氷河があの夢を見てないはずがないという気持ちと、氷河が自分と同じ夢を見ているはずがないという気持ちが半々。
現実の氷河が 夢の中の氷河と別人であったとしても、それは不思議なことではなく、むしろ その方が自然で常識的で当たりまえのことなのだから、過度の期待は抱かないように。
幾度も自分に そう言いきかせて臨んだ再会の場だったのに、6年もの間 一緒に つらい修行に耐えてきた瞬の姿を見ても全く心を動かした様子を見せない氷河に、瞬はショックを受けないわけにはいかなかった。

「おまえが聖闘士になって帰ってくるとはな」
氷河が瞬にかけてくれた言葉は、賞賛より驚きの響きが強い低い呻き声のみ。
『会いたかった』の一言さえ、氷河は瞬に言ってくれなかった。

それは当然で自然なことである。
それこそが、当然で自然。
数千キロの距離を隔てた二つの場所で、二人の子供が6年もの間 一つの夢を共有していたという事実(?)の方が不自然で、ありえないことなのだ。
「あれは僕一人が勝手に作った夢だったの……」
生きて兄に会うこと、現実世界で本物の氷河と再会すること。
つらい試練を乗り越え 生き延びた瞬に与えられるはずだった二つの喜び。
その二つ共が自分のものにならない生還、勝利、帰国。
瞬は、自分が生き延びたことの意味を見失いそうになっていた。

それでも、6年前、氷河が『二人で一緒に逃げよう』と言ってくれたことだけは、夢の中の出来事ではなかったはず。
そう言ってくれた氷河の優しさに思いを至らせることなく、自分が氷河に罵倒の言葉を投げつけたことも、実際にあったことのはず。
二人が一つの夢を共有していたことが、自分一人だけの、それこそ夢にすぎなかったとしても、あの時のことを謝るのは自分の義務だと考えて、瞬は見知らぬ氷河の許に赴いたのである。
見知らぬ氷河――6年の時を経て再会した氷河の姿が、夢の中で瞬が見詰め続けてきた氷河のそれと 全く同じであることが、瞬の心を一層 切ないものにした。

そのせいだったかもしれない。
『あの時はごめんなさい』と謝罪した瞬に、すべてを忘れてしまったような顔を向けてきた氷河。
その氷河に思い出してもらうために、“あの時”のことを逐一 語り、それでも一向に思い出した様子を見せてくれない氷河を、瞬がつい 恨みがましい目で責めてしまったのは。

「なんだ、その目は」
幼い頃の、しかも謝り謝られなければならないような出来事など 忘れてしまっていた方が、よほど互いのためにはよいことではないかと、氷河は言いたげだった。

確かに、それは、思慮の足りない頃の子供がしでかした他愛のない出来事、互いに忘れてしまった方が心穏やかでいられる出来事なのかもしれない。
だが、瞬には それは、決して忘れてしまいたくない大切な思い出だった。
それを“憶えていない”だけならまだしも、氷河に“忘れてしまった方がいい”という態度をあからさまにされることは、瞬には耐え難いことだったのである。
だから、瞬は叫んでしまっていたのだ。
その出来事を憶えていないという氷河に向かって。
瞬にとっては、見知らぬ他人も同然の氷河に向かって。
「ぼ……僕の氷河は優しくて、僕が泣いていると、いつも僕を慰めて励ましてくれた! 犯した過ちを忘れたり無かったことにするなんてこと、僕に許さず、でも、いつも その過ちを乗り越えるための力を僕に貸してくれた! 僕は、君なんか知らない。君なんか、僕の氷河じゃない! 僕が好きになった氷河はどこなの! 僕の氷河に会わせて!」

それは言っても詮無いことである。
瞬が好きになった氷河は、瞬が自分の夢の中で勝手に作った氷河だったのだから。
現実の氷河が 瞬の夢の中にだけ存在する氷河と別人であることは、氷河が責任を負わなければならないようなことではないし、それで非難されることは(現実の)氷河には迷惑以外の何ものでもないだろう。
『僕の氷河に会わせて』と訴えても、現実の氷河が 瞬の望む通りの氷河に変わるはずもない。
それは わかっていた。
わかっているのに、瞬は叫ばずにいられなかったのである。

「おまえは 何を言ってるんだ……」
瞬の剣幕に困惑したような氷河の声と目が、瞬の心を傷付ける。
氷河の悪気のなさ、氷河には何の罪もないことが、その現実が、なおさら深く瞬を傷付けるのだ。
「僕の好きな氷河は――いつも僕に優しかった。僕が泣いていると いつも励ましてくれた。僕の氷河は、消えてしまった。兄さんも帰ってこない。もう僕には誰もいない。いったい僕は何のために――何のために聖闘士になったの。僕はこれから誰のために生きていけばいいの……」
泣き虫からはもう卒業したつもりだったのに、次から次へと涙があふれてくる。
「ごめんなさい……氷河は悪くないの。氷河は悪くないの。ごめんなさい……」

悪い人は誰もいない。
誰もが懸命に自分に与えられている命を生きているだけ、生きようとしただけで、瞬を傷付けようとしている人は誰もいない。
憎める相手も、恨める相手も、戦うことのできる相手すら、この地上には ただの一人も存在しない。
瞬にできることはただ、夢は現実とは違うのだということ、どれほど強く望んでも、現実は その望み通りのものにはならないのだということを理解し、認め、そして諦めることだけだった。






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