い詰めた俺へのシュンの答えは、全く意想外のものだった。 「兄です」 と、シュンは答えてきたんだ。 俺は、あっけにとられた。 |