人間的な、あまりに人間的な






「あの二人、今日はどこに行ったんだ?」
と、紫龍に尋ねるのが、最近の星矢の日課になっていた。
それが星矢の日課になったのは、約3ヶ月ほど前。
幼馴染みで、聖闘士同士で、戦友同士で、自分とは同性でもある瞬に、氷河が恋の告白なるものをしでかしたのけた翌日以降のことである。

『俺を そういう意味で好きでなくてもいいから、俺と付き合ってくれ。それでも構わないくらい、俺はおまえが好きだから』
などという筋の通らない理屈を振りかざして 氷河は瞬に迫り、その訳のわからない理屈に混乱させられた瞬は、氷河の有無を言わせぬ迫力に押し切られる形で、氷河の申し出を受け入れた。
――と、星矢は思っていた。

もちろん、星矢は確たる根拠もなしに そういう考えを抱くに至ったわけではない。
氷河の言う“お付き合い”の意味がわかっていたら、そもそも 瞬は、氷河に、
『でも、お付き合いって、どういうことをすればいいの?』
という質問を投げかけることはしなかっただろう。
しかし、瞬は真顔で その質問を氷河に投げかけたのだ。
氷河の気持ちを正しく理解し、その気持ちに応えたいと心から思って、瞬が氷河との“お付き合い”を始めたのだと考えることは、星矢にはどうしてもできなかったのである。
瞬が氷河を『そういう意味で』好きでいるのかどうかということについては、その時 瞬は言及しなかった。
そのため、その件に関する瞬の気持ちは不明なのだが、氷河が瞬に“お付き合い”を申し込んだ時点で、瞬が氷河の言う“お付き合い”の意図するところを理解していなかったのは、まぎれもない事実だったろう。

瞬に“お付き合い”の内容を問われた氷河は、2分ほどの黙考ののち、
『それは、つまり、二人で色々な場所に出掛けていき、色んなものを見聞きすることによって、文字通り見聞を広げ、また、その事柄について語り合うことで、互いの価値観や考え方を 今よりも深く知り合うことだ。その結果として、俺たちが互いを理解し合い、親愛の情を深めることができたなら、その お付き合いは有意義で有益で良いものだったということになる』
と、瞬に答えた。

氷河にしてみれば、それは、瞬に“お付き合い”の申し出を拒まれないために必死になって考えた、瞬好みの答えだったに違いない。
その点で、氷河が考え答えた“お付き合い”の説明は 適切なものだったと言えるだろう。
氷河の説明を聞いた瞬は、
『それはとてもいいことだし、僕にもできそう』
と言って、氷河の申し出を受け入れたのだから。

ともかく、“お付き合い”というものは そういうものだと説明した手前、氷河は、二人の見聞を広げることのできる場所を 瞬に提案提供しなければならなくなったのである。
瞬に“お付き合い”を申し出た翌日から、ほぼ毎日。
絵画展、版画展、彫刻展、工芸展、考古学博物展、民族学博物展、科学技術展、各種コンサート、各種講演会、果ては 陶芸や草木染めの実践教室まで、いったいどこから そんなイベント情報を得てくれるのかと星矢が呆れるほど バラエティに富んだ“二人の見聞を広げる場”を、氷河は次から次に瞬に提供し続けた。

それで確かに瞬の見聞は広がっただろう。
二人の理解が深まっていることも確実だった。
それが本当に氷河が当初 期待していた“お付き合い”だったのかどうかは さておくとして、そんな状態が3ヶ月以上。
いい加減で 氷河は瞬に本心を告げるべきだと、星矢は考え始めていたところだったのである。
だというのに。

「それが……国会図書館だそうだ」
「国会図書館〜っ !? 」
紫龍に、今日の二人の外出先を知らされて、星矢はラウンジに思い切り素頓狂な声を響き渡らせた。
仮にもデートの場所に 図書館とは、さすがの氷河もネタが尽きたのかと疑わずにいられないセレクトである。
星矢は、あからさまに眉をひそめ、それから憤然とした口調で言い放った。
「学業と恋の両立を目指す中高生じゃあるまいし、図書館デートって何だよ! つーか、それ、デートって言えるのか? 図書館って、あれだろ。噂によると、『私語は慎むように』って張り紙がしてあるところだろ」
「いや、まあ、しかし相手が瞬では、色々と制約もあるだろうし、氷河も氷河なりに考えて――」
「相手が瞬でも、氷河でも! いくら何でも図書館はねーだろ、図書館は! もうちょっと色気のあるとこに行けないのかよ!」
「色気のあるところ? たとえば?」

星矢の苛立ちも焦れる気持ちも わからないではないのだが、それは青銅聖闘士の中で最も“色気”から縁遠い星矢が 偉そうに言っていいセリフではない。
いったい星矢が考える“色気のあるとこ”とは どんな場所なのか。
『氷河と瞬の色気のなさを案じて』というより、純粋に個人的な興味から、紫龍は星矢に問い返した。そんな紫龍に対する星矢の答えは、
「そりゃ、『きゃー、恐い〜っ』って瞬に抱きついてもらえるような絶叫マシンのあるテーマパークとか、同じく『きゃー、恐い〜っ』って抱きついてもらえるようなホラー映画を観にいくとか――でなかったら、精力つけるために焼肉食いに行くとかさ!」
というもの。

星矢のことであるから そんなことだろうと察していた紫龍は、期待通りの(?)星矢の返答に、ゆっくり深く頷いた。
そして、冷酷なほど静かな声で、
「それを色気というのなら、おまえは辞書を百遍 読み直した方がいい」
と忠告する。
せっかくの提案を あまりにも あっさり却下されてしまった星矢は、くしゃりと その顔を歪めることになった。

「ったく、氷河も面倒なの好きになっちまったなー。地上で最も清らかな、しかもオトコ! 何も自分から好んで茨の道に足を踏み入れていかなくてもいいのによ」
「この場合は むしろ、瞬がよく、氷河の告白に応えて、お付き合いを始める気になったというべきなのではないか? 瞬が“お付き合い”の意味を正しく理解しているとしての話だが」
「理解できてるわけないだろ。氷河のあの説明で」
「一概に そうとも言えないだろう。瞬はただの一度も、俺たちに一緒に行こうと誘ってきたことはない」
「……」
瞬は氷河の気持ちを全くわかっていないと決めつけていた星矢にとって、紫龍の指摘は 極めて興味深い、そして、意想外の指摘だった。
目からウロコが4、5枚 落ちるほどの。

「つまり、瞬は、それが二人きりでやることだってのは わかってるってことか」
「と、俺は思っている」
確かに、瞬は、自分たちの“お付き合い”に星矢や紫龍を誘ってきたことはなかった。
氷河が選んできた“見聞を広げる場”の中には、『21世紀世界の農業生産展』『麩菓子・ラムネから最新食玩まで〜日本の駄菓子歴史展(試食つき)』等、紫龍が興味を持ちそうな展示会や 星矢が喜んで飛びつきそうなイベントも数多くあった。
にもかかわらず、瞬は、『星矢や紫龍も一緒に行かない?』と星矢たちに水を向けてきたことは、確かに これまで ただの一度もなかったのだ。
とはいえ、星矢は、その事実を(氷河にとっての)救いや希望たり得るものと、安易に信じることはできなかったのではあるけれども。

「氷河の奴、瞬相手にキスくらいできてんのか」
「手をつなげているのかどうかを心配した方がいいかもしれん」
「だよなー……」
氷河と瞬が“お付き合い”を始めて3ヶ月。
二人は、清らかに、ひたすら清らかに、そしてまた、健全に、ひたすら健全に、その見聞を広げ、互いの理解を深め合っている。
だが、それは友人同士の付き合いと何ら変わらない。
二人の“お付き合い”には色気の要素が皆無なのだ。
そして、氷河の目指す“お付き合い”は、絶対に そんなものではないはずだった。

「確かに瞬好みの お付き合いだし、瞬は楽しんでるのかもしれないけどさー」
「楽しんでいるにしては――」
「ん? 何かあったのか?」
「ああ、いや……」
瞬が氷河との“お付き合い”を楽しんでいると断じることも、楽しんでいないと断じることも、紫龍にはできないようだった。
ただ、彼は、それとは全く別の次元のことで、気掛かりを抱えていたらしい。

「瞬はこのところ、体調が優れないように見える」
「瞬がか? でも、氷河と毎日外出できてんだから、大した不調じゃないんだろ」
「その外出のせいとは言わんが、瞬の生活のリズムが狂っているのは事実だと思う」
「ああ、そういえば……」
言われてみれば、思い当たることがないでもない。
最近 星矢は、以前は会うことのなかった時刻に瞬の姿を見掛けることが多くなっていた。
「そういや、瞬の奴、この頃 妙に夜更かしするようになったよな。以前は、“早寝早起き歯をみがく”の優等生だったのに」
「起きていて、特に何かをするということもないようなんだがな」
「氷河と寝るわけでもないしなー」

いくら瞬の容姿が 一般の男子のそれに分類される種類のものでなく、一般の女子のそれを凌駕するものであったとしても、瞬は歴とした男子である。
そんな瞬に恋の告白をし“お付き合い”を求めた氷河の度胸と常識の無さに、実は星矢は 二人のお付き合い開始当初には眉をひそめていた。
が、そんな星矢でも、ここまで事態に もたつかれると、いっそ さっさと 行くところまで行ってしまえばいいのだという気になる。
そうなる気がないのなら 起きていても無駄、さっさと(一人で)寝てしまえばいいのだ。
一向に進展しない恋人同士としての二人の お付き合いに、星矢は目いっぱい苛立っていた。


その日、氷河と瞬は本当に国会図書館で一日を過ごしてきたらしかった。
食事もお茶も、図書館内の色気もなければオシャレでもないレストラン――もとい食堂――で済ませてきたらしい。
知的好奇心を清らかに満たしてきた瞬の土産は、図書館内の売店で売っていたという何の変哲もない栞のセット。
星矢は全く喜ぶことができなかった。
『俺が欲しいのは、こんな健全なモノなんかじゃなくて、ついに手をつないだとか、ついにキスしたとか、そういう色気のある報告だよ!』
と怒鳴りつけてしまいたいのに、当事者の片割れが瞬なのでは そうすることもできない。
ものを食べているわけでもないのに、口をもぐもぐさせている星矢を、瞬は怪訝そうに見詰め、それから ゆっくりと瞼を伏せた。






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