街頭では12月に入る前から飾られていたクリスマスツリーが、肝心のクリスマス当日には早々に撤去される。 クリスマスなるイベントはクリスマス商戦のためにあり、プレゼントが配られ終わったイブには既に勝敗は決しているのだということが如実にわかる日本のクリスマス。 世間のクリスマスの状況を考えれば、25日の午後になっても、エントランスホールのツリーが撤去されていない城戸邸のクリスマスのあり方は、まだ良心的な方なのかもしれなかった。 イエス降誕より数千年も古い時代の由緒ある女神が家主の家に クリスマスツリーが飾られていることの是非はさておくとしても。 その日、瞬は 仲間たちと共に、畏れ多くも古代ギリシャの神々の中でも特に傑出した女神アテナが子供たちに贈ったプレゼントの評判を検分するために、午後から、星の子学園に出掛けることになっていた。 プレゼントが子供たちに喜ばれていれば それで問題はないのだが、何か不都合があった場合には その点を来年のクリスマスで善処するために。 それ自体は決して嫌な仕事でも面倒な仕事でもないのだが、問題が一つ。 この時期に星の子学園に赴くと必ず 子供たちから発せられる『サンタクロースは ほんとにいるの?』という質問に答えるのが、瞬は非常に苦手だったのである。 というより、『サンタクロースなんて いるわけないだろ!』と言い張る子供たちへの対処が、瞬は苦手だった。 「まあ、難しい対応を迫られるのは事実だな。『いるのか』と訊いてくる子供には『いる』と答えておけばいいが、『いない』と言い張る子供には、『その通りだ』と答えても『その考えは間違っている』と答えても角が立つ」 瞬の苦悩に同情したように紫龍は そう言ってくれたが、彼の口調は あくまで自分以外の人間の苦境を気遣う者のそれだった。 それも当然のこと。 氷河は、無愛想が恐くて近付きたくない。 紫龍は、今ひとつ 星の子学園の子供たちとは疎遠。 星矢の言うことは信用ならない。 等々の事情があって、星の子学園における その手の質問は、専ら 瞬に集中するのが常だったのだ。 「それにしても……日本に限らず欧米でもそうらしいが、大人が子供にサンタクロースの存在を信じていてほしがるのは なぜなんだろうな。『サンタクロースはいるのか』と子供に問われたら、『もちろん いる』と答えるのが大人の義務とでもいうかのような風潮には、俺は少々疑問を感じるんだが」 紫龍が そんなことを そんなふうに言い出したのは、彼自身がサンタクロースの存在を信じていた時期がなかったからなのかもしれない。 サンタクロースはいると信じていることで得られる益と、サンタクロースはいないのだと悟ることで受ける衝撃を、彼は経験したことがないのだ、おそらく。 「それが、夢があるってことだと思ってるんだろ。大人ってのは、子供には夢を持っててほしいって考える.生き物らしいし」 星矢が、そんな紫龍に、肩をすくめながら彼の見解を披露する。 「大人になってもサンタクロースを信じていると、変人扱いされるのに」 「大人は現実を見て生きろってことだろ。大人ってのは、夢ばっかり追いかけてる自分以外の大人が嫌いな生き物らしいし」 いつもなら氷河が言うようなセリフを、星矢がクールに断じる。 紫龍は意外そうな目をして、天馬座の聖闘士を見詰めることになった。 「 『意外に現実的』という仲間の評価に、星矢が少々皮肉の勝った笑みを浮かべる。 星矢が そういう表情を呈するのも、滅多にないことではあった。 「俺は、サンタにプレゼントもらったことないからなー。俺だって、これでも、ガキの頃は それなりに信じてたんだぜ。クリスマスプレゼントをもらえないのは、俺が いい子でいなかったからで、それは仕方のないことなんだって、素直に思ってた」 「『いい子でいないと、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれないぞ』というのは、子供に対する大人の脅迫の常套句だからな。その脅迫の効力維持のために、大人は子供にサンタクロースの存在を信じさせておきたいのかもしれないという考察も成り立つ。――で? どうして、おまえは サンタクロースがいるという考えを放棄するに至ったんだ」 サンタクロースはいると信じていることで得られる益を知らない紫龍は、当然のことながら、サンタクロースはいないのだと悟ることで受ける衝撃を経験したこともない。 紫龍は、“その時”が、一人の子供の中に どんなふうに訪れるものなのかに、関心を持ったようだった。 ラウンジのテーブルに置かれた お茶のカップに手を伸ばすこともせず、紫龍が星矢に尋ねる。 星矢は、口中に頬張っていたチョコブラウニーをスポーツドリンクで喉の奥に押しやってから、彼の“衝撃の時”を語り始めた。 「城戸邸に連れてこられて 修行地に送られるまでの間に、一度だけクリスマスがあっただろ。あの時にさ、俺だけでなく 瞬もプレゼントをもらえてなかったから、これはおかしいって思ったんだ。サンタクロースってのは、いい子にプレゼント持ってきてくれるおじさんだって信じてたのに、瞬でもプレゼントをもらえないってことは、つまり、世界中の誰一人 サンタからプレゼントをもらえてないってことだろ」 「ぼ……僕?」 突然 お鉢を回された瞬が、驚いて顔をあげる。 瞬は慌てて首を横に振った。 「せ……星矢、あんまり買いかぶらないでよ。僕は、そんなに いい子じゃなかったでしょ。泣いてばかりで、みんなに気遣われて、みんなに迷惑かけてばかりで――」 「おまえが泣き虫だってことは、おまえが いい子か悪い子かってことには 全然関係ないことだろ。おまえは、乱暴なことはしないし、人に口答えしたりもしないし、俺たちが怪我したりすると本気で心配してくれたし――だから、俺は、瞬は世界でいちばん優しくて素直な いい子だって思ってたわけ。そのおまえでも もらえなかったんたぜ!」 その時のことを、実は瞬は よく憶えていた。 突然『サンタクロースはいないんだ』と叫び出した星矢の大声や、そのあとに起こった出来事を。 ただ、瞬は、それが自分のせいだったとは知らされていなかったのである。 瞬が憶えているのは――最も鮮明に憶えているのは――『サンタクロースはいないんだ、サンタクロースはいないんだ』と叫ぶ星矢が、ひどく苦しそうに見えて、それがとても悲しく感じられたこと。 その原因が自分にあったという事実は、瞬には、“今になって明かされる衝撃の事実”だった。 「あの時 俺は、1年間 いい子にしててもサンタからプレゼントをもらえるわけじゃないんだって、はっきり悟ったんだ。いい子にしてても無意味なんだって」 「それで、おまえはいい子でいようと努力するのをやめたのか」 「いい子でいなきゃならないっていう、サンタクロースの呪縛から逃れて、自由な子供になったと言ってくれよ。俺、あの時、サンタはいないんだって騒いでかなり暴れたんだ。それで、おまえらに慰められてさー。俺、あの時、サンタもいいけど、人間の仲間の方が ずっといいかもしれないって思ったんだ。あのクリスマス、そんな悪いクリスマスじゃなかった」 「ああ、そういえば、城戸邸のクリスマスで何か騒ぎがあったような記憶が……。しかし、俺がろくに憶えていないということは――」 紫龍が当時のことを思い出そうとして、その眉根を気難しげに寄せる。 その様にぎくりとして、瞬は、紫龍の記憶取り戻し作業を慌てて遮った。 「し……紫龍! そんなことより、『サンタクロースはいない』って言い張る子供たちに どう答えればいいのかを考えてよ。僕、ほんとに毎年 困ってるんだから。『いない』って答えるわけにはいかないし、へたなこと言うと、嘘つくことになっちゃうし――」 「あ? ああ、そうだったな。しかし――」 しかし、クリスマスやサンタクロースに関することでは、少々経験不足の感がある紫龍には、すぐには妙案も浮かばなかったらしい。 助言を求めた瞬に、 「何をそんなに困る必要があるんだ。サンタクロースはいるんだから、はっきり『いる』と答えてやればいいだけのことだろう」 と、真顔で答えてきたのは、あろうことか某白鳥座の聖闘士だった。 「え?」 思いがけない人からの、思いがけない“助言”に、瞬は目をぱちくりさせることになってしまったのである。 実際に彼がクールであるかどうかという問題は別にして、建前上は“クール”を目指しているらしい氷河が真顔で『サンタクロースはいる』と断言する行為は、冗談なのであれば聞く者に ある種の痙攣をもたらす冗談であり、本心からの真面目な発言なのであれば寒い冗談としか思えないものだった。 つまり、彼が『サンタクロースはいる』などという主張をすることは、極めて自然でなく、違和感を感じさせる行為だったのである。 氷河の目は、だが、真剣そのものだった。 紫龍は、氷河の主張より瞬の戸惑いの方に同調することになったようだった。 いかにも仲間の発言を訝っているといった様子で、極めて不自然なことを言い出した仲間に尋ねる。 「あー……。氷河、それは聖ニコラウスのことを言っているのか」 「誰だ、それは」 「誰と言われて……サンタクロースのモデルと言われている聖人だ。その昔、煙突から金貨を投げ入れて、貧しい家の窮状を救ったと言われている、東ローマ帝国時代の――」 「ああ」 その聖人を、氷河は知らないわけではなかったらしい。 彼は、的外れな人物を持ち出してきた龍座の聖闘士に、少々呆れたような視線を投げた。 「聖ニコライは奇蹟者の称号を与えられた ごく普通の人間だ。普通の人間が、真夜中に堂々と他人の住宅に忍び込めるはずがないだろう。俺が言っているサンタクロースは、クリスマスにプレゼントを運んできてくれる人のことだ。それは いるに決まっている」 「……」 氷河は、過去に存在した聖人のことを言っているのではなく、あくまでも どこまでも、現在 世間一般で言われているサンタクロースのことを言っているようだった。 その表情を見る限り、完全に本気で、『彼はいる』と。 紫龍と星矢が露骨に口許を引きつらせたからといって、彼等のその振舞いをマナーを欠くものと責めることはできないだろう。 10年以上前なら、そういった言動も可愛く思えたかもしれないが、氷河は既にサンタクロースを信じていると変人扱いされる大人の年齢に達しているのだ。 「おまえ、大丈夫か。頭の方」 「うむ。一度 ちゃんとした検査をしてもらった方がいい。おまえの常識の無さは、いつもは こういう方向とは違う方に発揮されるもののはずだ」 星矢たちは真面目に心配しているようだったが、それはそれで失礼な話である。 瞬は慌てて仲間たちの間に割って入り、恐ろしいことに至って真剣かつ真面目でいるらしい両陣営の執り成しを始めた。 「あ……氷河は、サンタさんにクリスマスプレゼントをもらったことがあるんでしょ。それで、だから――」 「サンタにはないが、マーマになら、白鳥のオーナメントやクマの模様のセーターをクリスマスにもらったことはある」 「マーマに? サンタクロースにじゃないの?」 「ロシアにはサンタクロースはいなかったな」 「……」 ロシアは仮にもキリスト教国である。 日本よりは はるかにサンタクロースがいそうな お国柄なのに、その国にはサンタクロースはいなかったと氷河は言う――言い切る。 その口調は、まるで、あの広大なロシア連邦を隅から隅まで調べ尽くし、サンタクロースの不存在証明書を発行することもできると言わんばかりに 淀みも揺るぎもない断言口調だった。 「ロシアにはいなかった……って、日本にはいたの?」 「いた」 再び、明瞭な即答が返ってくる。 しかも過去形――実際にサンタクロースを見た経験を有する人間のそれのような口振り。 まさか氷河が、デパートのクリスマスセールで笑顔を振りまいているサンタクロースのことを言っているはずはない。 いったい氷河は 誰のこと――何のことを言っているのかと、瞬は戸惑うことになったのである。 ごく自然な話の流れとして、瞬は彼に『いつどこでサンタクロースに会ったのか』と尋ねようとした。 が、もしかしたら氷河は その質問には答えたくなかったのかもしれない。 瞬がその質問を口にする前に、彼は掛けていたソファから立ち上がった。 「そろそろ出掛けないと、夕食までに帰ってこれなくなるぞ」 「あ……そ……そうだね」 「すっかり忘れていた」 そういう経緯で。 氷河の仲間たちは、らしくもないメルヘンを真顔で語る白鳥座の聖闘士に首をかしげながら、星の子学園に向かうことになったのだった。 |