瞬は、幼い頃から争い事が嫌いな子供だった。 人と争わないためになら いくらでも自分の心を殺したし、どうしても争い事を避けられそうにないと悟った時には、涙という武器を使って 争い事を回避した。 それほどまでに、瞬は、人と争うこと、人を傷付けることを嫌っていた。 『嫌っていた』のだ。 決して、『恐れていた』わけではない。 にもかかわらず、今になって――聖闘士になった今になって――瞬は、戦うことが恐いと言い出した。 戦うことが恐いと、涙ながらに訴えてくる瞬に、瞬の仲間たちは ひどく戸惑うことになったのである。 彼等は、正しく、戸惑った。 瞬のその訴えを、“瞬らしい”と得心することはしなかった。 非常に瞬らしい訴えだとは思ったし、兄を失ったばかりの瞬の心境を考えれば、それは至極自然なことと思いもしたのだが、それでも彼等は戸惑った。 争い事が嫌いで泣き虫だった瞬が、生きて 聖闘士になって故国に帰ってきたのである。 アンドロメダ座の聖衣を手に入れるために、瞬がどれほどの試練に耐え、どれほどの苦しみを苦しみ、どれほどの悲しみを悲しみ、そして、どれだけの涙を流したのかは、想像に難くない。 瞬の訴えは、そうまでして手に入れたものを捨てると宣言するようなものだったのだ。 「僕は、もう一度 兄さんに会うっていう約束を果たすために聖闘士になったの。そのために、生き延びなきゃならないと思った。戦う決意もした。なのに――」 その兄が死んでしまったのだ。 今、瞬の兄は、雪の降り積む殺生谷の冷たい土の下に眠っている。 瞬の気持ちはわかるのである。 痛いほどにわかる。 しかし、受け入れることはできなかったのだ。 氷河には、どうしても。 「おまえは、地上の平和と安寧を守るため、理不尽な力によって肉親を失って不幸になるような子供たちを少しでも減らすために、戦うことを決意したんじゃなかったのか」 氷河は、瞬を、誰よりも明確な戦いの目的を持っている聖闘士だと思っていた。 『僕が もし聖闘士になるとしたら、それは誰かと戦うためでも、強くなるためでもないよ』 瞬が聖闘士になれるなどとは、誰も――おそらくは、瞬自身ですら――信じていなかった頃にさえ、瞬はそう言っていた。 自分が聖闘士になるのなら、それは 不幸な人間を少しでも減らすためだと、ほんの小さな子供だった頃から、瞬は言っていたのだ。 だというのに、瞬は、氷河のその言葉に 今は力なく項垂れてしまう。 「僕が救いたかった不幸な子供たちの中には兄さんがいた。兄さんが、僕の救いたい人たちの象徴で、代表みたいなものだった。親を亡くして、僕みたいな お荷物を抱えて、つらい思いばかりして――僕が助けたかったのは――僕が いちばん救いたかったのは、僕の兄さんだったんだ。それを僕が……誰より救いたかった兄さんの命を、誰より兄さんをすくいたかった僕が奪ってしまった。僕は――僕は、そんなことのために聖闘士になったんじゃない……!」 「……」 皮肉な運命、悲しいさだめ、不幸な事故――。 瞬の身の上に降りかかった出来事を何と言い表わせばいいのか、氷河には わからなかった。 当然のことながら、瞬の心を慰めるための適当な言葉も思いつかない。 氷河が口にすることができたのは、兄の命を奪った者を瞬が責めることの意味を、瞬に知らせる言葉だけだった。 「一輝の命を奪ったのは おまえじゃない。俺 瞬が、その言葉には首を横に振る。 二つの瞳に涙をためて、瞬は苦しげに首を横に振った。 「でも、僕はもう戦いたくないの。戦う意味がわからないの。戦うのが恐い。このまま戦い続けたら、僕は僕の大切なものをもっと たくさん失うことになりそうな気がするから……」 兄を失った今、おまえにどんな“失うもの”があるのだと、氷河は瞬を問い詰めようとした。 そして、そうするのをやめた。 今 瞬が持っている、瞬のもの――それは、アンドロメダ座の聖衣の他には、瞬の身体と心くらいのものだった。 つまり、瞬は失うものを持っているのだ。 たとえば、争い事を嫌う瞬の心。 その心を失ってしまったら、おそらく瞬は 瞬でない何者かになってしまうだろう。 しかし、これまで通り、これからも戦いを続けていれば、瞬はいつか その心を失うことになるかもしれない。 それは、瞬が戦いを恐れる理由としては十分な――否、十二分な理由だった。 だから、氷河は――星矢や紫龍たちも――『それでも戦え』と、瞬に無理強いすることはできなかったのである。 |