城戸翁と その孫娘、その上 辰巳までが留守とあって、城戸邸に併設されたジムで 真面目にトレーニングに励んでいる子供は一人もいなかった。
もちろん、いざという時には言い訳ができるように、彼等はそれぞれ 鉄棒に取りついたり、マットの上で組み合ったりはしていたのだが、強制されて行なうのでないのなら、それらのことは子供たちにとっては楽しい遊戯以外の何物でもなかったのである。

広いジムの中に 紫龍や兄たちとダンベルを転がして遊んでいる星矢の姿を見付けると、瞬はすぐさま彼の許に駆けていった。
そして、ピンクのリボンで飾られた小さな小宇宙を、星矢の目の前に差し出した。
「星矢、星矢。今、玄関ホールに行ったら、ツリーの下に これが置いてあったの。見て見て。『星矢へ』って書いてある。『サンタクロースより』って書いてあるよ!」
「サンタクロースから?」
「うん。カードに『星矢へ』って書いてあったの!」
泣く時にしか大声をあげない瞬の弾むような声が珍しかったのか、ジムにいた子供たちが星矢と瞬の周囲に集まってくる。

「何だって? 星矢にプレゼント?」
「サンタクロースから星矢にプレゼントだってよ」
「サンタクロースから〜っ?」
「何の冗談だよ、瞬。サンタクロースなんて」
「面白そうじゃん。開けてみろよ、星矢」
ジムにいた子供たちが 星矢へのプレゼントに興味を示し 騒ぎ始めた時には、瞬は、それを良いことだとも悪いことだとも思っていなかった。
仲間たちにせっつかれた星矢が、いかにも しぶしぶといった様子でリボンを外しにかかった時、もしかしたら自分は他の仲間たちのいない場所で星矢にそれを渡すべきだったのかもしれないと、初めて瞬は思ったのである。

白い箱にかかったピンクのリボンを解き、星矢が箱の蓋を開ける。
星矢の周囲に集まっていた子供たちは、高価そうな外観の箱の中に収まっている ささやかな――あまりに ささやかな遊具を見て、どっと笑い声をあげた。
「サンタクロースからのプレゼントだってよ! 随分せこいサンタクロースもいたもんだ! なんだ、このチンケなプレゼント!」
「そう笑うなよ。きっと星矢のサンタクロースは、超貧乏なサンタクロースなんだ!」
「いくら貧乏でもさー、こんなの もらうくらいだったら、何にも もらえない方がずっとマシじゃん。その方が邪魔にならないしさあ」
「あ……」

仲間たちが投げつけてくる嘲笑の中で、瞬は狼狽した。
仲間たちの嘲笑の意味が わからなくて、瞬は怯え、うろたえたのである。
瞬は、人の心の中にある善意や優しさになら、いくらでも気付けたし、察することもできたのだが、それ以外のものには疎かった。
というより、瞬は、そういうものが よく理解できなかったのである。
親のない子供たちを蔑み虐げる大人たちを、瞬はいつも不思議に思っていた。
そんなことをして、彼等は楽しいのだろうかと。
そんな瞬には、仲間たちが星矢へのプレゼントを嘲笑う訳も わからなかった。
そんなことをしても、どんな得にもならないというのに。
ただ、瞬には、仲間たちの笑いに 優しさが含まれていないということだけは感じ取れて、それがとても悲しかったのである。
悲しくて、目頭が熱くなってきた。

口々に勝手なことをわめいていた子供たちが まもなく しんと静まりかえったのは、彼等が氷河に睨みつけられたからだった。
氷河だけでなく、事情を察したらしい紫龍や一輝も、仲間たちを睥睨する。
外野が静かになると、氷河たちは、その視線を、瞬と、そして星矢の上に戻してきた。
今にも泣き出しそうな目をしている瞬を救うことができるのは、今は星矢しかいないのだ。
もし星矢が瞬の心を理解できないほど愚鈍な子供であったなら、氷河たちは、その時から永遠に星矢を軽蔑することになっていたかもしれなかった。
幸い、星矢は、氷河たちに永遠に軽蔑されるほど愚鈍な子供ではなかった。
とはいえ、彼は、氷河たちから永遠の尊敬を勝ち得るほど賢い対応をしたわけでもなかったのだが。

瞬を見て、箱の中に入っている どんぐりと松ぼっくりのヤジロベエを見て、星矢は ひどく気まずそうな顔をした。
小さな箱の中にある ささやかなプレゼントを無言で見詰めながら、星矢は、自分が このプレゼントに対して どういうリアクションをとるべきなのかを迷っているようだった。
やがて ゆっくりと顔をあげると、一度 きつく唇を噛みしめてから、彼は瞬に、
「ごめん。ありがと」
と言った。

星矢のその言葉を聞いた途端、緊張で強張っていた瞬の身体と唇からは、一度に力が抜けていったのである。
そして、瞬は、硬く強張っていた顔をすぐに明るい笑顔に変えた。
星矢が喜んで、そして、サンタクロースを信じ続けていられるようになってくれさえすれば、瞬はそれでよかった。
その願いさえ叶えば、仲間の嘲笑の訳など わからなくてもよかったのである。

「よかったね!」
「ありがとうってのは、サンタにじゃなくて、おまえに言ったの」
「僕、ツリーの下でこれを見付けて、持ってきただけだよ」
「このどんぐりは、おまえのだろ」
「な……なに言ってるの。どんぐりなんて、みんな似たような――サンタさんが僕のどんぐりのこと知ってるはずないし……」
「これを作ったサンタクロースは おまえだろ」
「僕はサンタクロースじゃないよ」
「じゃあさ、その証拠に、おまえが取っといた どんぐり見せてくれよ」
「星矢……」

それを星矢に見せることは、瞬にはできなかった。
星矢はどうしてそんなことを言うのかと、瞬は思った。
星矢はサンタクロースの存在を信じていたいはずである。
姉の言葉を信じ続けていたいはず。
なのに なぜ、姉の言葉を疑うような、そんな悲しいことを星矢は訊いてくるのだろう――?
瞬の瞳には 徐々に涙が盛り上がってきた。

「泣くなよ。俺はただ、ありがとうって――。俺、あの時、おまえに意地悪言ったのに」
「本当にサンタさんなの!」
「嘘つかなくていいよ。俺、もう――」
「嘘じゃない! サンタさんなのっ!」
瞬は、サンタクロースからのプレゼントが こんな事態を招くことになろうとは考えてもいなかった。
サンタクロースの存在を信じていたい星矢は、もちろんサンタクロースからのプレゼントを信じる。
そして、姉の言葉は嘘ではなかったのだと確信し、喜んでくれる――。
瞬は、そうなるものとばかり思っていた。
星矢が姉との再会を信じ願っているのなら、当然 そうなるだろうと、瞬は一人で決めつけていたのである。

「嘘じゃない、嘘じゃない、嘘じゃない! サンタさんはいるのっ!」
どうして信じてもらえないのか。
プレゼントが高価なものではなかったからなのか。
自分が星矢に信じられていないからなのか。
それとも、星矢は姉の言葉を信じることをやめてしまったのか――。

自分のサンタクロースはいなくても、星矢のサンタクロースはいなければならない。
瞬は、そうであることを心の底から願っていた。
その願いが『ありがとう』という優しい言葉によって打ち砕かれることが悲しくて、瞬は星矢に向かって叫び続けたのである。
頬を涙で濡らしながら、
「サンタさんはいる。サンタさんはいる」
と、いつまでも。






【next】