「このままでは、俺は、貴様の飯だけでなく 瞬まで凍りつかせてしまう。だから、俺は貴様に決闘を申し込む」
その発言には全く脈絡がなかったが、氷河が突然そんなことを言い出した心情は、俺にも何となくわかったんだ。
制御できない自分の小宇宙から瞬を守るため、現状に何らかの決着をつけて気持ちの整理ができれば、小宇宙の暴走を食い止めることができるかもしれないと、氷河は考えたに違いなかった。
そして、俺は――氷河の俺へのいじめが本当に無意識に為されるもので、奴自身にもどうすることもできないことなのだと信じるに至っていた俺は、完全に息の根を止められてしまうのは御免被りたいが、半殺しの目に合うくらいのことなら我慢してやってもいいような気になっていたんだ。
そう思わずにいられないくらい――俺に決闘を申し込んできた氷河の目には、苦渋と悲愴感がたたえられていたから。
もっとも、氷河からの決闘の申込みへの俺の受諾の返事は、瞬や星矢に遮られてしまったんだが。

「氷河、なに言い出したの!」
「氷河、潔く諦めろって。瞬は聖闘士なんだぜ。誰も瞬に無理強いなんてできるわけねーんだから。瞬と紫龍の間に何かあったんだとしても、それは双方合意の上のことに決まってるだろ」
だから、俺には その趣味はないと言っとるだろーがーっ! と、もちろん俺は叫ぼうとした。
俺の訴えを邪魔したのは、今度は氷河だった。

「諦めるだと? そんなことができるか! もし瞬と紫龍との間に何かあったというのなら なおさら、紫龍をこの地上から抹殺しないことには俺の気持ちが収まらん。俺の心が耐えられん! ともに天を戴かず。紫龍は俺の不倶戴天の敵だ……!」
その言葉は、理不尽なまでに一方的なものだったが、その声は、あらぬ疑いをかけられている哀れな俺のそれよりも悲痛悲愴なものだったかもしれない。
いったい何が氷河をここまで追い詰めているのかと 疑いたくなるほどに。

これには さすがの星矢も反駁の言葉に窮することになったらしく――氷河説得を断念した星矢は、今度は瞬に向き直った。
「瞬! おまえ、あの夜 何があったのか、ほんとに憶えてないのかよ!」
「あの夜のことは――ほんとに何もかもがぼんやりしてて……。でも、僕、自分のベッドに入ったと思う。だけど、なかなか寝つけなくて……それは憶えてる。ううん、違うのかな。はっきり憶えてないんだから、僕はやっぱり、眠くて、すぐ眠っちゃったのかな……」
瞬の口調は相変わらず 頼りない。
その分、星矢が(いつになく)問題解決に、意欲的・積極的。かつ、豊かな着想で挑んできた。

「なあ、それってあれじゃね? 夢遊病とかいう病気。アルプスの少女ハイジであったじゃん。アルプスの大自然の中から都会に連れてこられて ホームシックになったハイジが罹ったビョーキ。俺たち、これまで戦いの連続だっただろ。俺や氷河は、まあ、暴れるのは嫌いじゃないし、正義のため、アテナのためって割り切ってられるけど、瞬はそうじゃない。で、好きで戦うわけじゃないバトルのストレスがたまってたんだよ。これまでは何とか意思の力で抑えてこれたけど、それが ここにきてついに抑えきれなくなって、こんなことになっちまったんだ。そうでなかったとしても、何か別のストレスが原因でさ、瞬も紫龍も自分の意思とは関係なく あんなことになったんだよ。そうに決まってる!」
断言口調の星矢が、
『なあ、そういうことにしちまおうぜ』
と、胸中で泣きそうになっているのがわかる。
俺は、仲間同士の争いを避けることを願う星矢の健気に打たれ、そういうことにしてしまってもいいと思ったんだ。
星矢の推測はありえないことではないし、傷付く者が最も少ない最善の決着――いや、最善の解釈だと、俺は思った。
だが。

「何か別のストレス……?」
だが、氷河はそうは思わなかったらしい。
氷河は、星矢の妥協案(?)を聞いて、ふいに暗い顔になり、
「瞬がもし、ストレスからくる夢遊病に罹っていたのだとしても、だから紫龍が瞬に何もしなかったということにはならないだろう」
と、暗く重い声で言い募った。
「おまえねー……」

星矢が3年に1度 思いつくかどうかというほどの会心の解決策。
誰も傷付かず、どんな争いも起きない最善の解決策。
それを暗く拒まれた星矢は、氷河の猜疑心の強さに呆れてしまったようだった。
そして、(おそらく)もう 真面目に こんな奴の相手をするのはやめてしまおうと、星矢は考え始めた。
俺も、星矢と同じような気持ちになっていたんだ。
少なくとも、もう氷河の決闘の申込みを受ける気は失せていた。
だから、その意思表示のために、俺は無言で踵を返したんだ。

「逃げるのか、紫龍!」
すぐに、俺を引きとめようとする氷河の声が 俺を追いかけてくる。
悲痛で悲壮な声、その響き。
だが、氷河が必死になればなるほど、俺の心は冷めていくばかりだった。
「あのなあ……」

どう言えば、氷河は正気にかえってくれるんだ。
氷河が疑っているようなことを、俺は瞬にしない。
そんなことは常識で考えたら、誰にだって わかることじゃないか。
それは確かに、瞬は可愛いとは思うが、俺は瞬をそんな目で見ていないんだ。
なぜ そんな簡単なことが氷河には わからないのか。
俺は、氷河の無意味な意地の方が不思議でならなかった。
本当に不思議で――だから、俺は初めて その可能性に思い至ったんだ。
もしかしたら氷河には、これほど必死にならなければならない理由、俺や星矢の知らない事情があるんじゃないかと。

もう氷河の相手はしていられないという気分になっていた俺が 再度 氷河の方に向き直ったのは、氷河に話す気があるのなら、その理由と事情を聞いてやろうと思ったからだった。
あいにく――突然ラウンジに飛び込んできた我等がアテナのせいで、俺は氷河に 奴の事情を尋ね損ねてしまったんだが。






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