「あの者の様子はどうだ」
ハーデスに そう問われるたびに、
「大人しくしています」
と、これまで瞬は答えてきた。
氷河に幾度『愛している』と囁かれたか、幾度 抱きしめられそうになり、幾度 口付けされそうになったか。
そんなことはハーデスの耳に入れるようなことではないと考えて、『大人しくしています』とだけ。

だが、それも もう限界である。
ハーデスの命令に従って、このまま氷河の側にいることは、瞬にはもうできそうになかった。
「あの人は変です。おかしい。アテナイにでもどこにでも早く追い返すべきです。あの人は、ハーデス様のしもべにはならない。あの人といると、僕は――」
僕はどうなってしまうのか。
あの熱意に ほだされてしまうようなことがあるというのか。
そんなことがあるはずはないのだと自身に言いきかせて、瞬は、口にしかけた言葉を途切らせた。

「追い払ってしまった方がいいのか? そなたがどうしてもと言うのなら、そうしてやってもいいが」
瞬の取り乱す様に ただならぬものを感じたのか、ハーデスが初めて氷河の放逐に言及する。
「あ……」
それは、願ってもないことのはずだった。
瞬が望んでいたはずの言葉だった。
だというのに――氷河を この城から追い払ってもいいと ハーデスに告げられた途端、瞬の心と身体は震えあがり、瞬は小刻みに首を左右に振ってしまっていたのである。

「あ……いえ、すみません。勝手なことを言いました。ハーデス様のなさりたいようになさってください。彼を お……追い返したりしないで……あの、この国の平和のためにも」
なぜ自分は そんなことを言っているのか。
瞬には、ハーデスだけでなく、氷河だけでなく、自分自身の心までが理解できなくなってしまっていた。
だが、嫌なのだ。
氷河と、もしかしたら もう二度と会えなくなってしまうかもしれないようなことは。

頬を青ざめさせ、ぎこちない動作で、瞬はハーデスの前を辞した。
頭痛がひどくなっている。
そのせいかどうか――覚束ない足取りでハーデスの居室を辞する瞬の後ろ姿に向かってハーデスが呟いた言葉を、瞬の耳は聞き取ることができなかったのだった。
「思い出すはずはないのだが……これがアテナの聖闘士の絆というものか」
という、不可解な言葉を。






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