「さて、これからどうするか……」 小さな寝台の上で瞬の身体を抱き寄せ、氷河は低く呟いた。 真面目に前途を案じている振りでもしないことには、手に入れてはならない高嶺の花を手に入れてしまった喜びで叫び出してしまいそうになる。 そんなことをして瞬に幻滅されるよりは余程ましだろうと考えた上での呟きは、確かに瞬を幻滅させずに済んだようだったが、代わりに瞬を不安にしてしまったらしい。 詰まらぬ見えを張る男に 心細そうな目を向けてくる瞬の心を安んじさせるために、氷河は急いで その目許と唇に笑みを刻んだ。 「いや、俺とおまえの身体の相性は最高にいいから、俺が案じているのは そういうことではないぞ」 それは、瞬が案じていることも“そういうこと”ではないだろうと思うゆえの冗談だったのだが、あろうことか、瞬が案じていたのは まさに“そういうこと”だったらしい。 氷河の軽口を聞くと、瞬は その瞳に ほのかな安堵の色を浮かべた。 「よかった……。僕、途中から自分が何をしているのかわからなくなって――何か変なことをしちゃったんじゃないかって不安だったの……」 「……」 いったい この可愛らしい生き物は、どこで生まれ、これまで どんなふうに育ってきたのだろう? 氷河は瞬の可愛らしすぎる不安に、軽い目眩いを覚えてしまったのである。 地上で最も清らかな魂を持つ者は、冬の夜空に細く鋭利な姿を見せる月の女神のように峻厳な心を持つ者なのだろうと思っていたのに、これではまるで 暖かな春の野に可憐に咲く薄桃色の花である。 氷河は、その花びらを揺らす春の微風からも瞬を守ってやりたいと気負わずにはいられなくなってしまったのだった。 ギリシャのすべての神々の愛され、おそらく 今 地上に存在する人間の中で最も強大な力を持っている者に対して。 そんな必要はないのだと自分に言いきかせながら、氷河は瞬に尋ねてみたのである。 この聖なる山の神殿に現われる以前、瞬はどこで何をしていたのかを。 「おまえは天上で生まれたのか?」 瞬の答えは意外なもの――氷河には想定外のものだった。 「ううん。僕は普通にこの地上で生まれ、暮らしていたの。僕の国は この山より南の方にあるんだ。そこのアテナを祀る神殿で、争いのない世界がほしいと祈った。僕のように戦いのせいで両親を失うような子供が生まれない世界を実現させてくださいって。僕の国には、戦の犠牲者がたくさんいたから。 そうしたら、突然アテナが現われて、これは神々の総意だって言って、僕をこの神殿に運んできたの。神々は、ここで僕がしたいように振舞えと言って――それしか言ってくれなかった」 「それしか?」 「この山の周囲に集まっている人たちは、僕が神々を自由に操ることができて、神々は僕の願いを何でも叶えてくれるものと思い込んでいるようだけど、神々は僕にそんな約束をしたわけじゃないよ。僕は普通の――ただの人間だもの」 「地上で生まれ、暮らしていた? おまえが普通の――ただの人間?」 そんなことがあるのだろうか。 そんなことがあり得るのかと、氷河は思ったのである。 これほど可憐で可愛らしく、たった一度の交わりで 初めて出会ったばかりの男の心と身体をとろかし、この花のためなら命を投げ出しても惜しくはないと決意させてしまったものが、ただの人間だなどということが。 たとえ愛の女神にそうと断言されても、氷河には信じることができそうになかった。 |