粗忽で限度を知らない聖闘士を 慎重な聖闘士に変えるためには、一人で暴走気味だった白鳥座の聖闘士にチームワークを意識することをできるようにした精神攻撃技が有効だろうと 氷河が考えたのは、思えば皮肉な事実だったかもしれない。 星矢が氷河に提供してくれた情報によって、彼は 星矢に与える罰を思いついたのであるから。 かくして、青銅聖闘士たちがギリシャに渡り、星矢が その有効有用な流星拳で 見事に古ビル解体の作業を成し遂げた翌日、氷河は、双児宮に 双子座ジェミニのサガを訪ねることになったのだった。 サガは、その日、非常に不機嫌だった。 彼の不機嫌の理由は、他でもない、その日 古ビル解体作業成功を祝して 星矢が聖域の空に揚げた凧のせい。 アテナの御座所である聖域、一般人は言うに及ばず、地上に害意を抱く敵の侵入を避けるためにも その場所を極秘にしておかなければならない聖域を 星矢はどう心得ているのかと、双子座の黄金聖闘士は極めて不機嫌だったのである。 もっとも、彼の不機嫌は、今の氷河には もっけの幸い、渡りに船、棚から ぼた餅の幸運だった。 おかげで彼は、長々しい前置きを置かずに、天馬座の聖闘士の粗忽を矯正し、慎重・常識・思い遣りの心を持たせるために精神攻撃技の秘訣を教示してくれと、サガに依頼することができたのだから。 「星矢は、戦いを重ねるたびに その力を増している。奴の単純明快な正義感は、見ていて気持ちがいいほどだ。しかし、星矢が その力の増大に比して、精神面での成長が著しく後れをとっているのは紛れもない事実。洞察力に欠け、想像力に欠け、状況を俯瞰する目と判断力にも欠けていて、その結果 星矢は思い遣りのない非常識な行動に走ることになる。俺は、星矢の力と精神のアンバランスが心配なんだ。あれでは、星矢は、自分の短慮のために、他人を無駄に怒らせ、敵でない者も敵にしてしまいかねない。それは星矢自身のためにもならないし、共に戦う俺たち、ひいては聖域やアテナにも不利益をもたらすことになりかねない。皆のために、星矢の性質は矯正されるべきだと思う」 もっともらしいことを、もっともらしい顔で言い募った氷河に、だが、サガは あまり乗り気な様子を見せなかった。 「教えてくれと簡単に言うが――」 「精神攻撃業なんて、さほど習得が難しい技というわけでもないんだろう? あの一輝でさえ 使えているんだから」 「精神を攻撃する技は、確かに肉体を鍛錬しなくても習得することができる。しかし、代わりに、その習得には人間性が問われるのだ。そういった技は、人品卑しからぬ者にしか教えてはならぬことになっている。一時的にとはいえ、人間の精神を自在に操る技だ。ふさわしくない者に その技を教え、悪用されることがあってはならないからな」 「あんたは悪用しまくったくせに」 「……」 氷河の態度は、どこから何をどう見ても、人に教えを乞う者のそれではなかった。 今は一応 人格者ということになっている双子座の黄金聖闘士が、思い切り むっとした顔になる。 とはいえ、さすがは プライドの加減ができない黄金聖闘士というべきか、過去の悪行を糾弾されても、彼は 青銅聖闘士ごときの前では 怯み悪びれる様子も見せなかった。 それどころか、彼は実に堂々と 精神攻撃技会得者の優越について語り始めたのである。 「精神攻撃系の技は、人に悪意や憎悪を植えつけることもできる。教える者も教えられる者も 清廉潔白・高潔無比の士でなければならないのだ。簡単に人に教えたりなどできるものではない」 「だが、それは、人に善意を植えつけることのできる技でもあるということだろう。双子座の黄金聖闘士の拳は、人に罰を与え傷付けるためだけの拳ではなく、人を良い方向に導くこともできる拳のはず。俺は、そのやり方を教えてほしいと言っているんだ」 「それは もちろん可能だが、それが本当に良いことかどうか……。人は実際に行動経験し、失敗し、反省学習することで成長するものだ。幻影や暗示で経験し体得したつもりの善意が、真に その者の身につくものかどうか……」 「人は実体験だけで 物事を学習するものではないだろう。世の中には、倫理や道徳の教本も存在する。哲学書を読んで哲学者を名乗る奴もいれば、恋愛小説を読んで恋愛を経験した気になるような奴だっているだろう。書籍でなら問題がなくて、聖闘士の技で それを会得することには問題があるという考え方はおかしい。そう考えれば、幻影や暗示で 人に善意を植えつけることには何の問題もないはずだ」 もちろん、氷河の目的は、彼の技と力を虚仮にしてくれた星矢をとっちめることだった。 そのために精神攻撃系の技を利用しようと企んで、彼は サガを説得していた(はずだった)。 だが、その時、氷河は ふと考えてしまったのである。 精神攻撃技で、人に善意を植えつけることができるのであれば、その技を使って、人の心に好意や恋愛感情を植えつけることも可能なのではないかと。 つまり、アンドロメダ座の聖闘士の心に、白鳥座の聖闘士への好意を植えつけることが可能なのではないかと。 『おまえは氷河が好きなんだ』という考えを瞬の心に植えつけて、たとえば、太陽が西から昇るまでは その暗示が解けないように設定したら、瞬は永遠に白鳥座の聖闘士を好きなままでいてくれるのではないか。 そう、氷河は考えてしまったのだった。 「頼む! 教えてくれ! これは星矢自身のため、星矢と共に戦う仲間たちを 星矢の無謀無思慮で危地に追い込まないため、ひいては聖域とアテナのため、地上の平和と安寧のためになることなんだ! 貴様――いや、あなたが俺に精神攻撃の技を ちょっと教えてくれれば、それだけで この地上に平和が実現し、全人類が幸福になれる。長い人類の歴史上、未だかつて誰にも成し遂げられなかった平和の時が、この地上に現出するんだ。そうなったら、アテナがどれほど喜ぶことか。アテナの喜びは貴様――いや、あなたの喜びでもあるだろう!」 氷河の訴えの真意は、 『貴様が俺に精神攻撃の技を ちょっと教えてくれれば、俺の恋が実り、俺一人が幸福になれる。そうなったら、俺一人がどれほど喜ぶことか』 である。 が、ここで その真意を暴露するほど、氷河は正直者でも愚か者でもなかった。 「アテナのためと言われると……」 突然 身を乗り出し、それまでとは熱のこもり方が違う口調で、文字通り熱弁を振るい出した氷河の迫力に、黄金聖闘士であるサガが思い切り 氷河は、そこで攻撃の手を緩めることなく、更に更に言葉を重ねていった。 「星矢の無思慮、無分別、無謀、猪突猛進振りは、アテナの身まで危うくしかねないものだ。それでなくてもアテナは、指揮官としての自覚なく 自ら敵の真っ只中に飛び込んで暴走する悪癖の持ち主。アテナの身を守るために、これは どうしてもどうしても必要なことなんだ!」 「う……うむ。君の言うことは わからぬでもない。いや、実によくわかる。しかしだな――」 ここまで言っても まだ逡巡を見せるサガに、内心で盛大に舌打ちをして、氷河は駄目押しの一手を繰り出した。 「そういえば、アテナが、今朝 星矢の揚げた凧を見て爆笑――いや、なにやら不快そうに眉をひそめていたな……」 「なに」 それまで、僅差とはいえ 理性と良識が 感情と迷妄に勝っていたサガの意識と判断力が、彼の中で逆転したのは、氷河が意味ありげに呟いた その一言を聞いた時だったろう。 氷河に精神攻撃技を教えることをためらっていたサガの態度が、氷河の その呟きによって微妙に軟化する。 その変化を見逃すことをしなかった氷河は、それまでの訴えとは裏腹に、星矢の無思慮無分別無謀の美徳に胸中で快哉を叫んでいた。 なにしろ、サガが氷河の要望に応じる気配を示し始めたのは、彼が白鳥座の聖闘士の熱意に負けたからではなく、星矢の成長を必要なものと考えたからでもなく――その日の朝、星矢が聖域の空に揚げた凧に描かれていた絵のせいだったのだ――おそらく。 無思慮無分別無謀な星矢が 聖域用の凧の絵柄として選んだ題材は『浴場のサガ』。 つまりは、サガのオールヌードの絵だったのである。 もちろん、絵の危険部位には、モザイクならぬ黒い長方形(いわゆる、黒消し)が施されていたのだが、そのサイズが体型に比して非常に小さかったことに、(おそらく)サガは心穏やかでいることができなかったに違いない。 まして、それをアテナに見られたとあっては、双子座の黄金聖闘士が分別のある良識人でいられるはずがなかったのだ。 「確かに、星矢には思慮と慎重さが欠けているところがある。奴には教育的指導が必要だ」 その一言を言わせれば、もうこっちのもの。 氷河は、苦渋に満ちた難しい顔を作って、サガに同意してみせた。 「星矢は、自分の無思慮無分別が どれだけ多くの人を傷付け、窮地に追い込むかということを考える想像力に欠けているんだ。星矢は、人の心を思い遣ることを学ぶべきだと思う。そうすることが、星矢自身のためになり、星矢以外のすべての人間のためになるんだ」 いかにも仲間の今後を憂い、また、今はまだ無分別な仲間の周囲の人間を案じている(振りをしている)氷河に、サガが、これまた無表情にも見えるほどの真顔で頷く。 「よかろう。そこまで 仲間たちの身を案じている君が、よもや聖闘士の拳を悪用することがあろうとは思えない。相手に軽い暗示を与えるレベルの簡単な精神攻撃型の拳を打つコツを教えてやろう」 「本当か!」 実に全く、プライドの加減ができない人間ほど 扱いやすいものはない。 ――という本音は おくびにも出さず、氷河は ひたすらサガの決定と厚意に感謝している顔を作った。 サガが再び頷き、彼は早速 精神攻撃系の技の極意を氷河に教示する作業に取りかかってくれたのである。 「初心者は、技をかける相手が覚醒している時より、あまり緊張していない時にかけた方が うまくいくだろう。相手が眠りかけている時や目覚めたばかりの時だな。君の友情に応えて、星矢が分別と良識のある聖闘士になることを祈っているぞ」 プライドの加減のできない黄金聖闘士は、彼が彼の拳の極意を教えた若い聖闘士に、助言と激励の言葉まで贈ってくれたのだった。 |