「僕、どうして消えていないの」
神の館としては聖性を欠き、地上で最も清らかな人間のものとしては乱れすぎた寝台。
そこで意識と正気を取り戻したシュンが最初に氷河に告げた言葉がそれだった。
そして、
「何度も、僕は消えてしまったと思ったのに」
と言葉を続けてくる。
それは俺も同じことだと言いかけ、言うのをやめ、代わりに氷河はシュンの頬と唇を その手で撫でた。
それから、シュンの唇に唇を重ね、低い声で囁く。
「おまえに消えられてしまったら、俺が悲しいから。俺は、おまえを犠牲にしてまで、自分の望みを叶えようとは思わない」
「氷河……でも、氷河は……」
心許なげな目で、シュンが 野心を捨て去った男を見上げてくる。
氷河は、シュンに、ただ微笑だけを返した。

「俺はおまえを愛している。おまえは」
「あの……好き。大好き」
「なら、これからもずっと俺の側にいてくれるか。永遠に大切にするから」
「え……あ……あの、でもいいの? 僕、消えずに氷河の側にいても」
「俺はそうしてほしいんだが」
「あ……」
それは、氷河が積年の望みを捨て、シュンを選んだことを知らせる言葉。
その言葉の意味と重みを理解したシュンの瞳に涙がにじんでくる。
つい先程まで氷河の愛撫に翻弄されていた細い腕で、シュンは氷河の首にすがりついてきた。
「僕もそうしたい! 僕もそうしたい! 氷河、ありがとう!」
すがりついてくるシュンの裸体を、今度は優しく抱きしめて、氷河はシュンの耳許に唇を寄せ、囁いたのである。
「ありがとうと言うべきなのは、俺の方だろう。シュン、ありがとう」
と。

これほど素直な気持ちで その言葉を告げることができようとは。
ごく自然に その言葉を言えてしまう自分に、氷河は ひどく驚いていた。
だが、氷河は、シュンに出会えた運命、その運命を驚くほどの しなやかさで受け入れてくれたシュンに、今は 心から感謝せずにいられなかったのである。


シュンと愛し合うことができるなら、神の地位など惜しくはなかった。
むしろ それは不要なもの、邪魔なものでしかなかった。
氷河は、シュンの心を確かめた その日のうちに、オリュンポスにいる知恵の神アテナの許に赴いた。
そして、彼女の国の者をさらったことを謝罪し、人間になりたいという希望を彼女に告げたのである。
そのために大神ゼウスとの仲介の労をとってほしいと、氷河は彼女に申し出た。

「人間に? あなたが?」
北風の神が、その不遇をかこっていることも、彼が胸中に野心を養っていることも、彼女は知っていたのだろう。
氷河の望みを聞いた彼女は、彼の願いに 尋常でない驚きを覚えたようだった。
「俺はシュンを永遠に大切にすると誓った。誓いを守りたい」
「それは無理よ。人間は永遠に生き続けることはできない。いつかは死ぬの」
「だが、人間は、幾度でも生まれ変わることができる。幾度 生まれ変わっても、俺はシュンを愛する」

オリュンポスの神々への不満や批判を隠さず、人間界に災厄ばかりを送っていた暴戻な北風の神の殊勝な言葉に、アテナは感じるものがあったらしい。
シュンもそれを望んでいるのなら北風の神の願いを妨げるものは何もないでしょうと言って、彼女はボレアスの――氷河の――望みの実現を確約してくれたのだった。






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