一刻も早く 沙織の“説明”とやらを聞きたいものだと、その日、アテナの聖闘士たちは、一般の高校生たちに倣った寄り道などもせず、まっすぐに帰宅した。
「沙織さん、いるのかっ」
ドアを蹴飛ばすようにして乗り込んでいった沙織の執務室。
この時間に珍しいことなのだが、沙織は確かにそこにいた。
部屋の奥にある大きな執務用デスクの上のパソコンには、どうやらスイッチも入っていない。
手前にある応接セットのソファに、氷河たちより早く帰宅したらしい瞬が、力なく両肩を落とし項垂れるようにして座っていた。

「瞬も帰っていたのか。ちょうどいい。どうして俺と瞬を――いや、俺たちと瞬を引き離すような真似をしてくれたのか、とくと説明――」
「氷河!」
沙織を難詰すべく執務デスクに詰め寄ろうとした氷河の胸に、それまで力無くソファに掛けていた瞬が飛びついてくる。
『瞬と不純同性交遊を』と野望だけは大きいが、未だに瞬に『好き』の『す』の字も言えずにいた氷河が、いつになく大胆な瞬の行動に驚いて、沙織に詰め寄る勢いを失う。
氷河の鼓動の高鳴りに気付いた様子もなく、瞬は 仲間の胸で盛大に悲嘆に暮れ始めた。

「ひどい……沙織さんってば、ひどいんだよ!」
「それは――」
それは、今更 言われなくても、氷河はよく知っていた。
彼女は、残酷で冷酷な、情け知らずの女神なのだ。
でなければ、血よりも強く濃い命と信頼の絆で結ばれた仲間たちを引き裂くような真似ができるわけがない。
「瞬……ど……どうしたんだ。学校で何かあったのか」
「学校で何かあったんじゃなく、学校そのものがひどいの! 僕が通うことになったノヴグラード学園高校って、女子校だったんだよ……!」
「なにーっ !? 」

いくら何でもそれは無謀が過ぎるというもの。
その驚愕の事実には、氷河のみならず、星矢や紫龍までもが、大きな非難と抗議の声をあげることになったのである。
が、冷酷で情け知らずの女神は、澄ました顔を崩さない。
極めて落ち着いた態度で、彼女は、瞬の発言に訂正を入れてきた。
「誤解されるようなことは言わないでちょうだい。“女子校”ではなく“元女子校”よ。少子化対策の一環として 共学化に踏み切り、去年から男子に対しても若干名の募集をかけてるんだから。たまたま去年は男子の受験志願者がいなかっただけのことよ。ほんと、変な話よね。女の子の苑に男子が若干名なんて、男子生徒にしてみたら天国にいるようなものじゃない? きっと腐るほどの受験志願者が殺到して、ものすごい競争率になると踏んでいたのに」

“経営の女神様”の異名をとるグラード財団総帥でも、目算を誤ることはあるらしい。
否、これは、彼女が経営の神であればこその計算違いなのかもしれなかった。
女子校に あらぬ幻想を抱くのは、ある程度 世慣れて、少年の頃の夢や希望を見失いかけた中年以降の成人男性のみ。
10代の青少年は 集団の女子高生には恐怖の念しか抱かないものなのだということを、沙織は、彼女自身が女性であるがゆえに思い至らなかったものらしかった。

「今年の一次募集も男子枠は昨年と全く同じだったの。だから、今年は、これから男子枠だけ二次募集をかけてみるつもりなんだけど、それには男子が在籍した事実があるといいのじゃないかと思ったのよ。そういうのって、瞬にうってつけの役目でしょう」
「どうして僕が うってつけなんです! たった一人で、女の子の群の中に放り込まれた僕の身にもなってください!」
「あら、いじめられでもしたの」
「そういうわけじゃないですけど……」
瞬をいじめているのは、他の誰でもない沙織当人である。
その事実を自覚していないらしい沙織の前で、瞬はしばし口ごもった。

「そうでしょうね。ノヴグラード学園には、良家の子女ばかりが揃っているはずだもの。あ、良家というのは、もちろん裕福な家という意味ではないわよ。平均以上の教養と礼儀作法の知識を娘に与えることを当然と考える教育熱心な親もしくは後見人がいる家という意味」
「あれが良家の……?」
沙織が口にした訂正は、女子校の実態を知ってしまった今の瞬には全く意味のない訂正だった。
親切丁寧な(だが無意味な)訂正を入れてくれた沙織に、瞬が即座に反論する。

「女の子みたいだの、ペットにしたいくらい可愛いだの、男なんて嘘でしょうだの、初対面に男子に平気で言ってくるような……あれはいじめと同じです! 髪だの胸だのに やたら触ってくるし――」
「あら、股間でなくてよかったじゃない」
「……」
沙織が けらけらと笑い、古傷に触れられてしまった瞬は大々的に(?)声を失う。
自分が泣きそうな顔になっていることに気付いて、瞬は そのまま瞼を伏せた。

「それは、いじめじゃないでしょう。彼女たちは親愛の情を示して――あなたを褒めているのよ。女の子の目で見ても、瞬は可愛いって。ノヴグラードの生徒たちに悪気はないに決まっているわ」
「悪気がないから――だから傷付くんです……!」
「あら、そういうものなの?」
知恵の女神も、男心には かなり疎いらしい。
彼女は、瞬の傷心を全く理解していないようだった。
「僕が学校に行くのを承知したのは、氷河たちと同じ学校に行けると思ったからだったんです。なのに、僕だけ別の学校だなんて――それも女子校だなんて……」

瞳に涙を浮にじませて、我が身の不幸を嘆く瞬の様子は、へたな女の子より可憐かつ可愛い。
それは まさに、『憐れむき』『愛すき』姿だった。
少なくとも 瞬が知恵と戦いの女神より繊細な心を持っていることは、疑いを挟む余地のない事実に思えたのである。
瞬の仲間たちには。
つまり、知恵と戦いの女神以外の者たちには。
知恵と戦いの女神は、あくまでもクールだった。

「瞬がそんなに嫌なら、4月から善処しましょう。あと1ヶ月だけ、ノヴグラードに通ってちょうだい。それで男子在籍の実績は既成のものになるし、私の とりあえずの目的は達成されることになるわ」
「1ヶ月もあんなところにいたら、僕、おかしくなってしまいます……! きっと自信をなくして、聖闘士としても再起不能になる――」
「いやあね。あなたたちは、私の聖闘士の中でも最もタフネス、その不屈の精神は黄金聖闘士ですら足元にも及ばないというのが、一般的な評価なのよ。その中でも、アンドロメダ座の聖闘士の しぶとさと見掛け倒しは 既に伝説的。そのあなたが再起不能だなんて――」
沙織は おそらく『見掛け倒し』なる言葉を、『外見は優れているにもかかわらず、実質は劣っている』という意味ではなく、『少女めいた見掛けを裏切って頑強』程度の意味で用いている。
普段の瞬なら、その点に物言いをつけずに済ませるようなことはなかったのだが、今の瞬には そんな些細な言葉使いにクレームをつけていられる余裕の持ち合わせがなかった。
「あの学校の生徒たちは、黄金聖闘士やハーデスなんかの100倍もたくましくエネルギッシュです!」
「まあ。それが事実なら、日本の未来は明るいわね」

沙織は、瞬の涙ながらの訴えを、むしろ楽しんでいるようだった。
しかし、命をかけた戦いを瞬と共に戦ってきた瞬の仲間たちは、伝説的 見掛け倒しの聖闘士に、心から同情することになったのである。






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