夕刻 氷河と瞬がホテルに戻ると、今日も例の蜜蜂青年たちがホテルのロビーにいて、そして、外出から戻ってきた二人に、昨日より遠慮のない視線を投げてきた。
『二人に』というのは違っていたかもしれない。
今日は、彼等の目は、明白に氷河にだけ向けられていた。
しかも、人の悪意に疎い瞬にもわかるほど、彼等の視線は好意的なものではない。

「氷河……?」
「……俺が奴等のことを知らないのは事実だが、おまえの言う通り、奴等は俺のことを知っているんだろう」
瞬が不安げな顔をして氷河を見上げると、氷河は、全く笑っていない形ばかりの笑みを(おそらくは仲間のために)作り、そして すぐに消し去った。
「え?」
「いや……」

自分が 自分の知らない者たちに名や顔を認知されていることを名誉なことと思うか、鬱陶しいことと思うかは、人の嗜好や価値観によるだろうとは、瞬も思っていた。
氷河はどちらかといえば後者。
氷河は、どう考えても、他人の好奇の目にさらされることや噂の種にされることを好み喜ぶタイプの人間ではない。
氷河が昔 この町の有名人だったのだろうことを、氷河の仲間として得意に思うのは、自分が一人で勝手にしていることで、氷河自身の好悪とは無関係。
それは瞬も承知していた。

それでも、瞬は、自分が悪い事をしているという意識は持っていなかったのである。
氷河がこの町の有名人だったのは、“良いこと”のせいだと決めつけていたから。
それが彼(と彼の母親)の美しさでも、あるいは何らかの善行でも、氷河をこの町の有名人にしたのは 良い評判・良い噂であるに決まっていると、瞬は信じていたのだ。
だが。
だが、そうではないことも、ありえるのだ。
そうではない可能性も皆無ではない。
氷河が良くない人物として、この町の人々の人口に膾炙していたということも。
その可能性に、いつもより沈んだ色を帯びている氷河の瞳を見て、瞬は初めて思い至った。

自分に関する噂を、氷河は瞬に知らせたくなかったらしい。
「明日以降の天気を聞いてくる。オーロラが見られるような日があるかどうか」
そう言って、不安顔の瞬をその場に残し、氷河がフロントの方に歩いていく――瞬の側から逃げていく。
氷河を追いかけることもならず、ロビーの真ん中にひとり取り残されることになった瞬の側に寄ってきたのは、昨日の蜜蜂青年たちだった。

「君は あいつとどういう関係なんだ?」
「ゆ……友人です」
「あいつは いい噂がない。付き合わない方がいい。一緒にいると、君まで誤解されるよ」
「それはどういうことですか」
「君は何にも知らないみたいだし、見るからに すれてなくて清純そうだ。部屋も別々にとってるみたいだし、今ならまだ手遅れでもないだろう。君は、あいつに騙されているんだ」
「あの……」

瞬は、自分が氷河に“騙されている”ことなどありえないと思っていた。
そんなことは、絶対にない。
たとえば、子供の頃の氷河が とんでもない暴れん坊で、たちの悪い悪童として、この町で名を馳せていたのだとしても、それは昔のこと。幼い子供のしたこと。
今の氷河はそんな男ではない。
瞬は、氷河を信じていた。

だから、瞬は、フロントで明日以降の天候の確認を終え、昔の彼を知らない仲間の許に戻ってくる氷河の側に、蜜蜂青年たちの忠告を振り切って、いささかの躊躇もなく駆け寄っていったのである。
昔の氷河を知る青年たちが、人の忠告をきかない馬鹿な子供の行動に渋い顔を作っているのだろうことは、振り返って確かめなくてもわかったのだが。

「オーロラは、明日も無理そうだな。確実なのは明後日以降のようだ」
「オーロラもいいけど、僕、氷河が修行してた頃に住んでた家が見てみたい。星矢は知ってるのに、僕だけ知らないなんて不公平だもの」
「あんなものを見てどうするんだ。星矢が言っていた通り、本当に ただの掘っ立て小屋だぞ」
「でも、見たいの」

氷河があの青年たちの目を気にしているのがわかる。
切なさと焦れったさと、そして僅かばかりの苛立ちにかられて、瞬は その両手を氷河の腕に絡めていったのである。
自分が仲間を信じていることを、氷河と かつての氷河を知る者たちに示すために。






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