その日、心穏やかに楽しく平和な一日を過ごしたのは、瞬の周囲では瞬当人だけだったに違いない。
その日の放課後、氷河たちと合流した瞬は、放課後の課外活動も 平和かつ有意義なものにしようという意欲に燃えていた。
「星矢たち、クラブはどうしたの?」
「俺は、とりあえず、昨日のうちにサッカー部に入った」
「俺はまだ決めていないが、まあ、自然科学部か生物生産部あたりを考えている」
「当然、帰宅部だ。馬鹿なガキ共が たむろしているところにいる時間は、少しでも短い方がいいからな」

星矢の返答や紫龍の返答は にこにこ笑って聞いていた瞬が、氷河の答えを聞いた途端、その顔を大きく歪める。
瞬には、氷河のその態度は、その気になれば いくらでも楽しく有意義なものにできる学校生活を楽しもうという気持ちを 自ら放棄するものに思えたのかもしれない。

限りある人間の命と人生。
その人生を楽しいものにするか、詰まらないものにするかは、与えられた命を生きる人間の気持ち一つ。
瞬は、自分の大切な仲間に、その人生を楽しく生きてほしかった――のだろう。
課外活動に――というより、学校生活全般に――全く乗り気でない様子の氷河に、瞬は 気負い込んで説得(むしろ勧誘)を開始した。

「そんなこと言わないで、一緒にクラブ活動しようよ。せっかく学校に入れることになったんだから、楽しまなくちゃ損だよ」
瞬の考え方は非常に前向き。
かつ、人生 及び学校生活というものに対して、積極的で能動的。
その姿勢を、星矢は好ましいものと感じたし、当然、異議を唱えるつもりなど全くなかった。
だが、瞬の提案は そもそも実現が不可能なものだったのである。

「一緒にってのは無理だろ。氷河はともかく、おまえは3年生ってことになってるんだ。おまえは、クラブに入っても、1ヶ月もしないうちに この学校を卒業することになる。そもそも入部が認められないだろ」
「え……?」
瞬は、自分が兄の名を騙って3年生のクラスに在籍していることを すっかり忘れていたらしい。
自分の立場を思い出して、瞬は落胆したような顔になった。
「それはそうだけど……でも、せっかく学校に入ったんだから、学校で経験できることは なるべく多く経験したいじゃない……」
「その気持ちはわからないでもないけどさー……」

瞬の気持ちがわかってしまうことが、星矢の不幸だった(かもしれない)。
目の前で 瞬にしょんぼりと肩を落とされてしまった星矢は、つい、
「こんな時季外れに俺の入部を許してくれたんだから、サッカー部だったら もしかしたら――」
と、言わずにいた方がいいことを言ってしまったのだ。
「うん、きっと!」
星矢のその言葉に、瞬が瞳を輝かせる。
あっという間に立ち直った瞬は、そうして、その場で即座に 星矢の時季外れの入部を許してくれたサッカー部に行ってみることを決定してしまったのだった。


星矢だけでなく、サッカーなどというスポーツには全く興味のない紫龍、帰宅部在籍の氷河までが、瞬のサッカー部希望ツアーに同道することにしたのは、彼等が昼休みに感じた悪い予感が 未だに消えずに、彼等の胸中に 鎮座ましましていたからだった。
そして、瞬たちが向かった先のサッカー部のキャプテンが、
「ウチは、誰でも入れる お遊びのクラブとは違うんだ。希望者が誰でも入れるわけじゃない。それなりの入部テストもある」
と言い出したのは、おそらく、昨日入部テストを 楽々とパスしたばかりの星矢が 瞬と一緒だったから。
そして、彼が 瞬を星矢と同じ1年生だと思ったからだったろう。

「どんなテストなんですか?」
にこにこ笑いながら尋ねた瞬に、いかにも無理に威厳を取り繕った様子で、キャプテンが答える。
「それは、まあ、10キロ走と簡単な体力テスト、コーナーからのキックを20本ほど。あとは、希望ポジションによって違うが。ああ、センターラインからスタートして、レギュラー5人抜きでゴールできたら、無条件で入部を許可するこという内規もある」
「無条件で?」
瞬に反問されたキャプテンは、瞬の笑顔の前で、そろそろ威厳を保ち続けることができなくなってきているようだった。
目許が既に 少し緩み始めている。

「そのテスト、僕に受けさせてください」
『無条件で』という言葉に惹かれたらしい瞬が、おそらくマラドーナの伝説の5人抜きに敬意を表して制定されたのだろうテストに挑むことを、即座に決意する。
そして、もちろん、“一般的な男子”“一般的な女子”の概念を超越した人間であるところの瞬は、鮮やかに 伝説の5人抜きテストにパスしてみせたのである。

「すげー。誰だよ、あの子!」
「昨日、入部テストを受けた城戸の従兄らしい。昨日の城戸の曲芸技にもびっくりさせられたけど、今日の城戸もすげーな。フィギュアスケートか何かの演技でも見てるみたいだ」
「なんであんなに身軽なんだよ。体重がないみたいじゃないか」
「ウチのレギュラーたち、ボールを奪うどころか、誰もボールに触らせてもらえてないぞ」

部員たちの驚嘆の溜め息の中、その気になればセンターラインから そのままゴールを狙うこともできるはずの瞬が、あえて そうせず、ゴールに向かってドリブルであがっていく。
右に左にレギュラー陣を翻弄しながら、ペナルティエリアまでくると、瞬は、瞬のスピードについていけないことに愕然とし、既に瞬からボールを奪うことを諦めてしまったらしい5人の選手たちを振り返った。
そして、にっこり笑って、ボールを蹴り上げ、オーバーヘッドシュートを華麗に決める。

その瞬間、グラウンドに響き渡ったのは、サッカー部員たちの感嘆の声ではなく、
「一輝ちゃん、素敵ー!」
という、複数の男子生徒が発した気色の悪い喚声だった。
つまり、いつのまにか グラウンドの傍に集まってきていた瞬のクラスメイトたちの。

「うげ……」
男たちの黄色い喚声の喜色の悪さに、瞬の仲間たちは激しく その顔を歪めることになったのだが、そんなことに気をとめる者は、その場には彼等以外に誰一人いなかった。
興奮したサッカー部キャプテンと部員たちが、怒涛のように瞬の許に駆け寄っていく。
当然、瞬は、一も二もなく“無条件で”サッカー部への入部を許可されたのである。






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