「氷河……眩し……目が――」
「なんだ、これは」
目を開けることも困難ほど強い光の源として、氷河は まず、太陽を思い浮かべたのだが、まもなく彼は その推察が違っていることを知ることになった。
その 強い光をこの場に持ち込んだ当人の苛立たしげな声によって。

「まったく、アテナの監督不行き届きにも困ったものね。私の祭の夜に、このようなふしだらなことをする者を身近に置くなど、アテナの品位も たかが知れるというものだわ」
女の声。
今夜を『私の祭りの夜』と言える者は、この地上にも天上にも ただ一人しか存在しないだろう。
声と光の主は、どう考えても、月の女神にして狩猟の神、純潔の神、そして なぜか豊穣神でもある処女神アルテミスだった。

「しかも、そのように浅ましい姿で男を咥え込んでいる下品な人間が、この私より美しいだと? 思いあがりもはなはだしい」
アルテミスの声は、明白に怒りを帯びていた。
たった今、彼女がどんな面持ちでいるのかが、視覚に頼らなくても、氷河には容易に察することができた。
だが。

はなはだしい思いあがりとアルテミスは言うが、この眩しすぎる光の中では二人の容貌を見比べることは不可能である。
比較を許さないのは、自信の無さの現われなのではないかと、氷河は思ったのである。
もっとも、氷河は、あえて二人の容姿を比較せずとも、たとえ月の女神が どれほど美しい姿の持ち主であったとしても、自分の目には瞬の方が美しく見えるという事実を知っていた。
恋とはそういうものなのだ。
恋を拒む処女神には、それは理解できないことなのかもしれなかったが。
――それにしても、眩しい。
それは、目を閉じていても頭痛を覚えるほどの光だった。

「私より美しいという そなたの恋人の姿を見ることができなくしてやる。神を敬う心を忘れた人間がどのような目に合うか、思い知るがよい」
眩しさが作る頭痛と、瞬の肉と熱によって加えられ続けていた刺激のせいで、氷河は、アルテミスの捨て台詞をの意味をすぐには理解できなかった。
『恋人たちの逢引の場に断りもなく唐突に現われ、一方的に言いたいことを言って消えていく礼儀知らずの言葉など 理解する必要はない』と言いたいところだったが、相手が神――それもオリュンポス12神に数えられるほど有力な神――となると、そうもいかない。
あの不粋な神は何を ほざいていたのかと、氷河は一応、彼女の捨て台詞の意味するところを考えようとした。
もっとも、氷河が わざわざそんなことをしなくても、アルテミスが残していった言葉の意味は、瞬と現実が 氷河にすぐに教えてくれたのだが。

真夏の真昼より明るかった泉の周囲は、もとの冴え冴えとした“遠くにある”月光以外の光が ない状態に戻っていた。
アルテミスに背を向けていた氷河より早く瞼を開けることができるようになった瞬が、ひどく慌て取り乱した様子で、氷河の頬に両手を添えてくる。
「氷河……氷河……目は……目を開けられる? 僕が見える?」
「開けることはできるが……見えない――かもしれん」
氷河の申告と、おそらく明暗の大きな変化があったというのに瞳孔径に変化を生じない白鳥座の聖闘士の青い瞳のせいで、瞬はこの不運な事実を現実のことと認めないわけにはいかなくなったらしい。

「そんな……」
呆然と、抑揚のない声で力なく呟いて――だが、すぐに自らの為すべき行動に移ろうとするところは、さすがはアテナの聖闘士というべきか。
瞬は、自分の身体を抱き支えている氷河の腕を ほどこうとした。
「氷河、放して。僕、アルテミス様の神殿に行って、許してくれるように お願いしてくる……!」
生きる目的を一にする仲間にして恋人である人の身に突然降りかかった災厄を一刻も早く取り除きたいと思うのは、瞬にしてみれば至極当然で自然で必然的なことだったろう。
だが、視力を失うという災厄に見舞われた当の氷河は、そうではなかった。
否、彼は、それどころではなかったのだ。

「瞬。それはあとにしてくれ」
「あとに……って」
「俺はまだ終わっていない。さっきから、おまえに じわじわ攻められ続けて、気が狂いそうだ」
「攻めら……え……? わっ!」
何が氷河を狂気に駆り立てているのかと尋ねることは、瞬にはできなかった。
そうする前に、瞬の身体は、両の足が宙に浮かぶほど高いところに移動していた。
さすがに朝までじっくりと瞬の中を堪能しているわけにはいかなくなった氷河が やっと(?)動き出したせいで。

幾度も勢いよく突き上げられ、そのたびに瞬の身体が大きく揺れる。
「あっ……あ……ああああっ!」
こういう時、恋人の体力や肉体そのものの強靭さに確かな信を置けることは、大いなる幸いだと、氷河は思った。
そんな乱暴な交わりを強いられても、瞬は確かな快楽を得ているようだった。

目が見えないことと、たった一度の情交。
どちらが 人生にかかわる重大な問題かといえば、それはもちろん前者だろうが、どちらが より切迫し一刻を争う問題かというと、それは明白に後者。
そして、人間というものは、悲しいかな、前者よりも後者の解決を優先させずにいられない生き物なのである。
地上の平和と安寧を守るために戦うことを第一義とするアテナの聖闘士であるところの氷河も、その例に洩れなかった。
彼が常人と違うところは、後者の差し迫った問題が解決し 心身が満たされてしまうと、前者の人生にかかわる重大な問題まで解決したことにしてしまう点だった。

「まあ、目が見えなくても、これ・・には何の支障もないな。おまえの身体の地図は、俺の頭の中に完璧な状態で入っているし、他に これといった不便も思いつかないし」
「氷河、なに、そんな呑気なこと、言ってるの……」
呆れたように そう告げた瞬も、だが、今は、緩やかに その身を呪縛している氷河の腕をほどく素振りを見せようとはしなかった。
無理に気怠げな様子を装っているのは、身体の奥の収縮や ざわめきが まだ完全には治まっていないから。
その事実を隠すため、瞬は、その裸体を氷河にもたせかけたまま、互いの身体の熱による愛撫を貪り続けるように、氷河の背にまわした指先から力を抜こうとはしなかった。

「おまえも今すぐ動く気にはなれないだろう。アルテミスに許しを乞いに行くなんて、面倒なことはやめておけ。俺の目に おまえが誰より美しく映るのは事実なんだし、その事実に いちゃもんをつけて、勝手に癇癪を起こす神の方が間違っている」
「……」
氷河は、もちろん本気で、心底から そう考えていた。
瞬に心配をかけないために嘘を言っているのではなかった。
おそらく それがわかっているから――瞬が氷河の胸元で溜め息を洩らす。

歩き慣れた聖域と その周辺。
二人が二人の暮らす家に戻るのにも、さほどの苦労はなかった。
氷河は、行く手を指し示す瞬の手を必要ともしなかった。
必要でないから 差しのべられる瞬の手を取らなかったかというと、それはまた別の問題になるのだが。






【next】