北の町の池に無事に群を到着させると、氷河はすぐに 瞬のいる村に向かって飛び立ちました。 半年前 初めて村を出た時には、行く当てもなく闇雲に飛ぶことしかできませんでしたが、今度は目的地が明確。 氷河はすぐに瞬と過ごした懐かしい村に辿り着きました。 ところが、何ということでしょう。 そこはもう、氷河の記憶の中にある あの村ではなかったのです。 村は一変していました。 瞬がいつも氷河に会うためにやってきてくれていた あの農家は なくなっていました。 瞬がヒバリの卵を守ろうとした あの林も、村の孤児たちが住んでいた小さな小屋も、その小屋の隣りに建っていた とんがり屋根の教会も、消えてなくなっていました。 最初、氷河は、自分は違う村に来てしまったのではないかと疑いさえしたのです。 氷河のお母さんが そのほとりで卵の氷河を温めていたという沼がなかったら、氷河は、村での思い出のすべてが ただの夢だったのだと諦めて、町に帰ってしまっていたかもしれません。 けれど、その沼はあったので、そして、村から見える遠くの山々の景色は氷河の記憶通りのものだったので、氷河は自分が間違った場所に来たのではないことを確認できたのです。 瞬が毎日氷河を訪ねてきてくれていた農家の庭があった場所には、今は、コンクリートでできた巨大な箱のような建物が建っていました。 その建物は あの農家の何十倍も大きくて、瞬がヒバリの卵を守った林の方までのびていました。 そして、その周囲には鉄条網が張り巡らされていました。 どうやらそれは、何かを作る工場のようでした。 その建物の周囲は火薬の匂いでいっぱいで、氷河はとても嫌な気持ちになりました。 渡りの間、氷河の群は何度も銃に狙われたことがありましたから。 その匂いを我慢して、氷河は工場の敷地内に忍び込んだのです。 工場の周囲には鉄条網が張り巡らされていましたが、そんなものは翼のある氷河には何の障害にもなりませんでしたからね。 そして、氷河は、たくさんある窓の外から、工場の中の様子を窺ってみました。 工場の中では たくさんの人間たちが働いてしました。 中には、見覚えのある顔もいくつか。 そこには、見知らぬ大人たちに混じって、村にいた親のない子供たちの姿もあったのです。 ろくな食べ物をもらえていないのか、子供たちはみんな ひどく痩せていました。 以前よりずっとボロボロの服を着せられていて、ある者は金属の棒を運び、ある者はネジのようなものを幾つかの箱により分け、中には鉄条網のサビ取りをさせられている子もいました。 瞬はどこにいるのでしょう。 瞬もここにいるのでしょうか。 元気で腕白だった子供たちが幽霊のような顔をして もくもくと働いている姿を見付けるたび、氷河の心は焦り、不安が募りました。 たくさんある工場の窓を次から次に覗き込んで、がっかりしては焦り、焦っては がっかりすることを幾度も繰り返し――そうして、最後に、工場のいちばん端にある窓の向こうに、氷河はついに瞬の姿を見付けることができたのです。 それでなくても小さくて痩せっぽちだったのに、瞬は、あの頃より もっとずっと痩せてしまっていました。 白いコンクリートの壁で囲まれた冷たく狭い部屋で、瞬は、目に涙を浮かべながら、自分の腕より長くて大きな猟銃を磨いていました。 猟銃。 何ということでしょう。 ここは、氷河のお母さんの命を奪った武器を作る工場だったのです。 瞬のいる部屋の窓のところで、氷河が ばたばた音を立てて羽ばたくと、瞬はすぐに氷河に気付いてくれました。 なにしろ、その部屋の窓にはガラスもはめられていなくて、瞬がいるのは 木枯らしがびゅうびゅう吹き込むような部屋だったのです。 「氷河……氷河なの…… !? 」 広げていた翼をたたんで、氷河がその四角い部屋の中に入り込むと、瞬は泣きながら氷河の首にすがりついてきました。 その腕の細いこと! まるで枯れ枝のようになってしまっている瞬の腕に、氷河は悲しみより先に怒りを覚えてしまいました。 どうして瞬がこんな目に合わなければならないのでしょう。 瞬は、絶対に悪いことをするような子ではありません。 人に憎まれるようなことをする子でもありません。 ひとを傷付けるようなことなど決してできない優しい心の持ち主です。 それなのに。 「氷河……! 氷河、氷河!」 こんな悲惨なありさまでいるというのに、そして、その瞳は涙でいっぱいだというのに、瞬は今は とても嬉しそうでした。 瞬は、もう二度と氷河に会うことはできないと思っていたのでしょう。 思いがけない再会に、瞬の瞳は きらきら輝いていたのです。 「氷河がいなくなったあと、町から恐い人たちが来て、この工場を作ったの。村の人たちはみんな散り散りにどこかに行ってしまった。僕たちは行くところがなくて、掴まって、ここで働かされているの」 町から来た恐い人たちに掴まった時の恐怖と不安を思い出したのでしょうか。 瞬は苦しげに眉根を寄せて、再び ぎゅっと強く氷河にしがみついてきました。 瞬はそうしたつもりだったに違いありません。 けれど、その腕には、力らしい力はほとんど こもっていませんでした。 人間になりたい、人間になりたい、人間になって、瞬をここから救い出したい。 氷河はそう思いました。 氷河には、そう思うことしかできませんでした。 「僕は いつ死ぬんだろうって、毎日 怯えて暮らしていたけど、こんなに立派になった氷河に会えたら、僕は もう思い残すことはないよ」 瞬の身体は弱っていました。 でもきっと、瞬の心は 身体よりもっと弱っていたでしょう。 ヒバリの親鳥が卵を失うことにさえ耐えられないような優しい瞬の心が、たくさんの鳥や獣や、時には人の命さえ奪う武器を作ることに耐えられるわけがありません。 なのに、目だけは――瞬の瞳だけは輝いていました。 まるで、自分の生命力のすべてを、その瞳にだけ集めているように。 他の子供たちは身体を生かすことに力のすべてを注ぎ込んで、その目は死人のように虚ろだったのに、瞬は逆。 今の瞬は、まるで瞳だけで生きているようでした。 「よかった。氷河に会えて。僕、決意できた」 その瞳に更に力を込めて、瞬は氷河に言いました。 『何を?』と、やはり瞳で問い返した氷河に、瞬は微かな笑みを作ってみせてくれました。 「ここを逃げることにしたの。この工場の周囲に鉄条網があるでしょう。あれのせいで、これまで僕たちは誰も ここから逃げられずにいたの。鉄の門もいつも固く閉まってるし。でも毎晩、銃を運ぶトラックが来る10分間だけ、南の門が開くんだ。僕たち、その時を見計らって、みんなで逃げる計画を立てていたんだよ」 死んだ人間のように虚ろな目をした子供たちと、目だけで生きているような瞬。 それでも彼等は、まだすべてを諦めてはいなかったのです。 そのことに、氷河は安堵しました。 「今夜……きっと、みんな、自由になるからね……!」 まるで最期の別れを惜しむように そう言って、瞬は その細い腕で氷河をぎゅっと抱きしめました。 |