「でも、冥界って消滅したんじゃなかったっけ?」 そうして彼等が辿り着いた、地上のハーデス城があった場所。 ふいに今更ながらのことを言い出してきた星矢に、瞬は苦笑してしまったのである。 これと定めた目的に向かって まっしぐらに突き進み、そこに到達してから 目的の付随事項について 初めて考えを及ばせる星矢。 考えてから行動に出る紫龍とは好対照だと、瞬は しみじみ思ったのである。 もっとも、その紫龍も、 「消滅というより崩壊でしょう。僕たちがハーデスと戦った冥界は、本当の死の国とは言えないものだった。あれは、ハーデスが異次元に作った国だよ。そこに死者の魂を配置して、それらしく見えるようにしただけ。死者が本当に行く死の世界は、どこにあるのか、そもそも本当にそんなものが存在するのかどうかすら、わからない」 「ふーん。瞬がそう言うなら、そうなんだろうけど……。作られた世界なら残骸くらいは残ってるかもしれないな。ここも残骸だけだけど」 「そうだね……」 星矢の言う通り、そこは、崩れ落ちた城の残骸があるだけの場所だった。 以前 瞬たちを異次元に運んでくれた穴が どの辺りにあったのかを思い出すのも困難なほど、城は跡形もなく、元の姿を失ってしまっている。 「氷河、どのへんだったか、憶えてる?」 どんな目印もないシベリアの雪原で 決して方角を誤ることのない氷河なら その場所がわかるかもしれないと考えて、瞬は氷河に尋ねた。 「……あっちの方だったような」 氷河が、いつもの彼らしくなく――先刻の彼同様 心許なげな口調で答えてくる。 彼は、あまり自信がなさそうだった。 自分が指し示した方角が正しいのかどうかということにではなく、自分が今 立っている場所は正しいのかどうかということに、氷河は自信を持てていない。 氷河の様子は、瞬の目に――紫龍の目にも――そんなふうに見えたのである。 「あっち?」 指し示された方向に向かう瞬の背中を、氷河がぼんやりと見詰めている。 氷河がいつもの氷河でないことを、紫龍は認めないわけにはいかなかった。 こんな時、いつもの氷河なら、それが自分の義務にして権利と言わんばかりの態度で、瞬の掩護につくはず。 氷河が、その義務にして権利に執着を示さずに、ただ ぼんやりと瞬の姿を目で追っているだけの この状況は、どう考えても 完全に異常な事態のように 紫龍には思われた。 「氷河、どうしたんだ。瞬がどうかしたのか」 「瞬? あ……あ、そうか、瞬……。瞬の目は、なぜ あんなに綺麗なんだ。瞬は、なぜ あんなに優しい目で俺を見るんだ」 「おまえは、何を言っている。頭の方は大丈夫か」 瞬の目がどういうものかという事実はともかく、瞬の目が優しい理由は、他の誰よりも氷河が知っていること。 氷河だけが真実の理由を知っていることである。 それを『なぜ』と問うことは、むしろ瞬に対して失礼というものだろう。 その点を紫龍がたしなめようとした時、“あっちの方”から、 「わっ」 という、瞬の小さな悲鳴が聞こえてきた。 「瞬! どうしたんだ! 大丈夫かっ !? 」 それで弾かれたように慌てて瞬の許に飛んでいくあたり、いつもの氷河の周到さは欠いているものの、まさしく氷河の氷河らしい振舞いである。 氷河の様子が平生と違うように感じられるのは ただの気のせいだったかと考え直し、紫龍は 氷河に少し遅れて彼のあとを追ったのだった。 ぼんやりしているようでも、氷河の地磁気を感じる力(?)は正確なものだったらしい。 紫龍と、そして星矢が駆けつけた その場所では、奇妙な現象が起こっていた。 「瞬、大丈夫なのか。何があったんだ」 「あ……氷河。うん、大丈夫だよ。ほら、ここ、見て。手をのばすと、僕の手が消えるの」 その言葉通り、瞬が前方にのばした手が、空間のある一点から徐々に消えていく。 どうやら冥界に続く道は消えていなかったらしい。 これで更に先に進むことができそうだと 志気が揚がった星矢と紫龍の横で、氷河は、 「おまえが無事ならよかった……」 と、どこかテンポの遅れた声と息を洩らした。 氷河に驚くか喜ぶかしてほしかったらしい瞬は、何かが微妙に ずれている氷河の その反応に、僅かに困惑したようだった。 だが。 聖闘士にとって、“戦う理由”は、“生きる理由”と同義である。 その大切なものを失って平常心を保てずにいるのは、誰も同じ。 そう考えることで、瞬は――星矢と紫龍も――平生と違う氷河の言動に戸惑う自身の心を納得させたのである。 とにかく、進むべき道は見付かった。 青銅聖闘士たちは いささかの ためらいもなく、その時空の歪みの中に我が身を投じたのだった。 |