アンドロメダ島に最初の一歩を記した時、瞬は、ごく最近 覚えたばかりの『荒涼』という言葉を思い出したのである。 青く澄み渡った空。 水底に青い宝石が無数に沈んでいるのだと言われれば、疑いもなく その言葉を信じてしまえそうなほど美しく輝く海。 アンドロメダ島を抱きしめている空と海の美しさが、瞬には かえって残酷なものに思えた。 砂と岩しかない島。 山はあるのに緑はない島。 こんなところで人間が生きていくことは可能なのだろうか。 アンドロメダ島の『荒涼』に 幼い瞬は圧倒され、そして怯えた。 その島で一日分の時間も過ごさぬうちに、瞬は底のないような不安に囚われてしまったのである。 兄には、必ず生きて帰ると約束した。 だが、実際のところ、自分は本当に生きて日本に帰ることができるのか。 もちろん、何があっても自分は生きて日本に帰らなければならないと思う。 しかし、本当にそんなことは可能なのか――。 不安というものは、どんな不安もそんなものだろうが、瞬は、考えてもどうにもならないとわかっていることを考え始め、考え続け、その堂々巡りには終わりの時の影すら見えてこなかった。 アンドロメダ島には、瞬の他に幾人かの聖闘士候補がいた。 その中には、瞬より年上に見える少女もいた。 師は、ケフェウス座の白銀聖闘士アルビオレ。 師の優しそうな眼差しは 瞬に ささやかな安堵感をもたらしてくれたのだが、それすらも、アンドロメダ島の圧倒的な『荒涼』の前では、月も星もない夜の闇を 小さな白い石で照らそうとしているようなもの。 そんな頼りない明かりでは、そこに 人が歩むことのできる道があるのかどうかを見極めることさえ困難。 実際、瞬は、アンドロメダ島にどんな希望を見い出すこともできなかった。 アンドロメダ島に到着した その日、瞬は、たった1時間だけ、慌ただしい時間を持った。 島の住人を紹介され、簡単に島の気候と地理を説明され、夜 眠る場所を教えられ、聖闘士になるための修行は毎日 夜明けとともに始められることを知らされる。 それだけだった。 『与えられた環境で、生き延びろ』 アンドロメダ島には、それ以外にオリエンテーリングを要するようなことは何もなかったのだ。 島には何もない。 空や海の美しさは、島のものではないだろう。 それでも、アンドロメダ島の浜から臨むことのできる空と海の美しさは――それだけは――真実のものだった。 誰にも――この島が、兄が送られたデスクィーン島同様 地獄の島であることを知っている瞬自身にさえ――異議を挟むことのできない真実だった。 暮れかけた海。 オレンジ色に染まる沖合いに向かって、瞬の足許から紫の色が伸び始め、海は幻想的なグラデーションを描いている。 まるで 自分の心からにじみ出た暗い色の不安が 海を闇の色に染めていくようで、瞬はそれが恐かった。 やがて この海は不安の色一色に染まってしまうだろう。 その時、自分はどうやって光を探せばいいのか。 そもそも この島に光は本当に存在するのか。 瞬には わからなかった。 瞬の目と心には、何も見えなかった。 今 闇の色に染まりつつある海のように、いつか自分も闇の色に染まり、闇の中に溶け込み、闇の一部になってしまうのではないか。 そうして、自分という存在は永遠に失われてしまうのではないか。 瞬の不安が、いよいよ恐怖の形を取り始めた時だった。 「瞬」 誰かが、瞬の名を呼んだのは。 |